【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

野田首相、千鳥ヶ淵の公務員官舎に住めないものか?

2011年09月05日 20時34分53秒 | 第178臨時国会(2011年9月)野田内閣

 報道によると、野田佳彦首相は9月下旬に、首相公邸に入居し、敷地内の首相官邸に出勤することになりそうです。これには、当初、首相が港区の衆議院議員宿舎に住み、クルマで10分程度の官邸に出勤することを願っていたところ、入居者の多い議員宿舎のセキュリティに配慮して、首相公邸に引っ越すことになったようです。ここからしてすでに官僚主導の始まりです。

 たとえば、首相官邸の近く、議員会館の裏手には、衆議院議長公邸、参議院議長公邸があります。三権分立の関係や公邸は儀式などにも使われることから、ここを使わせてもらうわけにはいかないでしょう。ただ、あそこの底地は、おそらく衆議院、および参議院が所有していると思いますが、中間地点に賃料を払って借り上げて、工場である程度ユニットが出来ていて、現地で組み立てられる住居を建てるというわけにはいかないのでしょうか。

 あるいは、千鳥ヶ淵の近くに、公務員官舎があります。ここには、今はどうか知りませんが、海上保安庁長官なども住んでいて、非常時に駆け付けられるようになっています。住人の数は港区の議員宿舎より少ないので、ここに住むというわけにはいかないのでしょうか。

 菅直人前首相は、首相公邸に住んでおり、日曜夜の政府・民主首脳会談では、いつも私服姿で参加したそうです。これは6首脳(岡田克也さん、輿石東さん、枝野幸男さん、仙谷由人さん、安住淳さん、玄葉光一郎さん)を信頼したいたからでしょう。ただ、1月の内閣改造以降は、仙谷さんとは一定の距離感があったようなので、仙谷さんに対しては、「ここ(首相公邸)の主は俺だ」という意味での私服姿だったのかもしれません。

 今、首相公邸となっている建物は、首相官邸としては田中義一内閣から使われ~岡田啓介内閣~東条英機内閣~鈴木貫太郎内閣~吉田茂内閣~岸信介内閣~佐藤栄作内閣~田中角栄内閣~中曽根康弘内閣~竹下登内閣~細川護煕内閣~羽田孜内閣~村山富市内閣~小泉純一郎内閣が使った首相官邸の地下1階部分を取り崩したものです。地下1階を取り壊した際に、ワインセラーはなくなったものと推測されます。ここには、「2・26事件」の銃撃の中、報道では「死亡した」とされていた岡田首相が両脇を抱えられて「見舞客のお帰りだ」として脱出したときに出来た銃痕も完全には除去できていないようです。

 そこに、野田さんと奥さん、就学中のお子さん2人が住むというのは、そこからして「どす黒い孤独」の中に総理が放り込まれます。

 それよりも、首相公邸に執務室を置いて、官房長官、2人の政務官房副長官の個室4つと、5人の首相補佐官の大部屋を置き、総理秘書官は政務のみ、5人の事務秘書官は曜日毎の輪番制で総理秘書官室に詰めてもらい、適宜、総理の指示で秘書官が担当者に総理執務室に来てもらう格好のほうがいいのではないでしょうか。会議をする度に首相官邸にでかければいいでしょう。

 阪神大震災から「3・11」にかけての16年間には進化があり、阪神では国土庁防災局で情報が止まってしまうので、小沢貞利・震災担当大臣が置かれましたが、「3・11」では官邸に情報が集約され、そして消化不良で混乱し、「スピーディー」のファックスも届いていたのに、その価値が判断できぬまま、留め置かれたという経緯があるようです。

 今の首相官邸では、政務の官房副長官も自室にいる間に、総理執務室の人の出入りを把握できないそうです。情報公開の大事さは、政権交代以来の2年間で広く知れ渡りましたが、情報の集約、情報の分析、そして、情報の共有化に向けて、野田さんには首相公邸に執務室をおいてもらいたいと思います。公邸の方が道路に近いし、公邸と官邸の間に屋根を掛けた方がいいと思いますが、それこそ、報償費を使うべきものだと考えます。

 総理を孤独にさせない。それが政治主導の一丁目一番地です。