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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

さるかに合戦の蟹に単純に共感するほうですか?(愛ある問いかけ ② 3/10)

2014-01-11 | 第十章「今ここでの恩寵」

 人間だけでなく、生き物には何か突き進んでいく傾向があるようだ。ちょっと難しい表現だがロジャースは次の名言を語っている。「有機体は、一つの基本的な傾向と渇望(striving)を持っている。すばわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。」

 私は、この話を聴くと、有名なさるかに合戦の蟹を思い出してしまうのだ。猿に騙され、おにぎりを掠め取られ、さらに柿の収穫を掠め取られた挙句に殺害される。その蟹の子供が親の敵を打つために臼や蜂たちと仇討ちをする。

 蟹の横ばいのように、一途に仇討ちをする傾向と渇望に子供のころに激しく共感したことを覚えている。

 私も、最近は「旅と生き甲斐の心理学」のテーマに酔、何か燃え昨年後半から、府中・国分寺を放浪したり、東京タワー周辺を散策したり、四ツ谷・皇居周辺を徘徊したりしているが、これも蟹の性向とかわりはないようなのだ。

 さて、この人間を含めての突き進む性向は、自己実現においては、素晴らしいロケットエンジンなのだが、一方、現実吟味を間違えると悲劇を招くようだ。

 さるかに合戦について、芥川龍之介が面白い話「猿蟹合戦」を書いている。青空文庫で簡単に読めるので読んでみた。蟹が仇討ちをしてからの現実的な後日談なのであるが、実に考えさせられる。

 武士の世の中であれば、ひょっとすると賛美されたかもしれないが、今では恐らく社会的に裁かれる。

 ただ、その倫理道徳の問題はあるにせよ、さるかに合戦が親しまれる意味は、私は人間のもつ一途な性向の確認にあると思う。

 蟹の一途さは物語の中心であるが、考えてみれば猿も騙して掠め取るという一途な性向があることがわかる。まあ、自分らしい熟慮した思想性の中でこの性向を自己実現に向けれられれば素晴らしいと思う。私は、常々おもうのだが、伊勢神宮の遷宮で有名になった持統天皇の政治的業績もこの性向の理解と繋がると思う。

 愛ある問いかけ ② 3/10      

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