友人のHさんから、R大学に長く勤めておられたFさんの「私の見てきた素粒子物理学の40年」を貸してもらって読んでいる。まだ半分も読んではいないのだが、いくつか記録しておく。
Fさんは私たちの先輩である。Lee-Yang のparity非保存の論文が出たときにparity非保存の実験まで提唱したことにその仕事の徹底さと深さに感じ入ったとある。
これを見て思い出したのだが、先回の2006年の同窓会のときにやはりこのことが会食の後でだったかその前だったかは忘れたが、もう一人の先輩Sさんの反応との違いが印象に残っている。
Sさんは負けず嫌いなのでLee-Yangと同じようなことをちょっと考えたという風なことを言われていたが、Fさんは潔くLee-Yangとの差を認めていた。それを率直に認められるだけFさんの考えとか力量が大きいという風にそのとき感じた。逆説的だが、率直に差を認められるだけその人の力量とか認識の差が出ると思う。
Sさんも才能ある物理学者だと思うし、その現在でも研究に熱心な人であることは認める。だが根本的なところでFさんと力量の差があるような気がした。
もう一つ気がついたことはFさんがdispersion relation を使った研究を終生のライフワークとしたきっかけについてである。これは彼が弱い相互作用の研究をしていて、dispersion relationの有用性に気がつき、それを核力研究に使い出したことにあるという。
私の知っているF-Machida両氏のNuovo Cimentoの論文で町田氏がFさんに分散公式を核力研究に使うことを薦めたのかと考えていたが、これはまったく違うらしい。もちろん町田氏は核力研究の専門家であったから、NN散乱のあれこれをFさんが町田氏から学んだということはあるだろう。でも主体性はFさんにあったという風に思える。
これで思い出すのはS-Yの素粒子の質量公式のことである。私たちの先生OさんたちがIOOシンメトリーを提唱した頃、Sさん、Yさんが共同で質量公式をU(3)対称性にもとづいてつくった。これは誰が考えてもOさんの指導で質量公式をつくる仕事を始めたと考えるだろう。ところが事実はそうではないらしい。
Yさんの語るところによれば、 F、Y、Sの諸氏は一緒にK中間子がpionとleptonとに崩壊する3体崩壊を研究していたが、このときに未知の粒子を仮定していたらしい。それで武田暁先生にデータのambiguityと未知の粒子の質量があいまいだとのambiguityの2乗では研究にならないと批判されたらしい。それではその未知の粒子の質量を予測しましょうということが動機で質量公式の研究を始めたとは直接Yさんから何度か聞いたところである。
もちろん運よくIOO対称性の研究が近くで行われており、その知見を活用することができたのは事実だろう。だが、外から容易に推測するような動機で研究が進められたわけではないということは興味深い。こういうことは近くにいる人でないと知ることができない。
上のFさんのdipersion relationの核力研究への適用もそういう事例であろう。武谷の核力研究の方針やそれらについて武谷が書いたところを読めば、どうしても武谷の示唆によって核力にdispersion relationを用いることが行われたという風に外からは解釈がされがちだ。それは単純にそういうことではないことがわかる。
ただ武谷の名誉のためにいうと、いろいろなものが出てきてもそれを十分に位置づけることを心がけていたとはいえるだろう。このことは多分坂田昌一にも同じことが言えるだろうと思う。