友人の数学者N先生から『倉田玲二朗の人と思想』という副題のついた『万人の学問をめざして』(日本評論社)を送ってもらった。倉田さんはN先生の九州大で教えてもらった先生の一人である。
いつか高知大学に行ったとき倉田さんに会いに行こうとN先生にいわれたのだが、時機を得ないうちに倉田さんは亡くなってしまった(注1)。
私は倉田さんのことをそれほどよくは知らないのだが,倉田さんの一番有名な著書は森北出版の『数学と物理学の交流』(森北出版)だろう。この著書を残念ながら私はもっていない(注2)。わずかにもっているのは『数学の天才と悪魔たち』という著書1冊のみである。
森毅さんが倉田さんのことをしばしば書いているので、どんな人か関心をもってはいた。森さんによれば数学を過剰に勉強をして人に教えるということであった。
銀林浩さんとか倉田さんとかは左翼でかつ数学者である。数学者は一般に固くて融通が利かない人が多いが(すみません数学者さん)、倉田さんや銀林、森さんたちはちょっと違っているようである。
森さんは酒を飲まない人だが、倉田さんは酒好きの方であったらしい。香川県丸亀市の出身である。
彼らは東京工大の遠山研究室に出入りをしていたらしい。遠山啓先生はいわゆる狭い意味の左翼ではないが、幅が広くてそういう数学者たちを愛していたということだろうか。
もっとも文部省は遠山さんを共産党よりの左翼とみなしていたのだろう。それは彼らの数学教育協議会が水道方式を提唱して暗算を排し、筆算を重んじたことによるらしい。
塩野直道という数学の教科書を書いていた人がいたが、その人の主張と真っ向から反対であった。この塩野さんは文部省路線の人であり、正田健次郎という有名な数学者と二人で著した啓林館の教科書で中学校のときに私は数学を学んだことを覚えている。
しかし、数学教育協議会が暗算を排したとはいっても一桁の整数の暗算を排した訳ではない。一桁の整数の暗算は「基礎暗算」といわれ、水道方式の数学でも重要な一つの要素になっている。
さらにいえば、数学教育協議会では一桁の整数の足し算引き算も5-2進法という方法で教えるので、児童にはとてもわかりやすくなっている。
(注2) オンデマンド出版か何かで『数学と物理学の交流』を購入して現在はもっている。そしてこれは微分形式の入門書としても役立てることができる。倉田さんの一番有名な著書はこの『数学と物理学の交流』(森北出版)であろう。
その後、丸亀に N さんと一緒に倉田夫人を訪ねて歓待を受けた。倉田夫人は N さんをはじめとする、倉田さんの教え子さんたちのことをよくご存じであり、また愛しておられると感じた。