encourageとは日本語で言うと「励ます、激励する」とでもなろうか。encourageの反対語はdiscourageである。
これらの語の中にcourageが入っている。これは「勇気」とか「元気づけ」とでも訳されるだろうか。英語の発音をカタカナで表すとカレージとでもなって、単科大学を表すカレッジとよく似た発音になってしまうが、r と l との違いがある。
フランス語ならクラァージュと発音される。Bon courageというと日本語で言えば、「がんばってね」とでもいうニュアンスだろう。もっともこれをフランス語を知らない日本人が聞いたら、「ぼんくら」と言われたと勘違いするかもしれない。発音はボン クラァージュである。
私たちのテニスクラブに最近入ってきたKさんは学校でテニスをやっていたらしいが、私のテニスを見て、あまりミスが多いので、いつも気の毒に思っているのだろう。たまに私のいいショットがでたりでもすると、「もっと喜んだらいいのに」と元気づけてくれる。
だが、本人である私はたまたま出たいいショットなので、うれしいと感じたことはない。私の反応がいかにも人間らしさに欠けて奇妙だと感じているのだろう。
だが、励ましてくれるという感覚はよくわかる。しかし、私たちのテニスクラブは他のプレイヤーの方が私よりは上手なのだから仕方がない。
それで思い出したのだが、昔、はじめてレターと呼ばれる研究論文短報を友人と二人で書いてそれが雑誌に出版された後に、O教授とY助教授に「もっと自信を持て」とencourageをされたことを思い出した。
しかし、このときも励ましてくれる先生方に気の毒なくらい、私自身は自信がもてたり、元気にならなかった。多分、しょんぼりと私はその当時もしていたのだろう。
自分自身にまったく自信がないのかといわれればそうとも単純には言いかねるが、自信満々だったことはない。だが、そういうこともあったなと思い出した、この頃である。
discourageされたことは何回もあるが、こちらの方は都合よく忘れてしまった。しかし、encourageされたことはそういう機会が少ないだけに忘れないものである。