明日からは雨になるので、今日が花見のできる最後の日とかいうことで石手川の上流にあたる岩ぜきのあたりのサクラを見に行こうと妻に誘われた。昨日も妻は友人とそこに出かけてきたという。
その近くのスーパーでお弁当と飲物を買って、石手川の土手に出る。ここは川沿いで暖かいせいか桜が満開である。まだ、それほど桜が散る気配もなく、お花見の客も結構多い。
ウィークデーであるから、私のような老人はともかくとして若い男性は少ないようであるが、子ども連れとかも多い。ゴザやシートを敷いて座り、弁当や飲物を食べたり、飲んだりしている。
「そめい吉野」の白いサクラと愛媛の人が品種を育てたといわれる、濃い赤の「陽光」の適当なミックスされて植えられており、とてもきれいである。それにここは石手寺の近くでもあり、石手寺の背後の山に屹立している、お大師(弘法大師)さんの像もこの石手川沿いのサクラを嘆賞しているかのようである。
あさ、朝食後に
花のもとにてわれ死なんそのきさらぎの望月のころ
という西行の和歌を思い出していた。この言葉の通りに西行は桜の咲くころに亡くなったという。
きさらぎとは2月のことだが、旧暦の2月は3月の終りか4月の初めごろであろう。
その近くのスーパーでお弁当と飲物を買って、石手川の土手に出る。ここは川沿いで暖かいせいか桜が満開である。まだ、それほど桜が散る気配もなく、お花見の客も結構多い。
ウィークデーであるから、私のような老人はともかくとして若い男性は少ないようであるが、子ども連れとかも多い。ゴザやシートを敷いて座り、弁当や飲物を食べたり、飲んだりしている。
「そめい吉野」の白いサクラと愛媛の人が品種を育てたといわれる、濃い赤の「陽光」の適当なミックスされて植えられており、とてもきれいである。それにここは石手寺の近くでもあり、石手寺の背後の山に屹立している、お大師(弘法大師)さんの像もこの石手川沿いのサクラを嘆賞しているかのようである。
あさ、朝食後に
花のもとにてわれ死なんそのきさらぎの望月のころ
という西行の和歌を思い出していた。この言葉の通りに西行は桜の咲くころに亡くなったという。
きさらぎとは2月のことだが、旧暦の2月は3月の終りか4月の初めごろであろう。