【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「わが党は存亡の危機にある」長老76歳のピンさんが“切腹”を申し出て、岡田幹事長が慰留 

2011年04月25日 18時27分12秒 | 岡田克也、旅の途中

 ピンさんこと、民主党の石井一(いしい・はじめ)選対委員長は、2011年4月25日(月)の役員会で、第17回統一地方選の党勢拡大失敗の責任を取り、辞表を提出しましたが、岡田克也幹事長が慰留しました。

 ピンさんは、ことし1月の民主党大会で「わが党は存亡の危機にある」として、ガンバロー3唱の音頭を取りました。

 
[画像]2011年民主党大会で、「わが党は存亡の危機にある」としてガンバロー3唱の音頭を取る石井一さん(中央)、羽田孜最高顧問(左)、菅直人総理・代表(右)。

 石井一、76歳。華の昭和44年初当選組。経世会(自民党竹下派)→改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党→新進党→国民の声→民政党→民主党。岡田さんと党籍が完全に一致する唯一の先輩です。そのピンさんは、若い40歳代の当選6回生から奪うように、自ら選対委員長になりました。選対委員長を追われた40歳代の当選6回生は国民運動委員長に横滑りしました。岡田牛若丸に、石井弁慶。民主党の未来のために「切腹」を申し出た長老76歳。こういう長老が、1月に「わが党は存亡の危機にある」として団結を呼びかけたのに、小沢グループは輪を乱し、まっすぐに立ち右向け右で整列することすらできない民主党の候補者たち。小沢グループは人間として、恥ずかしくないのでしょうか。今、日本の置かれた立場が分からないのでしょうか。

 私はピンさんが選対委員長になったときから、きょうの行動を察していました。国土庁長官、自治大臣、国家公安委員長。福田赳夫内閣の運輸政務次官として日本政府を代表してダッカ事件の人質となりました。1993年6月18日には、政治改革を訴えて、イカダに乗って船を出た白髪交じりのシンドバッド。甲南大学からスタンフォードへ。日本の国会でイチバンカリフォルニアが似合う男。

 
[写真]田中角栄とピンさん。

 
[写真]ピンさんとレーガン大統領。

 「オレが閣僚のころ、菅は小政党の若手だったからよく質問してきたけど、こいつは鋭いなあ、伸びるだろうなあと思っていたよ」と言って、1998年、自ら菅直人執行部で、志願して国対委員長を引き受けたピンさん。けっして頂点に立つ政治家ではありませんが、政権交代ある二大政党制を日本に導入した立て役者の一人です。岡田さんの前をずっと歩きつづけてきてくれたたった一人のピンさん。

 それにひきかえ、小沢グループはいったいなんなんでしょうか。政党政治というのは、こういう風にやるもんなんですよ。勉強不足にもほどがあります。そろそろ、小沢グループを根絶やしにしなければいけない時期を迎えつつあります。

【追記 2011年4月28日 午後3時50分】

 岡田さんは4月11日(月)の定例会見で「選対委員長の責任感はよくわかりますが、ご本人にも直接申し上げましたように、辞めて済む話ではなくて、やはりしっかりとそのことを責任として受け止めて、そし
て物事を改善していく、次回を期すことが本当の意味での責任のとり方ではないか、 と申し上げたところであります」と述べました。【追記おわり】


関連エントリー)2007年10月16日 僕は石井ピンは必要な政治家だと思う。誰が何と言おうとも。

 【統一選】民主・石井選対委員長が辞職願 慰留され取り下げ - MSN産経ニュース

 民主党の石井一選挙対策委員長は25日午後の党役員会で、統一地方選の大敗と衆院愛知6区補選の不戦敗の責任を取るとして、岡田克也幹事長に辞職願を提出した。しかし、統一選に関する党内での総括が終わっていないとの理由で慰留され、石井氏は辞職願を取り下げた。