イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ホントの企画・・・人生の目的地を探る!(新ライフデザイン 1/10)

2011-08-21 | 第三章「無意識の世界」

 私は、行動することも好きだが、考えることが好きである。また、考える構造を探ったりで、考えることを考えることも好きである。

 何で、そうなったのかは謎である。幼稚園のころに、マジックインキの空き箱でおもちゃをつくっていたら、そのことで、考えることが好きなんだねと先生から言われた。意外と、そんなことが自分の深層にあって、人生を通しての「傾向と渇望」となり今まで影響を与え、そして自分の人生の最後に連なっていくかもしれない。

 私も、いつの間にか還暦を迎えた。

 ただ、これから残りの人生をどのように生き、何をして過ごしていくかは、とても大事な課題だと思う。

 世の中で、生きていくのは大変である。そのため、企画とか計画というプロセスがあり、より旨くことをなす企てをする。先憂後楽といったものなのだろう。

 誰でも大なり小なり企画とか計画はする。文章にしないまでも、今日は何を食べようかから始まり、納涼会や旅行、受験などもある。そして、社会人になれば、報告書や企画書、計画書の嵐になる。

 その中で、企画、計画にも二つのタイプがあると思う。一つは誰かから課題を与えられるタイプだ。上司から与えられたテーマで企画をしたりする。家族から頼まれたりすることもあろう。そして、このタイプはさまざまな情報もあれば、企画や計画のやりかたを丁寧に教えてくれる本なども沢山ある。

 そして、もう一つはテーマすら、本来自分で決めていく企画・計画である。ライフデザインというものもあるが、これもお金の話や趣味とか人脈とか、それなりのノウハウからなるが、自分は何のために生きるのかという、もっとも基本的な問いかけに答えてくれない。

 では、世の中にはそういった分野に、何の手立てもないのだろうか?恐らく、哲学・宗教といった分野が一つのリファレンスになろう。さらに、個々人の成育史等を射程におさめた臨床心理学の知識も大切だと思う。しかし、どういうわけか、かつての私も含め、その手立て、あるいはそのきっかけを知るひとは少ない。

 これから、生き甲斐の心理学をベースに、人生何をすべきかを、のんびり考えてみたい。

新ライフデザイン 1/10

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立場ゆえの暗い感情を楽にする! (好き嫌い 10/10)

2011-08-20 | 第二章「五感と体感」

 嫌いな人を好きになる。不思議な現象や深層心理の問題、人間観、家族関係などに触れてきたが、最後に立場=役割と感情の関係を考えてみたい。

 日々の暮らしの中で人間関係に悩む場合、私の場合は殆ど自分の役割とリンクしているようだ。

 例えばこの10年で、暗い感情(激怒するなど)ワースト10を考えてみた。すると、私の場合すべて家庭での立場=役割、仕事での立場=役割と密接に繋がっていることに気づく。立場、役割あっての感情なのだ。

 昔見た寅さん映画でに、人ごみの中で寅さんが大きなオナラをするシーンがあった。そして、それを見ていた人との会話が面白かった。赤の他人は、寅さんにとって、家族のようにうるさくなく、気楽なしがらみのない関係のようだ。

 逆に言えば、関係の深い人はそうはいかないのだろう。

 そうはいっても、世の中には、沢山のしがらみの中で実にすばらしく生きている人がいる。ある意味で自分の立場を達観し、自分の立場=役割実行にふらつきの無い人である。そんなふうになれたらと思うが、誰でも近づくことはできると思う。

 例えば、Aさんに対して、ある暗い感情を持っていたとき、何故そういう感情が湧くかを思索する。その本人自身の問題なのか。その方の立場=役割行動からくる感情なのか。

 私の場合は、後者が多い。

 そして、Aさん自身からくる感情(生理的なもの、成育史的なもの、魂からくるもの)、Aさんの役割行動からくるものかを識別するだけで、自分の中の混濁を解消できるように思う。そして、Aさんの役割行動からくるものであれば、かなりロジカルに考えることができると思う。混濁が、見えるものを見えなくする。

 さて、頭は、昨日から持統天皇なのだが、今朝は持統天皇の実父、天智天皇のことを考えている。天智天皇が亡くなる直前、大津で天武天皇を呼び、天皇を大友皇子に移譲するかどうかを確認する場面がある。その時点で、天武天皇を抹殺せず、天武天皇は吉野に持統天皇とともに逃走するのだが、何故そうなったのか引っ掛っている。

 病の中の天智天皇の決断力の不足を語る人も多いが、考えてみれば、天武天皇は、天智天皇の実子である持統天皇の婿であるし、孫までいる。しかも、彼らはある意味で戦友でもある。仕事での立場、家族としての立場・・・その中の選択として、必ずしも間違いとはいえない。

 持統天皇が壬申の乱のあと、天武天皇の亡きあと、天智天皇系の皇族を大事にしていくが、その遠因はこのときの天智天皇の決断(天武天皇、持統天皇を大事にする)にあるように感じるがどうだろうか。結果良ければ全て良し。

好き嫌い 10/10

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戸籍・・・ファミリーヒストリーから学ぶ!(好き嫌い 9/10)

2011-08-19 | 第二章「五感と体感」

 今年の夏は、父方の祖父母と曾祖母の法事をした。曾祖母は50周忌ということで、私も殆ど記憶になかった。丁度、我が家の系図を知りたいということもあり、市役所で曽祖父母の戸籍を調べてみた。

 曽祖父、曾祖母の時代に何があったか。それ以前の歴史はどうだったか。

 ワクワクして戸籍のコピーを読んでみると、いろいろなことが判った。昔はどこも大家族が珍しくなかったようだが、私の曽祖父の時代も大家族である。

 その中で織り成された人間模様はどのようだったのだろう。ただ、系図的に読み解いていきながら、今までの知識と結びつけるといろいろなこと観えてくる。解説や情報過多で何がなんだか判らないような時代であるが、自分の頭で思索する機会となり、とても貴重で気持ちがよかった。

 さて、今、生き甲斐の心理学を深めるために、7世紀から8世紀にかけての持統天皇の勉強をしている。その時代は、大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱、大宝律令など本当に凄い時代であった。しかし、通常の歴史の勉強だと生身の人間が見えにくいものだ。

 最近、橋本治さんの著作に親しんでいるが、系図を中心に読み解く知性にただただ感心してしまう。今までは、歴史学者や小説家などの本をただ読み、人が書いた言説で何か判ったような気になっていたが、どうも違うようだ。基本は自分で考えなければならない。しかし、橋本治さんの本(日本の女帝物語 集英社新書)は楽しい。

 唐の侵攻に危機感を募らせ、朝鮮半島の白村江の戦いに行く。その時、軍船で天皇家が九州に行軍するのだが、このときのメンバーは68歳の女帝・斉明天皇(持統天皇の祖母)を筆頭に、天智天皇、天武天皇、太田皇女、持統天皇、額田王。そして、その只中で大津皇子や草壁皇子が生まれたり、斉明天皇が崩御されたりする。

 持統天皇の青春時代はそんな物凄いものであるが、最晩年も意味深長である。草壁皇子が崩御されてから、自ら天皇になられ、文武天皇に譲るための官僚システム・大宝律令に結実させ、文武天皇に移譲する。そして、大宝律令の年に曾孫の聖武天皇が生まれる。草壁皇子の妻は後の元明天皇である。

 持統天皇と元明天皇の関係は嫁姑関係でもある。ライバルの高市皇子とその子の長屋王との関係も微妙。持統天皇は、こうした状況で近い存在の元明天皇や不比等にどういう話を残したのだろう。

 系図から読み解く人間関係の構造。そこに、本人の感情や意思を超越する、何か神秘的なものさえ感じてしまう。持統天皇は複雑な関係の中で、大津皇子を亡きものにしてまでも生き抜き、日本の基礎を確立させる。

 好き嫌いの感情。人間関係のあるときに切り離せないものであるが、ファミリーヒストリーを読み解いたり、歴史の勉強をすると、感情(当然、好き嫌いも含むが)に対する理解が深まるようだ。

 好き嫌い 9/10

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数学ブームの中、嫌いな人を好きになる人間観を数式で表現してみる。(好き嫌い 8/10) 

2011-08-18 | 第二章「五感と体感」

 数学が今ブームらしい。書店にも数学関係の書物がならんでいる。

 私も若い頃は数学が好きだった。大学に入学して専門課程に応募するとき、管理工学科に応募したが、成績が優秀ではなかったが、数学だけができたので、それで希望が通ったようにも思う(よくわからないが)。

 卒論も、レンズモデルという数理統計モデルを利用しての実験であったが、そのモデルをピタゴラスの定理等高校生の数学の知識で理解を深め、F先生に褒められたりしたのは、思い出深い。

 お医者さんの診断のモデル化など、数理的な接近方法は、今後も知的興味を駆り立てる世界になるだろう。ただ、私の残りの人生を考えると、他にもやることが沢山あり、数学とは接点が少ない気がする。

 こんな私であるが、生き甲斐の心理学をU先生に学ぶ中で、思いも掛けない分野(人間観)で数学に出会う。

 誰にもわかるようにU先生が表現されている数式とはU先生が欧米で学んだ一つの常識(キリスト教を背景にしている)を数式化したもの:

A=B(X+Y)

 A:現在生きている特定の人(自分でもよい)

 B:臨終と共に離脱していく生命体、俗語でいう魂。魂とは、永遠普遍のもので、病むことも老いることもない。愛そのものと定義。

 X:成育史等をベースにした心(臨床心理学の対象)。

 Y:医学の対象となる身体。

 この数式を見てわかることは、生身の人間には、愛そのものがあるものの、心と身体のフィルターを通す中で現実的には変わってしまうという点である。しかし、愛そのものが含有されているという思想である。

 この思想は、日々の生活の中で具体的に役に立つ。空理空論と違うように思う。

 人は生まれ落ちてから、好きな人の中だけで生活をするわけではない。さまざまなしがらみの中、どんなに嫌いであっても、密に接しなければならない状況もある。特に成人して、社会人となり、人と密に接する職業を選んだりする場合は深刻である。

 愛とは何か。よく定義は何かと聴かれる。生き甲斐の心理学では、各自が愛と思うモノと定義している。したがって、私の愛の定義は私流なのであるが。やはり、ここに今愛されて生きているという実感が大切なのだと思う。そして、愛は好き嫌いを超えている。そんなようにも思う。

好き嫌い 8/10

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嫌いな人を好きなる人間観① (好き嫌い 7/10)

2011-08-17 | 第二章「五感と体感」

 来年のNHKの大河ドラマは「平清盛」だそうである。そろそろ配役情報がでてきたりしているが楽しみである。そして、気になる原作であるが、どうも原作なしとのこと。

 丁度、吉川英治の新平家物語を読んでいるが、配役等の情報を見る限り、今回の原作はないとはいえ、新平家物語の影響は大きいように感じる。

 新平家物語は文庫で16冊。その原稿量は積むと、吉川英治の奥様の背丈を軽く超えたそうである。そんな大作で、夏から読み始めているが、まだ1/4くらいしか進んでいない。今年中に読めれば良いと思うが、どうだろうか?

 しかし、その内容はU先生も指摘されているが、生き甲斐の心理学を吉川英治さんは勉強したのかと思うほど、理にかなったストーリーである。

 そんなこともあり、昨日、ちょっと遠かったが青梅の吉川英治記念館に足を伸ばしてみた。

 青梅の記念館は、戦後吉川英治が赤坂から青梅に引越し、50歳台後半から新平家物語を書いた場所である。灰燼に帰してしまった戦後の時期に、院政で末期的政治状況から生まれた平清盛他の新しい武家政治への流れを描いたのだ。

 丁度、東日本大震災で、ある意味灰燼に帰した現代、そして政治状況に似ている。

 そして、その中でも明るくイキイキと生きる人(例えば麻鳥)を描く。そのベースになるのは、恐らく哲学・宗教といったものなのだろう。そして、それが、日々の生活の中で、肯定的な人間観として機能していく。ちょっと話は飛ぶが、万人の基本的人権思想は哲学・宗教の知識なしに考えられないのと似ている。

 さて、この数日、嫌いな人を好きになることを考えてきているが、やはり本質論も必要だと思う。嫌いな人が好きになるのは、心理学的な方法もあるが、やはりその人が持つ人間観が大きい。柱がなくては難工事は難しい。

 人とは何か。

 生き甲斐の心理学は、人の身体は神の神殿という、聖パウロの思想を大事にしている。しかし、これは何もキリスト教の専売特許ではなく、例えば仏教でも同じようなことがある。

 新平家物語に白拍子の祇王が尼僧になるまえに、悲しく今様を歌うシーンがある。その今様の文言は、仏性についてである。

 仏も昔は凡夫なり

 われらも終(つい)には仏なり

 いづれも仏性、具せる身を

 隔つるのみこそ悲しけれ        (吉川英治文庫50 125ページより)

 明日は、嫌いな人を好きになるための人間観をさらに考察してみたい。

 好き嫌い 7/10

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(新平家物語も執筆した書斎)