【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

これが日本の生きる道! 平成23年度第1次補正予算(案)、審議入り

2011年04月28日 13時13分58秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意


 さあいよいよ、復旧補正の審議がスタートです。

 政府は2011年4月22日(金)の閣議で決定した「平成23年度第1次補正予算(案)」、すなわち東日本大震災「復旧補正」を、4月28日(木)に国会に提出しました財務大臣の野田佳彦さんが、財政演説を衆参本会議で行いました。また、異例ですが、提出日に財政演説に対する各党代表質問もやります。衆参・与野党の良識が感じられました。

 さて、このエントリーでは、1次補正のフレームについて、解説したり、感想を述べたりします。

 よく出来ている、というのが感想です。現時点での日本のおかれた立場を考えれば、ほぼ百点満点に近いと、私は感じます。もちろん、被災自治体にとっては、歳出の増額補正分に関しては、「すべてにおいて足りない」という感想でしょう。

 予算書というものには、組んだ人間の思想が見て取れるところがあります。「人口動態推計」では、西暦2100年の日本の人口は7800万人程度と予想しており、それまで、一貫して人口の実数は下がり続ける「右肩下がり」になります。この「右肩下がり」の時代に、逆転の発想で、「小さくてもしなやかな日本」をつくる思想が見て取れるフレームです。やはり、財務省主計局は国士だし、野田大臣、そして、岡田克也さんの国家観・先行きの見通しがよくあらわれている良い予算だと考えます。この辺のところは、なかなか理解してもらえないのですが、まっすぐに、ひたむきに、応援していきたい国家観が1次補正から感じられます。




[画像]平成23年度第1次補正予算(案)のフレーム、財務省ホームページから

 まず、新聞では「4兆円の補正」となっていますが、実際には補正後の平成23年度予算(一般会計)は歳入歳出とも3051億円増えるだけです。一般会計は歳出で4兆153億円を増額しながら、3兆7102億円を減額補正しています。さっぴき、当初予算と比べて3051億円の増額。補正後の平成23年度予算の一般会計総額は92兆7167億円になります。ただし、2次補正(復興補正)後の100兆円突破は確実と思われます。減額計上となっている、「旧鉄建公団をひきついだ独立行政法人からの溜まり金の国庫返納の2・5兆円」ですが、これは根拠法が成立していないにもかかわらず、当初予算ではすでに成立している項目です。当初予算で計上済みのお金は、「基礎年金の国庫負担」に充てることになっていましたが、これを復旧財源にあてることにしました。ですから、当初予算が想定していた一般会計から繰り出し、年金特別会計へ繰り入れる出納を止めました。ですから、一般会計では2・5兆円の減額補正となるわけです。そして、それを復旧財源にあてることで、4兆円のうち2・5兆円を賄いました。そして残りの1・5兆円はどこから出てきたか。自民党の妨害による子ども手当法のつなぎ措置(4月~9月分)のため、子ども手当の計上見積もり額を減額計上したほか、高速道路の無料化社会実験の一時凍結で0・1兆円、ODA削減で500億円、そして、予備費を8100億円引き出し、さらに、「議員歳費の3割カット」で22億円を合計で4兆153億円となりました。国債(建設国債・赤字国債とも)今次補正での発行は「0」円です

 このうち、基礎年金の国庫負担負担財源の転用には、公明党さんから懸念が出ました。これについて、民主党の岡田克也幹事長は、「今回は年金勘定から2兆5000億、実質的には持ってくることになります。もちろん、近い将来きちんとお返しすることが前提です」(4月14日の定例会見)と約束しています。昨日の衆・厚労委でも、公明党の元厚労相、坂口力さん細川律夫現厚労相との問答がありましたが、岡田さんの方で既に約束しています。ただし、「きちんとお返しする」という言葉の中には、「年金の支払いのため増税する」という意味合いが排除されていないことはお含みおきいただきたい。

 そして、議員歳費の減額ですが、これはわずか22億円の財源ということで、ヒジョーに小さい物に見えてきますが、これは「まずは塊より始めよ」で、岡田さんや藤井裕久さんが言っている「政治家みずから身を切る」ことです。わずか22億円のお金でも、ここが川上となって、お金の流れがスムーズになってきます。これが私が申し上げている、右肩下がりの日本でのしなやかな国づくりの思想が見えてくる部分なんです。また、これは民主党政府外議員にも、よく暗誦して覚えてほしいのは、「高速道路の原則無料化社会実験の一時凍結に伴う道路交通円滑化推進費の減額」が1000億円です。「一時凍結」であって、高速道路無料化のマニフェストの予算化、肉付けを完全にあきらめた「マニフェスト撤回」ではありません。では、「一時凍結」が「恒久」になるのではないか、と思う有権者(主権者)は、今後ともよくチェックしていくべきだと考えます。もちろん、日本は「間接民主制」ですから、高速道路を行き来して働いている方々がイチイチチェックしている時間はありませんから、運送会社の総務部社員とか、運転手の奥さんとか、ブロガーとか、よくチェックしていただきたいと思います。この1次補正予算(案)を見て、「高速無料化マニフェスト撤回!」と叫ぶのは間違いです。

 まず1次補正を国債発行無しにGW返上でキッチリやる。そして、2次補正では、これは10兆円規模の国債を発行して、復興をやる。そして、国債発行の償還のために、増税をお願いする。こういう運びになりそうです。 


国会、きょうからゴールデンウィーク返上で審議 復旧・復興への思い、態度で示す

2011年04月28日 09時08分51秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 国会はきょうから、「復旧補正」(平成23年度第1次補正予算案)の審議に入ります。

 きょう2011年4月28日は木曜日で、衆参本会議で、野田佳彦財務大臣の財政演説とそれに対する各党代表質問が開かれます。終わり次第、午後8時設定で、衆院予算委員会が開かれ、野田大臣らの提案理由説明があるようです。

 そして、あす2011年4月29日金曜日は昭和の日で祝日。大型連休・ゴールデンウィーク(GW)の初日ですが、衆院予算委員会で質疑が行われる見通しです。

 さらに、30日土曜日も審議を続け、午前中に衆院予算委員会で総括質疑と討論、採決。午後には、衆院財金委、総務委などで歳入関連法案と地方交付税法改正案が審議され、可決。これらが午後2時~午後4時~夕刻にかけて、衆院本会議に緊急上程され、委員長報告、討論、採決のうえ、民主党と公明党の賛成などで可決し、参院に送られる見通しです。

 そして、5月1日(日)にも参院予算委員会で質疑が行われると思われます。5月2日(月)は連休の谷間で平日ですが、参・予算委でしめくくり総括質疑、討論、採決のうえ、参院本会議に送られ、民主党と公明党の賛成による過半数で、可決、成立する見通しとなっています。

 この極めて異例の日程。

 民主党の岡田克也幹事長、安住淳国対委員長らの考えとしては、

 ①祝日ばかりか土日も審議することで、復旧・復興に向けた国会の意気込みを態度で見せる。

 ②土日も関係なく、ノンストップで補正予算(案)を審議することで、勢いで、補正成立を確実かつ迅速かつ早期のものにする。

 ③小沢グループの渡辺浩一郎氏ら「自称・新会派」の16人がちらつかせていた本会議欠席戦術の“大義名分”を奪い去り、世論からみて「単にサボってる連中」に付き落とす。

 ④ゴールデンウィーク前半で弾みをつけて、補正成立後のゴールデンウィーク後半の所属議員の地元回りでの支持者の反応を変える。

 という4点になるかと思います。

 「ゴールデンウィーク返上国会」の審議日程に協力した、石原伸晃・自民党幹事長、公明党の山口那津男代表・井上義久幹事長ら、華の90年初当選、“ベルリンの壁崩壊で脱イデオロギーの新人たち”の合理的な判断に敬意を表すとともに、これからは、政府外議員も、国民も、マスコミも、「審議拒否」「イメージ戦術」などのパフォーマンスではなく、「国会の中での仕事ぶり」で、政党や各議員の先行きが決まってくる。その新しい日本への第一歩を踏み出すの。それが、きょう、2011年4月28日ということになりそうです。

 ほとんどの議員は、本会議場に直接出勤することにしており、秘書は休みという対応をとる事務所が多いようです。だいたいが、通常国会が始まっても、2月の衆院予算委員会のさいちゅうは、50人の委員と政務三役の70人の合計120人の議員は大忙しですが、他の与野党政府外議員は、国会でも、地元でもやることなく、休んでいるのが実態です。まあ、ブログなどでは「一般法案の審議に向けて、部会で議論し、他党の理事と委員会審議について協議しています」と書いていて、それは嘘ではありません。が、赤坂で飲んだりせず、夕暮れ前に自宅に帰って家族で夕食を食べたり、本を読んで勉強したり、風呂入って寝たりしていればいいわけです。連続して当選している議員はそうやってメリハリのある日程作りをしています。この辺のコツを教えてあげる、というところが、自民党の派閥や、民主党のグループの存在意義なおですが、民主党のグループは自民党の派閥と違っておこづかいが出ませんから、コツさえ教えてもらえばそれで終わり。小沢グループの赤坂での飲み会、鳩山グループの紀尾井町での誕生会、野田グループの六本木でのパーティーや、同僚議員の政治資金パーティ、各種団体や大使館のパーティーなどに出席して、自分の勉強が出来ていない、予算書を開いたことすらない議員は、次か、その次の選挙で消えるでしょう。最近は、議員宿舎で勉強するよりは、広くなった議員会館で、深夜まで自主的に残業して、勉強する方が落ち着く、というタイプの人が多いようで、そういう民主党一回生も、私は複数知っていますので、その辺はご心配なく。ただしかなり少数派です。


代議士として・・・安住淳・玄葉光一郎・小野寺五典

2011年04月28日 06時23分46秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

【2011年4月26日(火) 衆・予算委員会】

 平成23年度本予算が4月1日から執行されていますが、その執行状況の初めての調査、東日本大震災と原子力災害について、集中審議がありました。

 中井洽委員長らが黙祷。

 その後、宮城5区選出の民主党国会対策委員長、安住淳さんが質問者席に。二大政党の国対委員長が、自ら質問に立つのは極めて異例のことです。

  安住さんは、委員さしかえによる質問を認めてくれた、与野党の予算委理事に感謝。「きょうは国対委員長としてよりは、被災地選出の議員として質問します」。そして、この後、30分間コンパクトに、総理および7大臣からヒトコトヒトコト、超法規的に近い法律の運用などの言質をとりました。

 私は一般傍聴席で直接質疑を見ましたが、なによりも、安住さんが泰然自若としたふるまいだったことに、その精神力の強さを感じました。

 安住さんは「石巻はもっとも多くの被害が出ている」「まだ1万人以上行方不明だ」「私の家族もこの1ヶ月間、市役所の災害対策本部の避難所にいる」「私の地元は世界3大漁場のひとつだ」と地元の声を国会につなげました。そして、がれきの除去について、宮城県だけで日常年の23年分だとして、石巻では、「あの一瞬の津波で100年分のがれきが出た」として、それを津波災害の特徴だとしました。石巻では、およそ600万トンのがれきが出たそうです。日常年は、5・3万トンだそうです。

 安住さんは「あまり回れていないが、30カ所の避難所を回って、最も要望が多いのは仮設住宅だ」としました。安住さんは第41回総選挙の小選挙区導入以来、宮城5区で5連勝しています。民主党国対委員長として国会指揮および政府民主党首脳会議メンバーとして、週末しか地元に帰れないにしても、この15年間に培ったネットワークが地元にあるので、少ない時間でも有効に声がすくえるのだと思います。

 そして、安住さんは、「私のところ(石巻)なんかは、(仮設住宅を建てる)土地が狭い」として、民有地の借り上げのほか、対応策として、「仮設住宅は2階建てにしたらどうか」と提案すると、自民党からもそうだ、という声が上がりました。しかし、「建設基準法で、構造計算の結果、2階建ての仮設住宅は、杭は木ではなく、コンクリートでなければならず、そうすると、3週間工期が遅れる」として、柔軟な法律運用を求めました。そして、「細川律夫厚労相にお願いしたいが、仮設住宅の入居期間の2年は延長して欲しい」と要望しました。これについて、細川さんは「これは更新して住めるようにします。安心して住んでいただけるようにやっていきます」と断定調で述べました。これは安心感・安定感が伝わる良い答弁でした。

 ところで、安住さんのご両親の安住重彦さん(84)、安住慶子さん(74)の消息は6日間分かりませんでした。安住家は元々高台に立っていたようですが、津波が来るときには屋根に避難。そして、見ていたら、津波がやってきて、家の屋根まできたそうです。そして、海側の傾斜のところまで来て、そこで、なんとか引いていったそうです。ご両親は、海側ではなく、丘側の傾斜にしがみついていたので、難を逃れたと言うことで、旧牡鹿町長を務めたこともあるお父さんらの機転・危機管理能力で一命をとりとめた、ということだったようです。そして、そのまま屋根で夜を明かし、ヘリコプターで救助されたと言うことです。安住代議士は、地元紙には、「写真で見た東京大空襲か、広島の原爆の後のようだ」と述べています。

 安住さんは、最後に政府民主党首脳会議のメンバーでもある、福島3区選出の民主党政調会長大臣の玄葉光一郎さんに答弁の場を与えました。宰相候補の一人である、玄葉さんは、じゃっかんの気負い、疲労感も見られましたが、次のように雄弁でした。

 「えー、安住国対委員長おっしゃいますように、私は福島県出身でございます。したがって被災地のみなさんのかなしみ、苦しみ、怒り・・・全身で受け止めております。特に、原発問題では、恐怖、緊張、ストレス、不安・・・これは言葉では表現できないほどのものであることを身に染みて感じております。さきほどもありましたが、タイセツなことは、国が最終的な責任を持つ。そして、既存の枠を越えて、前代未聞の事態に前代未聞の対応をしっかりやる。こういった事態のなかで、福島県民のみなさんは秩序をもって、冷静に対応されていることを心から誇りに感じております。必ず福島県民を守って、必ず福島県を復興させる、そういう強い決意でございますし、まあ、福島だけではございませんけれども、宮城、岩手含めて東日本の復興を日本の再生の先駆例にする。そして、日本の再生が東日本の復興を支える、と。そういう日本を作っていかねばならない、とそういう決意を持っております」



 玄葉さんは福島3区選出。政調会長補佐を務める議員によると、田村市の旧船引町の自宅は、原発から40キロ。玄葉政調会長もそうとうな負担を受けているようです。この前日には、同じ船引町で県議・衆議院でしのぎを削ってきた、現・参院議員で、新党改革幹事長の荒井広幸さんが参・予算委で原発について、熱弁をふるっており、印象に残りました。

 なお、政権交代前からずっと、長老ながら予算委員を務める渡部恒三さんもいつものように最後列から議場内を見渡すように腕組みをしてじっと見守っていました。また、宮城1区の郡和子・予算委員も議場でしっかりと聞いていましたが、じゃっかん郡さんはさすがに疲れを隠せないようすでした。ところで、「自称・新会派16人衆」で、予算委員を更迭された水野智彦さんが、この日の審議で予算委員に復帰しているのに気付きました。水野智彦さんのブログによると、3月24日に、石巻の安住事務所を訪れた、との記述があり、詫びを入れたのでしょうか。いずれにしろ、安住さんは厳しさとやさしさを兼ね備えた頼れるアニキだと感じます。優れた政治家です。

 安住さんは「ありがとうございました。同じ被災地出身の小野寺議員と変わります」として、宮城6区選出の自民党の小野寺五典・影の外相と握手をしてバトンタッチ。そのまま、パネルを持って、委員室をあとにしました。



 
 「代議士」。

 法律には存在しない言葉です。衆議院議員のことだけをそう呼ぶます、参議院議員は代議士とは呼びません。昔の出世すごろくでは、親孝行をして、東京の学校に進み、実業界に行き、故郷に錦を飾り、そして最後に「代議士」になって上がりというほほえましいものがありました。自由民権運動の名残を感じます。これは明治政府(官僚)による地租(固定資産税)改正に怒った名士(地主)たちが、地租改正一揆を散発的におこしたり、板垣退助の自由党に参加したりして民選議院「帝国議会・衆議院」を設立させました。そして第1回総選挙、品川事件で死者も出た第2回総選挙では、板垣自由党と大隈改進党らの「民党」が、明治政府官僚による「吏党」に連勝(過半数獲得)したことで、大正デモクラシーという安定した時代へ、この国の政治を前に進めた。そのことへの論功行賞として、衆議院議員だけに与えられた一つの敬称であり、愛称です。

 宮城5区・安住淳代議士、宮城6区・小野寺五典代議士、福島3区・玄葉光一郎代議士と小選挙区で連勝を重ねる代議士たちのさまざまな「強さ」を改めて感じた第一委員室でした。