武谷三男のある本を読んでいて知ったこと。
もっともこれがどの本であるのかはっきりしない。いま、それがなにであったか調べているが、まだみつけていない。
武谷は科学至上主義だと思われているが、そういう取り方はとても皮相なものだと思う。
彼は、科学はそのときどきで認識には限界があるという考えである。しかし、その後、時代が進めば、もちろん認識の程度は上がってくる。だから、そのときの認識だけで将来の議論を狭めてしまうことは反対である。
そこが単なる科学至上主義ではない。むしろ科学の斬進性を考慮した考えである。そういう意味では広い意味での科学至上主義かもしれないが、少なくとも世の中は自然科学だけでは決まらないと考えている。
こういう考えのできる人は狭い意味の科学至上主義ではない。