「東海の科学史」11号を N さんから送ってもらった。このNさんの書かれた「戦争前後の武谷三男」は原稿ができた直後にNさんがメールで送ってくれたので、読んでいくつかの小さなコメントをした。原稿は修正を加えられているのであろうが、大筋はすでに読んでいる。
N さんは武谷家を訪れて、武谷家所蔵の文書や手紙にあたって、戦争前後の武谷三男の就職に関する状況や友人、知人との交流等を武谷の残した自伝『思想を織る』(朝日新聞社、1985)等を参照して、詳述しており、いままで知られていなかったことも発掘している。多分、時代を追って武谷の人生の履歴がわかるようになるであろう。これらについては N さんの今後の研究を期待している。
ただ、もう少し言及してほしかった点もある。「技術論をめぐって」題する節では武谷技術論と「労働手段体系説」についての N さんの現在の見解はまったく語られていない。中村静治「技術論争史」(青木書店、1975)を引用されるが、中村もこれらの論争について書いてあるのだが、そのことにはまったくふれていない。この先、ふれるつもりがあるのかどうかもはっきりしない。
前にメールで原稿を送ってもらったときに直接 N さんに不満に思う点があると言ったかどうかははっきりと覚えていないが、この論文についていえば、この点は不満に感じた点である。N さんからは武谷の思想についてはなかなか難しくてとメールで返事をくれた。こういう側面を今後掘り下げてほしい。
武谷は多くの論争の的となっているし、また論争のタネを残した。私もそのいくつかのとりあげて議論したことがあるが、もだもちろん十分ではない。N さんにももうちょっと突っ込んだ議論もしてもらうことを期待したい。
実はこの11号を読んで興味を覚えたのは N さんの論文ではなくて、高木仁志氏の『板倉聖宣氏の無天才論」と「無神論」』であった。
いわゆる「仮説実験授業」というグループに属する人、高木さんが論じた板倉の科学的認識論である。
板倉の科学的認識論というか教育における実践活動が彼の予想論から仮説の設定へと進み、また強力な科学史と教育における実践は「天才はいない」と「神はいない」という二つの柱に支えられているという。
「天才はいない」というときに誰でも天才と同じように教育の現場で考えられるいう強い信念があると思われる。これは信念であると同時に実践を通じた実感でもあると感じられる。
私は「天才がいない」とまでは言い切る信念を持ち合わせないが、それでも天才だけが考えつけるが、凡人には科学的研究において思いつくことは不可能だという見解はとりたくないという強い感覚をもっている。そこらあたりは自分自身のもっている経験なり、希望なり、志であると思っている。
実際にはたとえばガリレオ・ガリレイの時代に生きていたとしたら、ガリレイと同じことを考えつくことは難しかったろう。だが、幸いなことに私は現代に住んでいる。いまは情報化社会である。そういう意味では歴史的な後知恵の恩恵を受けている。
地動説をガリレオの主たる科学業績と考えることは果たしてどうなのだろうかという気がする。移動説の有力な支持者とガリレオはなったのだが、そしてそれは武谷もよくいうようにまた著者の高木も述べているようにただ望遠鏡をのぞいてみればいいということであったろうが、地上の物体の運動を斜面をもちいて、また摩擦が少ない素材をつかって、うまく調べたことがガリレオの最大の業績であろう。ここには科学において一番主要な側面をあぶり出し、その研究に集中した点でやはり点で天才という名に値する。
ただ、誤解してほしくないのはガリレオのみがなし遂げることができたことであって、私たちにはどうしようもなかったとは考えたくはないという気持ちが強い。そういう意味では「天才はいない」とは言い切ることはほどの信念まではもてないけれども誰にでも同じようなことができるべきだという強い信念が私にはある。
それがどこから来るのかはわたしにもわからないが、科学とはそういうものだという経験というか感覚である。高木さんに私の感想を届けたいと感じているが、届く方法はあまりなさそうである。
N さんは武谷家を訪れて、武谷家所蔵の文書や手紙にあたって、戦争前後の武谷三男の就職に関する状況や友人、知人との交流等を武谷の残した自伝『思想を織る』(朝日新聞社、1985)等を参照して、詳述しており、いままで知られていなかったことも発掘している。多分、時代を追って武谷の人生の履歴がわかるようになるであろう。これらについては N さんの今後の研究を期待している。
ただ、もう少し言及してほしかった点もある。「技術論をめぐって」題する節では武谷技術論と「労働手段体系説」についての N さんの現在の見解はまったく語られていない。中村静治「技術論争史」(青木書店、1975)を引用されるが、中村もこれらの論争について書いてあるのだが、そのことにはまったくふれていない。この先、ふれるつもりがあるのかどうかもはっきりしない。
前にメールで原稿を送ってもらったときに直接 N さんに不満に思う点があると言ったかどうかははっきりと覚えていないが、この論文についていえば、この点は不満に感じた点である。N さんからは武谷の思想についてはなかなか難しくてとメールで返事をくれた。こういう側面を今後掘り下げてほしい。
武谷は多くの論争の的となっているし、また論争のタネを残した。私もそのいくつかのとりあげて議論したことがあるが、もだもちろん十分ではない。N さんにももうちょっと突っ込んだ議論もしてもらうことを期待したい。
実はこの11号を読んで興味を覚えたのは N さんの論文ではなくて、高木仁志氏の『板倉聖宣氏の無天才論」と「無神論」』であった。
いわゆる「仮説実験授業」というグループに属する人、高木さんが論じた板倉の科学的認識論である。
板倉の科学的認識論というか教育における実践活動が彼の予想論から仮説の設定へと進み、また強力な科学史と教育における実践は「天才はいない」と「神はいない」という二つの柱に支えられているという。
「天才はいない」というときに誰でも天才と同じように教育の現場で考えられるいう強い信念があると思われる。これは信念であると同時に実践を通じた実感でもあると感じられる。
私は「天才がいない」とまでは言い切る信念を持ち合わせないが、それでも天才だけが考えつけるが、凡人には科学的研究において思いつくことは不可能だという見解はとりたくないという強い感覚をもっている。そこらあたりは自分自身のもっている経験なり、希望なり、志であると思っている。
実際にはたとえばガリレオ・ガリレイの時代に生きていたとしたら、ガリレイと同じことを考えつくことは難しかったろう。だが、幸いなことに私は現代に住んでいる。いまは情報化社会である。そういう意味では歴史的な後知恵の恩恵を受けている。
地動説をガリレオの主たる科学業績と考えることは果たしてどうなのだろうかという気がする。移動説の有力な支持者とガリレオはなったのだが、そしてそれは武谷もよくいうようにまた著者の高木も述べているようにただ望遠鏡をのぞいてみればいいということであったろうが、地上の物体の運動を斜面をもちいて、また摩擦が少ない素材をつかって、うまく調べたことがガリレオの最大の業績であろう。ここには科学において一番主要な側面をあぶり出し、その研究に集中した点でやはり点で天才という名に値する。
ただ、誤解してほしくないのはガリレオのみがなし遂げることができたことであって、私たちにはどうしようもなかったとは考えたくはないという気持ちが強い。そういう意味では「天才はいない」とは言い切ることはほどの信念まではもてないけれども誰にでも同じようなことができるべきだという強い信念が私にはある。
それがどこから来るのかはわたしにもわからないが、科学とはそういうものだという経験というか感覚である。高木さんに私の感想を届けたいと感じているが、届く方法はあまりなさそうである。