ここ1週間くらい専念してきた、徳島科学史雑誌の投稿原稿の校正が終わってさきほど編集者に返送した。
今回も校正箇所が多かった。今回は9月におおあわてで論文を書いて、ぎりぎりで提出期限に間に合わせたので、推敲が足りなかった。
もっとも推敲すれば、いつでも文章がよくなるというものでもないが、だいたいは推敲をよくするほうである。
ぱっと書いた文章は重複が多かったりと後で見たら、なにを言いたいのか自分でもわからないことが多い。
それと今回は修正原稿も同時に同封した。こういうことはいままでしたことがなかったが、校正稿が分かりにくい場合を思ってのことである。
また別に編集者宛にはメールでlatexの原稿を送付しておいた。
それに編集者が親切にまだ10ページ目に余白が半分以上残っているから何か書けますよと余白を埋めることを勧めてくれた。なかなか親切なアドバイスである。
それで校正時追加を書いた。これは本当は推敲の段階が十分あれば、書こうと思っていたことである。
(注)校正の終わった投稿論文タイトルが「他人から見た武谷三男6」というのである。今年がシリーズの6度目の論文ということであった。Taketani Mituo who ?って思われる人が現在ではほとんどだろう。今年で没後20年となる。ここでは湯川秀樹、坂田昌一らとの共同研究論文のある物理学者とだけ言っておこう。
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