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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の身に付いた「くせ」を哲学していますか?(愛ある問いかけ ② 10/10)

2014-01-18 | 第十章「今ここでの恩寵」

 練習して、はじめて自転車が乗れるようになる。そして、そのうちに自転車が自分の身体の一部になってくるような感覚になってくる。

 その経験は私の生育史上強烈で、ある技能が身につき、それが自分の一部になる不思議さを識ったようだ。

 「生き甲斐の心理学」で臨床心理学の知恵を学んでいくが、その中に、この不思議な現象(知覚の一部が次第に自己として分化される)を実に丁寧に思索する。

 自分のある感情・思考・行動が自己の一部となっていく(これをくせと呼んでみた)。通い慣れた帰宅途中に妄想をしているうちにハッと気がつくと自宅に戻っていたりということも。帰宅行動が「くせ」に進化したからなのだろう。何らかの感情が湧きおこり、それが変な思考と行動を招く「くせ」もある。

 古い例で恐縮だが、寺内貫太郎一家のちゃぶ台運び、水戸黄門の印籠、寅さんの夢、なども、楽しい「くせ」の一例かもしれない。

 しかし、まじめに自分の「くせ」をあれこれ考えると、人に言いたくなるような「くせ」もあるが、秘密にしたい「くせ」もある。

 ただ、「知覚の一部が次第に自己として分化される」という知恵は、単純な世の価値基準を越え、何か真実を語っているようである。

 そして、自分の気になる「くせ」を哲学してみたらどうだろうか。単純に倫理道徳的に考えるのではなく、その意味を深く哲学する。そういう「くせ」は決して自分だけでなく環境など様々な要素から生まれてくる。「くせ」がしみじみと感じだしたら充分かもしれない。しみじみは自己受容と関係があるかもしれない。

 さらに行動・思考と遡り感情を「生き甲斐の心理学」思索することで、想いもよらぬ真実を見つけることも。

 さて、昔どこかの会社で見たスローガンを思い出した。「改善を身に付いたくせにしよう」である。「くせ」には「くせ」を直す「くせ」もあったのかと驚くが、真実を見抜くことで大きく変わることもある。

 満月のお月さんのうさぎさん、昔からお餅をついていると言われるが、何故いつも、お餅をついているのだろう。直らない「くせ」は時に美しい個性となる。

愛ある問いかけ ② 10/10      

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