b と d との区別がつかなかった子どものことを琉球大学の数学のO先生が雑誌『数学教室』(国土社)の6月号で書かれている。
これはOさんのカナダでの経験だが、実際に私が小学6年生のときに経験したことでもある。b, d と p とは私にはなかなか区別がつかなった。
もともと私は左と右との区別がなかなかできない方なのでそういうことに照らし合わせば、別に取り立てて不思議なことでもない。
Oさんの書かれた記事を読んで私は苦笑してしまった。ヤンという名のカナダの子どもが b と d とが区別ができなかったのであるが、彼はポーランドからの移民の2世の子どもである。
だから、b と d とが区別がつかないのもある程度はしかたがないかもしれない。
私が小学校の6年生になったときにローマ字の授業時間でローマ字で書かれたテキストを朗読するということをさせられた。
それで前の日に声を出して読む練習をするのだが、この b と d と p とが出てくるとごちゃごちゃになって何と読むのかわからなくなる。
毎回、そばにいる母にその字の読み方を確認しなければならなかった。
もっともそういう朗読の練習をするということで自然と b と d と p との区別がつくようになった。
しかし、昔の私のような子どもがいるのだという、ある種の普遍性があることを知った。
(付記)右と左の区別がなかなかつかない人がいることは私に起きた特殊な現象というわけではなさそうである。有名な物理学者の Feynman もどこかで自分には左右の区別がつかなかったと述べておられた。
ある方に「自分には左右の区別がつかない」と言ったら、幼少時に左利きを右利きに修正されたのではないかと即座に言われたことがある。そうかもしれない。
そういえば、私の子どもの一人も字は右で書くがボール投げたりするときは左利きである。私も中学校くらいまで休み時間に友だちと相撲をとったりするときは左手で投げを打つのが普通だった。
2年ほど前に肩を痛めて数か月間、整形外科に通ったが、そこで握力検査をしたら、左手の方が握力が強かったので検査してくれた看護師さんから「利き腕は右手ですよね」と不思議がられた。
その理由は私にはよく分からないのですが、大脳の読書中枢の形態的あるいは機能的な問題があるのでしょうが、それには左右の優位性の問題も関係していると思います。
とにかく脳の出来方に凸凹があるのでしょう。今は発達障害は発達凸凹と理解されています。あの俳優のブラッドピットは失顔症で人の顔がなかなか覚えられないそうです。
コメントいつもありがとうございます。
いろいろあるものですね。 年令とともにこの失読症は改善されるのでしょうか。それとも?。
ブログでも書きましたように、私自身が小学校6年になったときにローマ字を読む練習をするまでなかなかbとdとpとを区別できなかったですから。
もっともその後これについては不便を感じたことはありませんが。
エジソン、アインシュタイン、黒柳徹子など天才が多いそうです。
日本語、イタリア語など字と母音が一致している場合は頻度が少なく、フランス語や英語など余分な字がはいっていると多いらしいですね。