物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

1965年以降の武谷

2008-04-08 11:05:18 | 物理学

日本人は外国の人の論文はよく引用したり、評価するが日本の同様な仕事は評価しないと言われる。少なくとも武谷がこういって在米の日本人の物理学者を非難したことは私の記憶にも新しい。

しかし、武谷が自分の指導していた核力グループで特に広島グループが大きな寄与をなしていた時代があったのだが、それを武谷が正当に評価していたかどうかは疑わしいという気がする。

それが遠因をなしているのかどうかはわからないのだが,その後の坂東弘治さんたちのハイペロンの研究でもOBEモデルはNN散乱で世界で多分はじめに広島グループが始めたということをもう覚えている人は彼らのグループにもいないのではないか。

山本さんという、坂東弘治さんの共同研究者であった人のその分野の日本語で書かれた概観を最近見たのだが,坂田モデル、武谷の方法論は言及されていたが、それを発展させたOBEモデルの広島グループの寄与はまったく書かれていない。

もちろん、ハイパーチャージが入った反応についての坂東さんたちの功績は大きいのだろう。だが、それにしてもOBEモデルをSU(3)に一般化したオランダのグループの評価だけが特筆されるというのはどういうことだろうか。

OBEモデルの主要な提唱者である、Yさんなどは多分に正当に評価されていないことに苛立っていたとしてもおかしくはないだろう。

もちろん、Yさんが苛立っていたという感じは少なくとも私はもっていないが、これが武谷を指導者として広島グループが受け入れがたかった理由かもしれない。

もちろん私自身はそのグループの端にしかいなかったので、このグループの業績への寄与がある訳ではないが、どうも評価が低すぎるというか業績がまったく無視されているという気がする。

武谷は自分が研究を指導して来た核力グループの崩壊とともに自分が足場とする研究グループとして一時ではあるが、広島グループに期待をかけたと私は思っている。

だが、彼はなんでも自分が言い出したことを単にグループのメンバーが詳細な研究で確かめたという風な評価するところがあった。オリジナリティの起源は自分にあるという風に。

それで結局、武谷はFさんを中心とした宇宙線のグループと宇宙の問題へと研究方向を変えたと思われる。この宇宙線の研究は世間にあまり受け入れられなかったように思われる。

しかし、これが本当にあまり成果を上げなかったのかどうかは冷静に検証しなければならない。