私の在職していた E 大学のドイツ語の先生は一時は10人近くいたのだが、現在は3人になってしまっているという。
大学の第2外国語としての「ドイツ語の没落」である。もうすでに私が大学の学生だったころに「ドイツ語第二漢文論」というのがあって、これは東京大学の物理の先生であった玉木英彦先生が唱えられた論である。
私が大学の学生のころすでに漢文が日本で不人気になったが、それと同様な運命をドイツ語が辿るというのであった。ところがその後、若い人が増えて大学への進学率も上がり、学生が増える一方であり、大学の物理の教師として就職することは困難になっていたが、ドイツ語の先生はどんどん増えて行った。
もっと私の妻などに言わせるとドイツ語を話せないドイツ語の先生が多かったとのことで、これは私などもそのことを見聞きして知っている。
そのために母語としてドイツ語を話す先生の苦労は並み大抵ではなかった。というのは少しでも日本人のドイツ語の教師がドイツ語を話せるようにしたいという思いからいろいろな試みをされたからである。
その中に日本円の価値が上がって来て、日本人がドイツやスイスやオーストリアに簡単に行ける時代が来て、だんだん達意のドイツ語を話せるとは言えないまでもドイツ語の先生がドイツ語を話すのが普通になってきた。
それでも達意のドイツ語を話せる方はそれほど多くはないが、それでもそこそこにドイツ語を話すことができる先生は多い。ところが段々世間の方の要求が小さくなってきて、ドイツ語を学ぶ人が少なくなってきた。
これは大学人でももう第2外国語はいらないとかいう人たちが出て来て、大学院の試験からも第二外国語を外すという時代になっている。これは第二外国語を大学院の入試に課すると学生があまり受験してくれない。
要するに次第に小さな器量の持ち主の学生ばかりになってきた。世の中がそういう風になってくると専門家もある程度それに対応しないといけない。
それでかとは思うが、テレビやラジオのドイツ語講座でも動詞の人称変化は1人称と2人称の変化しか教えないという現状である。それでないと学ぶ人が急激に少なくなるのであろうか。
誠に嘆かわしい時代である。
大学の第2外国語としての「ドイツ語の没落」である。もうすでに私が大学の学生だったころに「ドイツ語第二漢文論」というのがあって、これは東京大学の物理の先生であった玉木英彦先生が唱えられた論である。
私が大学の学生のころすでに漢文が日本で不人気になったが、それと同様な運命をドイツ語が辿るというのであった。ところがその後、若い人が増えて大学への進学率も上がり、学生が増える一方であり、大学の物理の教師として就職することは困難になっていたが、ドイツ語の先生はどんどん増えて行った。
もっと私の妻などに言わせるとドイツ語を話せないドイツ語の先生が多かったとのことで、これは私などもそのことを見聞きして知っている。
そのために母語としてドイツ語を話す先生の苦労は並み大抵ではなかった。というのは少しでも日本人のドイツ語の教師がドイツ語を話せるようにしたいという思いからいろいろな試みをされたからである。
その中に日本円の価値が上がって来て、日本人がドイツやスイスやオーストリアに簡単に行ける時代が来て、だんだん達意のドイツ語を話せるとは言えないまでもドイツ語の先生がドイツ語を話すのが普通になってきた。
それでも達意のドイツ語を話せる方はそれほど多くはないが、それでもそこそこにドイツ語を話すことができる先生は多い。ところが段々世間の方の要求が小さくなってきて、ドイツ語を学ぶ人が少なくなってきた。
これは大学人でももう第2外国語はいらないとかいう人たちが出て来て、大学院の試験からも第二外国語を外すという時代になっている。これは第二外国語を大学院の入試に課すると学生があまり受験してくれない。
要するに次第に小さな器量の持ち主の学生ばかりになってきた。世の中がそういう風になってくると専門家もある程度それに対応しないといけない。
それでかとは思うが、テレビやラジオのドイツ語講座でも動詞の人称変化は1人称と2人称の変化しか教えないという現状である。それでないと学ぶ人が急激に少なくなるのであろうか。
誠に嘆かわしい時代である。