物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

またパソコンのトラブル

2024-09-17 17:23:39 | 本と雑誌
またパソコンのトラブルがあった。しばしばパソコンのトラブルを起こす。このブログを書いている本人が相当もうろくしているのだから、しかたがないのだが。

また、これはパソコンのトラブルとは別だが、せっかく入力しておいた「武藤徹先生の著作」というブログを削除してしまった。これは二つ入力していた昨日のブログがあってそのどちらかを削除したつもりが削除しなくてもいいはずの「武藤徹先生の著作」のほうを削除してしまった。

そして、ここに何を書いていたか自分では思い起こせないという始末である。
削除の措置をとるときには十分注意をしているつもりなのだが、そうでもなかったといういい例である。


武藤先生の本の評判

2024-09-16 08:16:20 | 数学
武藤先生の本の評判について書いてみたい。

著作は40冊以上というのはどうやら正しそうだ、ところが私が頂いた何冊かの本のうちで三省堂の『体系が見えてくる数学』の3冊本がアマゾンの評価ではあまりよくない。

私自身もこれがよくわかるという風にはあまり感じてはいない。ときどき参照するときに見るくらいである。一方日本評論社の『武藤徹の高校数学読本』全6冊は満点なら5つ星のところ4.5点をとるのはとても難しいので、とてもよいと手放しでほめてもいい。

私も数冊の本を書いているが、5つ星のところ4.5点をとるのはとても難しいことを知っている。武藤先生の本で評判がいいのは『算数・数学用語事典』である。これは5つ星のところ満点の5点である。

こちらの本は私も辞書としてときどき使うが、初等的な数学用語の英訳があって便利である。最近も対頂角とか同位角、錯角とかの英語を調べた。

ちなみに対頂角とか同位角、錯角はそれぞれ英語でvertically opposite angle, corresponding angle, alternate angleというらしい。80歳半ばになってようやく知った初等数学の用語である。

どこにも勤めていないのに

2024-09-14 17:13:40 | 本と雑誌
どこにも勤めていないのに忙しい。

本来なら、午前中にこのブログを書くはずだったのに、今頃になって書いている。毎日が暇で時間をつぶすのにどうしたらよいかと思っている老人は多いのに。妻などは最近友人、知人とマージャンで一日を過ごすこともあるのに。

現在しなくてはいけないことは
(1)Nさんの『武谷三男の生涯』の原稿の注の部分が確かにその通りに引用 
   箇所がなっているか調べること。
(2)数学・物理通信の14巻5号の編集にとりかかること
(3)毎週土曜日のただ塾の数学の先生を務めること
(4)自分自身の仕事を片付けること
等である。
 (4)はいくつ仕事があるのかわらないくらい多い。
 (3)は教える内容というか、何を今教えるかということも考えなくてはい
   けないということも含んでいる。生徒にある問題集の演習をさせて答え
   が正しい、正しくないの判断をすれば、よいだけではない。それだ
   けだったら、時間になったら、その場所に行って生徒さんに付きあえ
   ば、よいのだが。
 (2)は投稿された原稿を読むことはしなくても、今回みたいに投稿してく
   れる人を探すとかその広がりを持たせるとかも編集業務の中に入ってい
   る。さらにもちろん編集業務も入っている。

泣き言を並べたが、そういう風に忙しくできるのは体が比較的元気であるからであり、ある意味でありがたいことである。できる限りのことはするつもりである。



毎年のことだが、

2024-09-13 16:54:13 | 数学
毎年のことだが、真夏も過ぎたこの季節には疲労がたまって体がだるくなる。体がピリッとしないのだ。夏の疲れが出る季節なのだろう。

だが、それに加えて仕事が山積である。ところがどれも簡単には片付かない。それで体の疲れも含めて仕事はなかなか終わる気配をみせない。

それにまた明日の午後はただ塾の先生を務める必要がある。中学校の2年生と3年生が数人来るのだが、そのドリルとか教材を用意しなくてなならない。

どなたかの問題集の問題をやってもらうということも考えられるが、いままでは問題をどこかの本からとってきてそれをlatexで入力して、それをpdfの文書にして私のレーザプリンターで印刷して渡していた。

だが、図形の単元を中2生はそろそろ学ぶので、図形を描くのが手間なので7月初めに亡くなった武藤徹先生の中学生のテクストから図形の章のコピーを先ほどコンビニでしてきたところである。

始めの箇所は難しくはないが、なんでも最初はこういうものだろうか。

あまり根をつめているつもりではないのだが、

2024-09-12 12:53:03 | 数学
あまり根をつめているつもりではないのだが、昨夜夕食後に本当に久しぶりに胃がしくしく痛んだ。私には珍しいことである。

さすがに仕事というか、しなければならないことが立て込んだらしい。それと昨夜は珍しく夕食が野菜の天ぷらであり、少し食べ過ぎたらしい。

しばらく胃痛に耐えていたが、そのうちにいつか椅子にもたれて眠ってしまった。その後の12時前に目が覚めて本格的に寝床についたが、すぐに眠ったらしい。目が覚めたのが朝の5時すぎであった。

平方根の近似値をどう見積もるかということに関係した、図形のことが気にかかっていたとみえて朝方はそのことをうつらうつらの中で考えていたらしい。

そのことで円外のある一点からの円の二つの接線の長さが等しいことの証明がどうだったかを知りたいと考えていた。

まだそのことを文献で調べてはいないのだが、さてどうだったろうか。

平方根から

2024-09-11 13:04:46 | 数学
平方根の続きを書こう。

もちろん、続きは平方根の数が2つあるという話ではない。平方根のところにはすぐに\sqrt{ab}=\sqrt[a}\sqrt{b}, \sqrt{a/b}=[\sqrt[a}]/[\sqrt{b}] が成り立つと書いてある。

先回のただ塾でも私以外のもう一人の先生Eさんがこの関係の有用性を教えようとされた。

たとえば、ab=1.5だとすれば、これは1.5=3/2であるから、\sqrt{1.5}=\sqrt{3}/\sqrt{2}として1.5の平方根を求めることができる。

さらにEさんは6の平方根や8の平方根についても話をした。2の平方根の近似値とか3の平方根の近似値を知っていれば、\sqrt{ab}=\sqrt[a}\sqrt{b}, \sqrt{a/b}=[\sqrt[a}]/[\sqrt{b}] の関係から6の平方根や8の平方根の近似値を計算することができる。

もっと大きな数の近似値も同じような手法で計算することができる。話はそこでとどまらなくなってくる。

というのは数というのが整数、分数(有理数)から有限な桁の小数では表されない、無理数まで話が広まるであろう。いわゆる実数まで数の範囲が広がってくる。

その前に無限桁ではあるが、循環小数は分数で表せることも話す必要があるかもしれない。

それに最初の無理数として最初に認識された2の平方根についても話をしなくてはいけないだろうか。

2次方程式と2次関数の導入のために平方根を導入したのだが、数学はあらゆるところにつながっている。


ある数の平方根は二つある

2024-09-10 11:49:04 | 数学
ある数aの平方根は二つある。\sqrt{a}と-\sqrt{a}の2つがある。

たとえば、2乗して4となる数は2はすぐに誰でもわかるが、ー2も2乗すると4となることは数学を知っている人は誰でもわかるが、数学などもう忘れたという人にはどうしてという気持ちが起こっても仕方がない。

(-2)*(-2)=4だとは言われても、マイナスの数にマイナスの数を掛けるとプラスの数になったのだっけとか疑問が出てくる。

これはある数にー1をかけるとどうなるかということをすぐにイメージできないからだろうか。

いつだったか「笑えない数学」という番組をNHKがテレビで放映していたことがあったが、説明は理屈では確かにそうなるが、論理で無理矢理説き伏せられたという感じであまり直観的ではなかった。

いつも私はある数にー1をかけると数直線上の数がすべて点0のまわりに180度回転されるというイメージで説明をする。これだと2回ー1をかけるともとの数直線の位置に帰ってくるので、(ー1)*(ー1)=1となることが直観的にイメージされる。

たったこれだけのことだが、多くの人がそのことを教わっていないのは残念である。


副詞をつければ関係が相対的に薄くなる

2024-09-09 07:38:44 | 本と雑誌
副詞をつければ関係が相対的に薄くなる。

こういわれてすぐにそうだとわかる人はかなりの外国語の達人であろうか。

昔、小田実のエッセイを読んでいて、本当に女性を好きになったら、I love youとしか言わないとか書いてあるのを読んだ。I love you very muchなどと言ったら、私のことをあまり愛してはいないのだなと判断されるらしい。

これはその後フランス語の学習で知ったのだが、
 Je t'aime beaucoup.
とか
 Je t’aime bien.
といわれたら直訳だと「君をとても愛する」だが、これは「君のことがわりと好きだな」か「君のこと結構好きだよ」くらいで「君をとても愛する」ではないという。

本当に愛しているなら、絶対にbeaucoupとかの形容詞とか副詞を一切つけてはいけないという。表現としてそうなのだということを知らなくてはならない。

私などはラジオとかテレビとかでフランス語を学んでいるが、あまり学校の教室で学んだことがない。50年以上もフランス語を学んでいるので、そういうことをたまたま知っている。

もっとも50年以上もの間でもほんの数回しか、このことにふれたことを聞いたことがない。

今日の午後は居眠り

2024-09-08 21:42:12 | 本と雑誌
今日の午後はNさんの『武谷三男の生涯』の原稿の注のところを武谷とか他の方々の本をひっぱり出してきて検討していた。

しかし、いつの間にか疲れて椅子にもたれて眠ってしまった。少しは前に進んだのだが、それでも2ページくらいだろうか。書棚から本を出すのも一苦労である。

Nさんの本の原稿の注に引用してある書はかなりもっているのだが、それでもどこにあるのかはわからない本も多い。それと書棚の高い箇所に置いてあるととるのが一苦労である。

椅子の上にあがって取ろうとするのだが、なかなか取れない本もある。それにあると思っていた本の箱の中身はカラで本体の書はどこかに取り出してあるらしいものもある。あるものは2階の書棚の中にあったりして、わざわざ2階までそれを探しに行ったりした。

それでも私も以前に「武谷三男の著作目録」をつくるときにかなり意識的に彼の著作を集めたので、Nさんほどは持っていないかもしれないが、たぶん普通の人に比べたら、たくさんの武谷の本を持っていると思うので、Nさん以外で原稿の注を検討するには一番適任であろう。

現在、武谷三男の研究をしている人はNさんとかYさんとか私しかいないと思う。

武谷の親友だった哲学者の久野収の著作集とかは関連図書ということで私ももちろんもっているが、その広がりは大きくてとても大変である。


今日からただ塾再開

2024-09-07 20:22:47 | 数学
2学期が始まって初めての土曜日である。夏休みだった、ただ塾が今日から再開された。中三のK君は夏休み前は私たちの話を聞くのがいやそうだったが、今日は明らかに違ったように見えた。

今後の自分の行く末を考えたらしい。理科が好きならしいのだが、理科だけでは行く方向が狭いとの理科の先生のアドバイスを聞いたらしい。

頭のいいK君だからこれから頑張れば、十分に中学校の数学はマスターできると私は彼が帰る前に保証した。さいごまで私たちにつきあってくれるならばとの条件付きだが。それくらいの見通しは私たちだって持っている。

気長に付き合っていくつもりである。

今日は平方根の導入をした。これは2次方程式の解の公式や2次関数の標準形を求めるのにぜひ知っておかなければならないからである。



続・五捨五入

2024-09-06 13:41:04 | 数学
五捨五入で実際にどういう風に計算するかというと、これは連続して計算をする場合だが、K君(私の昔の学生)が調べたところではアメリカでの計算は、五捨五入しようとする一つ上の桁の数が偶数なら五捨し、一つ上の桁の数が奇数なら五入するということらしい。

実際に、現在の日本の算数数学教育でどのように教えられているのかは私は知らない。

日本語辞書にも四捨五入は出ているだろうが、五捨五入はまだ多分出ていないだろう。こう書いた後に、いまあわてて広辞苑を引いてみたが、第6版以降はわからないが、第5版では四捨五入は出ているが、さすがに五捨五入はでていないようだ。


ぷろじぇ

2024-09-06 12:29:25 | 科学・技術
「ぷろじぇ」という雑誌を発行している人たちがいた。私はあまりよくは知らないのだが、そのうちの一人だと思われる原子力情報調査室の山口幸夫さんのインタビュー(過去にNHKで放映)を見た。

武谷三男の科学至上主義を批判した内容だったと思うが、ある意味で権威とみなされる人を批判することで注目を集めるという手法に反対ではないが、社会の全体とか圧倒的な力を持つ資本の力の前で小さな違いをことさらに挙げて主張することがご自身たちの運動にも少なからぬ影響を与えることを考えたときに利口な考えとはいえないのではないか。

主張は主張として何に主として立ち向かっているのかを明らかにすることの方が重要なのではないかと思うのである。

それはそれとしてもいつだったか原子力情報調査室に調査のお願いをしたときに、これは武谷三男の活動に関してだったと思うのだが、親切に調べて下さったことがあったのが山口幸夫さんだったかもしれないので陰に陽に山口幸夫さんにお世話になっていたのかもしれない。

round off(丸める)

2024-09-05 12:14:02 | 数学
round off(丸める)と書いたら、普通の日本人は坊主になる(これをよく頭を丸めるというから)ことかと思うだろう。

ちょっと英語のできる人ならば、ああ日本語で四捨五入と言われているもののことだなと思うだろう。その通りである。

以前に四捨五入でなくて「五捨五入」というタイトルでこのブログに書いたことがある。今朝ブログのアクセス解析を見たら、4人ほどそのブログを見て下さった方がおられたので、round off(丸める)というこのブログを書く気が起こった。

いまの世界では四捨五入ではなくて、「五捨五入」が使われているようだ。どうして「五捨五入」が使われているのか。これは数値の精度を少しでも上げたいからである。

でも納得できない方はこのブログで「五捨五入」を検索してみて下さい。

ちなみに測量関係の分野ではすでに「五捨五入」が普通に使われているそうである。

「他人から見た武谷三男」

2024-09-04 12:49:02 | 物理学
「他人から見た武谷三男」とは私が徳島科学史雑誌に連載している論文のタイトルである。現在このシリ-ズを8まで書いている。

あと私の取りあげる予定のテーマは中村静治の『技術論論争史』(創風社)だけが残っている。しかし、これを取りあげることがいまなおできていない。

シリーズを終えるにはどうしてもこれを取りあげないわけには行かないのだが。

先日も徳島科学史会のSさんから「あのシリ-ズは終わりですか」とか聞かれたのだが、取りかかる気がいまのところ起こらない。というより現在の時点としては、もっと優先したいことが私にあるのだ。

現在の課題としてはNさんの『武谷三男の生涯』の原稿を点検することが優先されるであろう。これは私の著作ではないが、きちんと世に出す必要が武谷三男の研究をしている者としてはあるだろうと判断している。

これが9月になったのに「数学・物理通信」の発行に私がなかなか移っていけない大きな理由である。『「数学・物理通信」は休刊します』といいたい気持ちがすこしはあるのだが、そうもいかない。




武谷三男についての研究も

2024-09-03 11:22:12 | 物理学
武谷三男についての研究も実体論的段階に入った感がする。

これは先日以来私の読んでいるNさんの『武谷三男の生涯』を読んで私の頭に浮かんできた考えである。

私は現象論的段階というつもりで武谷の「著作リスト」とか「業績リスト」とかを素粒子論研究とその電子版に発表してきた。

ところが武谷史料室ができて、そこで武谷の子ども時代とか学生時代その他の資料を見ることができるようになった。これにふんだんに触れてNさんの『武谷三男の生涯』のような労作が出来てきた。

それで武谷三男についての研究も実体論的段階に入った感がするのである。本質論的な研究が私もふくむ武谷三男の研究者にできるのかどうかはまだわからない。だが、そういう研究をしないことには私には十分な研究が行われたとは思えない。

だが、Nさんの『武谷三男の生涯』は実体論的段階の研究であり、優れたものである。出版されて多くの人が読んでほしいと思っている。