イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

コノイロハナンデスカ?

2007-01-19 | 第一章「意識と知覚」

7歳の夏、アラスカのシトカに住み始め、近くの米国の小学校のクラスに編入された。周りは全て英語を話すだけで、日本語を理解する人は皆無であった。私は日本語しか解せない。ただ、クラスメートは、日本人と同じ肌のネイティブが多かった。そしてクラスの女性の先生も日本人と同じ肌の色であった。

ネイティブはベーリング海を越えてきたモンゴロイドという説もあるが、日本海流に乗って、日本やアジアから漂着した人々の子孫でもあるという説もあった。クリンギット族という北米インディアンが主体である。

先生が、何も言葉を理解せず、不安げに机に座っているわたしを心配しているのが判った。

なにかいろいろ話しかけてくる。そのうち、カードを見せ、「・・・・・」と何か聞いて来る。

今度はカードを替えて、「・・・・・・・」と聞いて来る。ああ、色のことを言っているのだと思った。でも英語は全くわからない。察知してくれていいのにと思う。さらに熱心に訊いてくる。

「キイロ」と答える。そんな風にして、日本語で答えると先生は目を輝かせて、クラスの皆に日本語の色の単語を私から発表させた。

そんな、先生とクラスの温かさは今でも忘れない。最後にそのクラスを別れるときに、先生がチョークや色紙などを袋に入れて私にくれた。忘れられないプレゼントであった。カルチャーショックを乗り越えはじめたころのエピソードである。

言葉ではない、秘められた力をもつ人の温かさ!どれだけ大切なことか!

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武蔵、寅の一てんに書き始める!

2007-01-18 | 第一章「意識と知覚」

昨晩は友人と語らい早く寝たこともあり、朝4時過ぎに眼が覚めた。次女が居間で、卒業制作を黙々と行なっていて、緊張感がある朝であった。

ふと、眼に止まった宮本武蔵の五輪書を開いてみた。最初のところに。「・・天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初むるもの也・・」に眼が留まった。「寅の一てん」に注があり、午前四時三十分とある。

宮本武蔵が、62歳で亡くなる前、60歳のころに書いた五輪書、凄い迫力のある文書である。そして、宮本武蔵がこの五輪書を書き始めた同じ時刻に不思議にも364年後に、見ず知らずの私が読んでいる。

今ここに生きていること。その事実を緊張をもって知覚すること。最近どこかに生じ始めた自分のマンネリズム、倦怠感を打破するためによかった。

武蔵は言う。「死ぬるといふ道を嗜む」。日頃から、いかに死をいさぎよくするかということを心掛けるということである。

不用なことを削ぎ落とし、真剣になろう!

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五輪書は、岩波文庫(宮本武蔵著、渡辺一郎校注)を参考にしました。


紙一重の幸福と不幸!

2007-01-17 | 第一章「意識と知覚」

最近痛ましい殺人事件などが連続して起こり、朝から陰鬱な気分になることも多い。朝から、恐ろしい事件を聴くと一日が嫌になる。

犯罪にあって幸せそうな家族が突然、不幸のどん底に投げ出される。崩壊する人間関係。鳥ウィルスのような殺人ウィルスが蔓延したらなんてことも考える。私のささやかな幸福は、風前の灯ではと考えたりする。

幸福は紙一重で不幸になるのだ。そして気持ち悪い不安感、嫌悪感が自分の中に立ち上がってくる。

そんな時に、反対のことを考えてみた。自分の過去を振り返り、不幸な出来事、あるいは危機を乗り越えてきたことを意識化する。

幼い頃、落ちて頭を打っても助かったこと。海水浴場で溺れかけて救われたこと。大怪我をするところをちょっとした傷で助かったこと。窮地に陥った時に紙一重で助けられたこと。そして自分の子供、妻、そして、両親の数々の紙一重。紙一重のあとの安堵感、幸福感の豊かであったこと。

窮地を切り抜けてきたことを思索すると、不幸も幸福と紙一重であることがわかり、幸せな気分になる。西田幾多郎先生風にいうと、幸福即不幸、不幸即幸福!

幸福について考えるのは、幸福への一歩なんですね!

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古本を味わい父を想う!

2007-01-15 | 第一章「意識と知覚」

最近は良い本でも絶版が多い。ある程度読みたい本が判っていれば、インタネットで古本も購入できる。ただ、入手したい本が著者名しか判らなかったり、インターネット上でもやたらと高額であれば、購入することを躊躇ってしまう。

大型古書店は、最近破竹の勢いで増え、昔ながらの街の古本屋さんは少なくなってきている(無くなってしまったいった方がよいかもしれない)。大型古書店では、驚くような良い本が安価に売られており私にとってはとても助かる。世界の名著、例えばドストエフスキーの本が100円で売ってたりする。

先日、大型古書店に入った時、一度読んでみたいと思っていたT氏の本があった。戦後直ぐに発刊したその本は、紙の質が悪くそして黄ばんでいる。さらに書き込みも沢山あり、価格も結構高かった。

結局その本を買ってしまった。本を開くと、懐かしい古書の香がする。そして、書き込みがあるのだが、それが今は殆ど使われていない万年筆で書かれたブルーのインクである。ブルーインクの線の味・・・そして本の購入者のサインが最後のページにあった。昭和23年6月13日とある。

父の本棚を覘いたのははいつごろだったのだろう。小学校高学年ごろからいくつかの鮮明な記憶がある。

父は学生時代沢山本を読んだようであるが、私が知る限り、自宅では余り本は読まなかった。父が本を読んでいる記憶は殆どない・・・・

父が若いときに手術をした時に吉川英治の本を読んでいたいたこと。そして、死ぬ間際に知人から貰った本を病室で一所懸命読んでいた時くらいか。

チェン・ニエン著「上海の長い夜」をこれは良い本だといって、私にくれた。それが父の最後のプレゼントであった。病魔と戦った父の大事な遺品であるが、まだ読んでいない。父に怒られそうだ。

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竹!竹!竹!竹!竹!

2007-01-14 | 第一章「意識と知覚」

先日、バスに乗らないで多摩を歩いた。竹林があった。

いつもは通り過ぎるのに、夏に涼しい風を通す竹林のお世話になったのを思い出し、ちょっと立ち止まり写真を撮った。

竹!

今では竹を見る機会は激減したが、竹にまつわる懐かしい記憶は山ほどある。

幼いころに住んでいた家の裏には竹薮があった。「竹や竿竹」の声をいつも聞いていた。庭には竹ざおがあった。祖父が祝日に日の丸を揚げた竿も竹だった。凧などおもちゃにもたくさん竹が使われていた。

美味しい筍。竹のへらで粘土細工をしたこと。竹馬もあった。高校で竹取物語を古文で学んだ。剣道の竹刀。大学の卒業発表では竹ひごにお世話になった。京都のお寺の涼しげな竹林。七夕祭り。犬の散歩コース。

いろいろお世話になった竹を思い、また竹と共に生きてきた父や母、先祖のことを想い温かい気持ちになった。

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