イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

青春時代に育む理想と夢!

2007-01-25 | 第一章「意識と知覚」

1970年前後の学園紛争の盛んな時期に、高校生、大学生として多感な時期を過ごした。学生時代最後は、実験心理学の研究に集中したが、研究室に残ることもなく就職した。

就職したのは、社会の流れや価値観に妥協したところがあった。そして、抵抗していた父親のアイデンティティを踏襲していた。入社して、しばらくは違和感もあったが、コンピュータの営業やマーケティングの仕事は楽しく、そして結婚し子供が生まれいつのまにか35歳を越えた。

青春時代は終わりつつあり、社会も1990年代に向けて大きく変わろうとしていた。そして、家庭を顧みず仕事をしていた「つけ」も、それから徐々に現れてきた。自分自身の基本的な青春時代に育んできた理想やアイデンティティがいつの間にか危機にさらされてきた。

1999年1月、ふらっと立ち寄った教会で、ありのままの自分を受容できたとき、期せずして幸福感を感じ新しい何かがスタートした。

「生き甲斐の心理学」では、理想や夢が時として、人を思いがけず傷つけることを記している。青春時代を通し育んだ、生き残るために身につけた理想・夢。それは、ナイーブな何かを傷つけてしまうこともある。

人と自分を大切にしていきたい。

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「生き甲斐の心理学」:ユースフルライフ研究所、植村高雄著・監修


不得意科目は宝の山!

2007-01-24 | 第一章「意識と知覚」

誰でも不得意科目というのがあったと思う。小学校の時は、体育と図工、音楽以外は不得意科目。中学校になってからは、国語が不得意科目であった。

幼かったころ、内弁慶で感情は激しく、しかしそれをうまく言葉で表現できない子供であった。本を読んだりするのは好きであったが、小中と国語の成績は芳しくなかった。特に書道は嫌いで、その時の国語の成績は最悪であった。

国語の試験問題を見ると、話の筋の面白さに気をとられ、時間配分まで頭が回らなかった。また、4択問題などでは、いろいろ考えて決断できなかったりした。幸か不幸か、中学校3年の時に公立高校の入試選抜の方法が大幅に変わった。9科目が3科目になった。そして国語の比重は俄然高まった。

夏休みに、1冊の国語の問題集を解き、秋以降成績は上昇した。真の国語の能力は高まったかよく判らないが、問題の解き方が上手になったのだと思う。そして、何とか入試を克服していった。

受験はともかく、不得意科目は自分の盲点を成育史の中から炙り出すのに重要だなと思う。抑圧された、根の深い劣等感や両親の影響が垣間見えてくる。

愛すべき幼少のころの、微かな記憶は幸福の鍵かもしれない!

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戦闘態勢にケチをつけない!

2007-01-23 | 第一章「意識と知覚」

7歳の頃、アラスカのシトカで父が撮ってくれた写真である。防寒服を着てショットガンのおもちゃを手にした私と私の影、そして良く見ると写真を撮る父の影も見える。

異文化に触れ、心も鎧兜をつけていたのかもしれない。このころの写真は、おもちゃの鉄砲、ピストルそして相撲のスタイルが眼を引く。

心理学の用語では防衛機制といい、抑圧、抑制、昇華、同一化、摂取など14種類あるという。人間の心を安定させるための心の仕組みである。例えばお守りを持つなどの摂取、お相撲さんになったつもりの同一化はその例である。

心の防衛機制は、いろいろな働きがあるが、やはり心を安定させるという大きなメリットがあることは事実だ。そんな防衛機制を働かせているときに、周りが無理に暴き立てることは良くないことも多い。

中学校3年の冬、模擬試験であせって殆ど0点をとったとき、T先生は私に後で、「どうした?」と聴いてくれたが、私が「風邪薬のせいです。」と合理化的な回答をしても、それを丸ごと信じてくれた。そして「試験のときは、風邪薬に注意すること。」とクラスの全員に周知徹底した。

T先生ありがとう!

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あせらない方法はあるか?

2007-01-22 | 第一章「意識と知覚」

小学校に入った頃、学校に行くのが嫌でメソメソ泣いたことがあった。友達に何か意地悪をいわれやしまいか、そんな不安から泣いていた。

洋服ダンスの鏡で自分の顔を見て、泣いた跡が友達にわかるのではと覘き。そして、泣き顔を確認すると、これは何か言われると思い泣く。さらに鏡を見る、もっとひどい顔になっている。あせりはつのり泣き顔はひどくなる一方。

あせり。不安の感情がどんどんと加速する不思議なメカニズム。

私は、よくこのあせりに悩まされてきた。小さいころ、心臓の鼓動を良く聞き、時々脈が飛ぶと、死ぬのではないかと不安になった。中学校の模擬試験のとき、あせって、殆ど0点をとったこともある。

30歳前半のことであった。体調を崩し、禁煙をすることになった。それでも、数ヶ月経ってまたタバコを吸い始めるなど、2-3回失敗した。

そして、何回目かの禁煙のときに、数週間してからどうしてもタバコを吸いたくなった。その時、固く禁煙を決意してからの一服と思い、ゆっくりタバコを吸った。

通常の理屈では、一服吸うと、また吸い始めるといわれる。しかし、不思議なことに、その一服は禁煙中の最後の一服となり、それから20年以上禁煙を通している。

酒をやめるよりはタバコをやめようという、強い信念?が禁煙を可能にしたのかもしれない。

宮本武蔵の五輪書、水ノ巻に(46ページ)「目のつけようは・・遠き所を近く見、近き所を遠く見る事・・・」とあった。

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五輪書は、岩波文庫(宮本武蔵著、渡辺一郎校注)を参考にしました。

 

 


母校に最終講義を聴きに!

2007-01-21 | 第一章「意識と知覚」

先日30年ぶりに母校に行った。駅を降りて目的のキャンパスまでの道では、不覚にも迷ってしまった。新しい建物が増え、道の周辺が綺麗に整備されたこともある。似ているようで30年の歳月は大きい。

母校では、昔の仲間やF先生が、いらっしゃる。卒業以来30年ぶりの出会いもあったが、話していくうちに昔の関係に戻るのは不思議である。

先生の最終講義は、当時と同じように元気よく、そして刺激的であった。そして、変わらない学生への面倒見のよさ!

F先生の研究室に所属したきっかけは、理科系ではあったが人間に興味があり、・・・関係の卒論の指導をしてくれるかということでY先生に伺ったことがあった。Y先生は、それならF先生が近いテーマで研究しているから行ったらどうかということだった。

当時は、1970年前後の学生運動の嵐が収集し、私も活動していたわけではなかったが、なにか空しさを抱えていた。青春時代特有の「私は何だろう」?というアイデンティティの混乱の時期でもあった。

その中で、自分の興味分野に近い研究が出来たのはとても嬉しかった。朝から晩まで、楽しく働き、勉強をした思い出がある。

もし、F先生に出会わなかったら?恐らく、人生は大きく変わっていたと思う。生き甲斐支援のカウンセリングを学ぶことも無かったとも思う。

出会いについて考えさせていただいた。

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