もうすぐ訪問して2年が経つが、ウィーン大学のフロイトの像はとても印象的であった。ちょうど中欧は寒波に襲われ、死者が出るほど寒い日が続いていた。雪景色のウィーン大学に入ったのは良いが、有名なフロイト像にたどりつくまで、目立たないこともあり大変であった。
となりにはゴミ箱が置いてある、世界的なフロイトには不釣り合いの地味な展示であった。しかし、この像が作られるまでには様々なドラマ、ユダヤ人差別もあったとも聴く。
現代の臨床心理学に多大な影響を与えたフロイト。恐らく、フロイトなしではU先生の「生き甲斐の心理学」も無かったかもしれない。
さて、フロイトの14の防衛機制は「生き甲斐の心理学」で沢山学ぶ。抑圧、抑制、昇華、合理化、感情転移、置き換え、知性化、退行、逃避、同一化、摂取、投影、反動形成、補償だ。
ただ、これを、そんなのがあるね。で、一般教養で終わらせても殆ど意味がない。やはり自己分析に役立てることで、それこそ、ウィーンのフロイト像にすがり付きたくなるのだろう。
そして、最近はよく「自分の防衛機制で一番人生に影響があったのは?」と自問自答している。
今朝の私の自問自答の回答は、<抑制>、である。
今までの人生のうち、最近の十年余りを除き、抑制が余りに大きかったように感じるのだ。企業人として、家族の一人として、コミュニティの中で・・・もちろん、所属するグループにより、その抑制の大小多寡はあるが。
抑制は何かユニフォームを着るようなところがある。外見上似ているように内面も似ているような錯覚を人に与える。そして、それにより自分の自然体が個性が消されていく。それも、良いところが沢山あるが、そればかりだと、実感のない人生になってしまうと今では思う。
もちろん現実を吟味することは大事だが、つまらない抑制を取り除くように自然体で生きることを心がけていくと、景色が随分変わってくるものだ。去る人もいるが、より判り合える隣人も増える。自分の目指す方向も見えやすくなってくる。
私の場合、抑制は今でもいろいろあるが、例えば自分がカトリック信徒であることに口をつぐむことがあった。これといって苦い経験はないのだが、幼い頃から、自然にそうなったところがある。
しかし、自然体を心がけ、必要に応じて自然体で開示すれば何ということもない。そして、抑制が少なくなれば、それこそ昨日のブログではないが、見通しが良くなっていくようだ。
愛ある問いかけ ② 4/10