書くことがあってもなくても何か書く。
それが私のブログではあるが、やはりなかなか厳しいところもある。もちろん書くのは日曜日を除いてではあるけれども。
先日、私の先生の一人のS先生の追悼文はすでに書いていたのだが、それに追加するつもりで下書きをしていた補遺の分を今日は入力した。これは大学に在職中によく行っていたレストランとかスナック居酒屋の名前も忘れて思い出せなかったいうことがあるので、やはり記録にとどめておいた方がいいと思いはじめたからである。
よく行っていた出雲屋二番町店の名前を思え出せなくてショックを受けた。友人や知人が松山に来たときにはそこに夕食に連れて行くのが私の常にしていたのに。そこのお店のご主人が亡くなってしまって、もうお店はない。
記憶に残っているお店の一つということである。そういう風にいえば、行きつけだったスナックも居酒屋も閉店してしまってもう行ってみようにも行くことができない。そういうお店は私の知っているだけでも4軒から5軒はある。毘沙門坂にあった五味鳥もそういうお店の一つである。「牛行くや毘沙門坂の秋の暮れ」という小ぶりな句碑の前のお店であった。
御主人が亡くなった後もおかみさんが数年は学生のアルバイト店員を使ってお店を切り盛りしていたが、私の定年退職のときと同時に廃業された。別に相談があったわけではないので、示し合わせた訳ではないのだが。
それが私のブログではあるが、やはりなかなか厳しいところもある。もちろん書くのは日曜日を除いてではあるけれども。
先日、私の先生の一人のS先生の追悼文はすでに書いていたのだが、それに追加するつもりで下書きをしていた補遺の分を今日は入力した。これは大学に在職中によく行っていたレストランとかスナック居酒屋の名前も忘れて思い出せなかったいうことがあるので、やはり記録にとどめておいた方がいいと思いはじめたからである。
よく行っていた出雲屋二番町店の名前を思え出せなくてショックを受けた。友人や知人が松山に来たときにはそこに夕食に連れて行くのが私の常にしていたのに。そこのお店のご主人が亡くなってしまって、もうお店はない。
記憶に残っているお店の一つということである。そういう風にいえば、行きつけだったスナックも居酒屋も閉店してしまってもう行ってみようにも行くことができない。そういうお店は私の知っているだけでも4軒から5軒はある。毘沙門坂にあった五味鳥もそういうお店の一つである。「牛行くや毘沙門坂の秋の暮れ」という小ぶりな句碑の前のお店であった。
御主人が亡くなった後もおかみさんが数年は学生のアルバイト店員を使ってお店を切り盛りしていたが、私の定年退職のときと同時に廃業された。別に相談があったわけではないので、示し合わせた訳ではないのだが。