私の書くこのブログのテーマは外国語と数学とがどうしたものか多い。その割には外国語の力も数学の力もそれほどではない。
昨日、S 先生を偲ぶ会を松山市のさるホテルでしたのだが、そのときに新潟から来た T さんがニュートリノ振動とそのCPの破れの現状について話をされた。
私はこの分野にくらいのだが、それでも関心が芽生えた。雑誌『数理科学』の6月号にこのことを書いたという。まだ6月号は発行にはなっていないが。
T さんは大学院時代はハドロンの物理をやっていたのだが、大学に勤務するようになってレプトンの物理を専門とするようになったという。いま1964年は黄金の64年と言われているそうである。
そのころに大学院生であったのだが、いまのように言われるようになるとはだれが想像しただろうか。亡くなった S 先生、O 先生とまだ存命のもう一人の S 先生が岩波の雑誌『科学』に「ニュートリノの物理学」というテーマで連載記事を書かれていた。それを T さんがそれを読みたいという。たまたま私はその連載記事の別刷をもらってそれを製本して持っているので、コピーを送ってあげると約束した。
牧、中川、坂田のニュートリノ混合のその当時の評価を知りたいのだという。当時はそういうのがあるなという感じだったと思うが、それほど評価されていたとは思えないという印象をもっている。なかなか将来の重要性は見通せないものである。
昨日、S 先生を偲ぶ会を松山市のさるホテルでしたのだが、そのときに新潟から来た T さんがニュートリノ振動とそのCPの破れの現状について話をされた。
私はこの分野にくらいのだが、それでも関心が芽生えた。雑誌『数理科学』の6月号にこのことを書いたという。まだ6月号は発行にはなっていないが。
T さんは大学院時代はハドロンの物理をやっていたのだが、大学に勤務するようになってレプトンの物理を専門とするようになったという。いま1964年は黄金の64年と言われているそうである。
そのころに大学院生であったのだが、いまのように言われるようになるとはだれが想像しただろうか。亡くなった S 先生、O 先生とまだ存命のもう一人の S 先生が岩波の雑誌『科学』に「ニュートリノの物理学」というテーマで連載記事を書かれていた。それを T さんがそれを読みたいという。たまたま私はその連載記事の別刷をもらってそれを製本して持っているので、コピーを送ってあげると約束した。
牧、中川、坂田のニュートリノ混合のその当時の評価を知りたいのだという。当時はそういうのがあるなという感じだったと思うが、それほど評価されていたとは思えないという印象をもっている。なかなか将来の重要性は見通せないものである。