【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田さんに岩手・大槌町から希望の短歌 郵政が粋な計らい

2011年04月16日 07時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

 「八重椿 薄紅添えて 咲き初む(そむ)を 苦難にあいし 人々よ見よ」

 岡田克也さんは2011年4月14日(木)の定例記者会見で、岩手県大槌町の女性(69)から、1枚のハガキが届いたことを明かしました。同日、岡田さんが党本部に出勤したら、届いていたとのこと。

 椿は春の季語で、春に花が咲くから、「木」へんに「春」で「椿」と書くそうです。椿の花は、咲きはじめてから満開になるまでの期間がひじょうに長く、20日以上におよびことがよくあるそうです。(『季語辞典』)ことしの東北は、いつもよりずっと満開になるまでの時間がかかりそうです。そのような思いを座右の銘「大器晩成」の岡田さんにぶつけてきたようで、岡田さんは小沢グループによる倒閣運動でこの日はあまり元気がなかったのですが、一筋の希望を、被災者の方からもらうことができたようです。

 ハガキには、このほか、「山鳩の うめくごとくに 鳴く声は 仲間を呼ぶや 生きているとぞ」との短歌も添えられていました。壮絶な情景であり、これは修羅場をくぐった人にしか詠めない短歌です。絶句します。

 ハガキには、「お見舞いと視察について、篤く御礼申し上げます」と書き添えてありました。

 差出人の住所は「大槌町 城山体育館」。宛先は「東京都民主党岡田幹事長殿」。日本郵政・郵便局の粋な計らいが被災地の声をすばやく国会につなげてくれたようです。

 なお、季語辞典によると、椿の花が満開になるのが長いことについて、「したがって長い間、花を楽しむことが出来る」ともしています。

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 衆議院は、2011年4月12日(火)の本会議で、郵政改革に関連する諸法案を審査するため、委員45人よりなる「郵政改革に関する特別委員会」を設置することを決めました。

民主党:岡田幹事長、岩手県宮古市、山田町、大槌町、釜石市を視察(民主党ニュース、2011年4月8日)

 岡田克也幹事長は8日、震災で被害を受けた岩手県内の宮古市、山田町、大槌町、釜石市を視察。被害の甚大さを改めて実感したと述べるとともに、復興に向けて「新しい東北をつくる」と表明し、被災者支援、被災地の復旧・復興に向けて全力で取り組んでいく考えを示した。

 津波で海岸沿いの集落が大打撃を受けた宮古市では、山本正徳市長、大井誠治県漁連会長らと懇談。1933年(昭和8年)の三陸地震大津波の教訓から強固な防潮堤を張り巡らし、毎年避難訓練を欠かさず、「防災のまち」として全国から注目されていた宮古地域。山本市長は、先人が営々と築いてきた成果が一瞬にして崩れてしまったと嘆く一方、漁港が復活すれば人々も元気になれるとの期待も込め、仮設住宅の建設と並行して地元の雇用創出などを求めた。

 町民約580人が町内の高校で避難生活を送っている山田町、加藤宏暉町長ら多くの職員が亡くなるなど壊滅的被害を受けた大槌町では、沼崎喜一・山田町長や東梅政昭・大槌副町長からそれぞれ状況報告を受けた岡田幹事長。「被災者の皆さんが希望をもって立ち上がれるよう支援するのが政治家の使命」だと述べ、まずは、約4兆円規模の平成23年度第1次補正予算を早期成立させることで、仮説住宅の建設やインフラを復興させていく考えを表明。「復旧・復興ではなく、新しい東北をつくる意気込みで地元の皆さんに先導していただきながら一緒に取り組んでいきたい」と決意を述べた。

 避難所となっている山田高校、大槌町中央公民館を慰問した岡田幹事長は、「ご不自由をおかけし申し訳ないが日本中が皆さんを応援している。一緒にがんばっていきましょう」と被災者を激励。寄り添って手を握りながら一人ひとりの話に耳を傾け、仮設住宅の早期建設をはじめ、被災者のニーズに沿った支援をしていくと約束した。

 釜石市では、野田武則釜石市長の案内のもとに釜石港を視察した後、災害対策本部のある市内の施設で市長らから状況報告を受けた。市側は、企業の多い釜石では、企業の再開こそが町再生のスタートであるとし、産業基盤再建に向けた政府の後押しを要望。岩手では特に水産加工業が盛んであり、生産・加工・流通と6次産業化させていきたいと市長。岡田幹事長は、被災者の皆さんが安心して暮らしていけるためにも、住宅の提供のみならず雇用創出が欠かせないとして取り組みを約束。これから漁業の市場は日本国内のみならずアジアにも広がるとも指摘し、世界に向けて競争力のある水産加工業を目指してほしいとエールを送った。


自民党の平将明シャドウ副大臣、「枝野官房長官で良かった」&トヨタの直さんが大忙し

2011年04月14日 22時15分27秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 きょうは3月10日以来、1ヶ月以上ぶりに国会に行ってきましたが、官邸から出てきた高級車センチュリーの中に、防災服姿の宮城県知事、村井嘉浩さん(防衛大学28期)をみました。村井さんは県議会議員になる前の松下政経塾生のころに何度かお会いしていますが、そのころとまったく変わらない精悍さと、そして何より、笑顔でお付きの人と談笑する姿を見て、政治家、とくに知事という仕事は「とてもオレにはできない仕事だ!」と衝撃を覚えました。

 そして、国会内で秘書の人と話していて、「宮崎さん久しぶりですね」と言われたので、ポケットから、マスクを取り出して、「だって放射性物質とかこわいじゃないですか~!」と言ったら、「あ~、よかったオレだけじゃないんだ~!」とその秘書もマスクを取り出しました。

 昨日(2011年4月13日)の衆院・内閣委員会では、久しぶりに内閣官房・内閣府所属の担当大臣が勢揃いしました。この中で、自民党の当選2回生、つまり小泉チルドレン80人のうち生き残った10人の一人である、シャドウ内閣府行革・公務員制度担当副大臣の東京4区比例・平将明(たいら・まさあき)さんが、「きょうは枝野官房長官に来ていただきました。東日本大震災という未曾有の大災害、情報が錯綜している中で、冷静にていねいに対応されていたと思います」としました。1日中記者会見を繰り返す枝野さんにツイッターで「# edano nero」のハッシュタグが盛り上がり、海外で放送されたことも念頭に踏まえ「(野党なので官邸のことは分かりませんが)、震災直後はまさに不眠不休で対応されていたと思います」とし、「私はこの時期に、枝野さんが官房長官で良かった、と思いますし、そのことに敬意を表したいと思います」としました。


[画像]自民党シャドウ内閣府副大臣の平将明さんと民主党内閣官房長官の枝野幸男さん、2011年4月13日、衆院・内閣委員会、衆議院インターネット審議中継から

 大連立などと言われていますが、当選2回生の44歳の平さんは、あきらかに第46回衆院選での自民党の政権交代(政権奪還)に照準をしぼっていると考えます。自民党の谷垣禎一総裁のスタンスはどちらかと言えば、平さんら、中堅・若手の衆院議員の立場をあらわしているように僕には見えて、頼もしく思えます。平さんの選挙区には第40回総選挙で新党さきがけ公認で当時最年少国会議員となり、政治改革ブームの象徴となった元職が、私が兄弟ともにご縁があり、また第45回総選挙で勝った民主党の1期生も、代議士・政策秘書とも仲良い人なんです。そのようなこともあり、これまで当ブログでは、平さんについて、日本振興銀行の件などで、このブログでかなり批判したことがありました。ただ、2月の予算委審議も含めて、平さんを見ていると、小選挙区なので難しいですが、野党でも、与党でも、何らかの格好で国政に携わって欲しい人材だと感じます。これは、やはり3月11日以降の「こういうときこそ、人は見られている」(岡田克也さん)ということから見えてきたことだと考えます。

 民主党幹事長の定例会見で岡田さんは、冒頭の自らの発言で、仮設住宅について、「私たち国会議員が実際に現地で、町長さんと市長さんから聞く話と、霞が関(国土交通省)からの情報にギャップがある」とし、3ヶ月で3万戸、その次の3ヶ月で3万戸とする国交省の説明について、「供給戸数と建設戸数が違うのではないか?」「関連会社から関連会社から関連会社へと情報を流れているのをしっかりとおさえていないのではないか」と不快感を示しました。そのうえで、政府外議員でつくる、「民主党東日本大震災対策本部」(岡田本部長)の下に、応急仮設住宅建設促進チームをつくり、三日月大造(みかづき・たいぞう)さんを充てることを発表しました。三日月さんは満39歳の当選3回生。政権交代と同時に、「チーム前原」で、国交政務官に就任し、社民党が連立離脱し、辻元清美副大臣(現在は、民主党・無所属クラブ)が辞めた後に、国交副大臣に就任しています。ちなみに、1970年代生まれでは、三日月さんは副大臣就任第1号です(1974年生まれの自民党の小渕優子さんは内閣府の少子化担当大臣を務めています)。とはいえ、三日月さんは国会対策委員会の筆頭副委員長ですので、これは、1期生も多い民主党では、軍曹みたいな役割。おそらくことしはほとんど国会休会期間というのはないでしょうから、国交副大臣経験者として余人をもってかえがたいということでしょう。


[写真]三日月大造さん。

 さらに余人をもってかえがたいのは、直嶋正行さんです。直嶋さんは2009年9月16日~2010年9月17日まで民主党第1次与党期スタートの経済産業大臣を務めました。その直嶋さんは、きょう、同じく岡田本部長から、「(夏の)電力需給問題検討プロジェクトチーム」の座長に任命されました。これにより、直嶋さん(参院全国比例、2016年改選)の役職は次のようになりました。

 まず公職である、参議院では、「共生社会・地域活性化に関する調査会」の会長です。これは衆院にはなく、3年かけて参考人や議員同士のディスカッションで報告書をまとめあげる参議院改革の目玉で、おもに閣僚経験者などの大物が充てられます。

 つぎに政権与党である民主党本部では副代表。さらに、民主党国会議員団としては、両院議員総会長。参議院会派「民主党・新緑風会」では会計監査。2月15日は、菅直人さんが2009年12月にまとめた「新成長戦略」の実現本部長に就任。さらに他党の人には笑われますが、民主党にとっては大きな一歩である、「党綱領策定委員会」初代委員長に就任しました。これは、昨年来、直嶋さんが所属する民社協会がねらっていたポジションです。そして「3・11」では、復旧・復興検討委員会で岡田さんの下、副委員長になり、経産大臣として培った財界人脈で調整に乗り出します。
 
    
[写真]活躍する直嶋正行さん。左から、参議院共生社会・地域活性化に関する調査会長、民主党副代表、民主党両院議員総会長、民主党綱領策定委員長、民主党復興ビジョン検討チーム座長。
左1枚参議院インターネット審議中継、中の3枚は、なおしま正行メールマガジン「私の主な活動報告」から、右の1枚はBSフジPRIME NEWSのホームページから。

 直嶋経産大臣の評判といえば、「官僚をよく使いこなしている」「いやいや、直嶋大臣は官僚に取り込まれているんだ」というものでしたが、これは裏表ですから、「政治主導」について、考える上で、直嶋さんの体験は貴重です。

 このような直嶋さん、三日月さん、あるいは芝博一・総理補佐官や高橋千秋外務副大臣、中川正春・衆院予算委員会筆頭理事、鉢呂吉雄副代表らの重用を、「岡田側近政治」と批判する人が出てくると思いますが、なぜそうなるかは、「察してください」という感じですね。ホントウに「こういう時こそ人は見られている」。

 民主党では、「小沢グループの1年生」という風に言われることが多いですが、国難の非常時ですからハッキリ言えば、「鳩山グループの中堅(3~5期生)辺り」も不良債権化しているように思えます。また当選7回生以上でも、細川・羽田内閣でわずかな与党経験があるとは言え、閣僚は任せられないと思われる人がいます。どんな会社にもそういう人がいます。日本経済新聞社も数割の社員はそうでしたし、東京電力並みに、前任者とか部下とか他部署など他人のせいにしていました。直嶋さんが務めていたトヨタ自動車販売(トヨタ自動車)もそうでしょうが、じゃっかん割合は下がるでしょうか。直さんも典型的なトヨタマンで、細かいし、怒るときは厳しいようです。とはいえ、トヨタで通用する人は、世界で通用します。世間的には、TVでたまに破顔一笑をみせる小沢さんや、スタイリッシュなスーツの鳩山さんに安心感を持つ人もいるようですが、世間的には地味でTV受けせず、スタッフにとっては少し恐くて怒鳴る直さんや、三日月さん、岡田さんらに当分、負担はかかりますが、頑張ってもらうしかありません。

 がんばろう日本ではなくて、がんばろう「がんばれる人」。がんばれない人やできない人も、せめて、当分の間、菅降ろしはやめてほしいですね。

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 2011年4月13日(水)の参・災害対策特別委員会で、「民主党・新緑風会」の平山誠さん(全国比例の新党日本名簿で当選)が、東京電力福島第一原子力発電所の3月11日のデータが公表されていないことについて質問しました。原子力安全委員会は「3月11日のデータについては、その信憑性の確認をとっている」とし、「できるだけ早くオープンにしたい」と述べました。平山さんは、4月8日(金)のNHK報道
からしても、3月11日分のデータ公表は必要不可欠だとしました。


「1号機、地震で損傷の可能性」NHK報道 東電情報隠しか?

2011年04月08日 08時26分59秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

 おはようございます。

 けさ(2011年4月8日)の「NHKニュースおはよう日本」の午前7時20分過ぎに、今後、政界に大きな影響を与えかねない、と私が感じるニュースが報じられました。

 NHKが独自に入手した資料を読み込んだ結果として、東日本大震災(2011年3月11日午後2時46分)が発生してから、7時間近くたった午後9時半に、東京電力・福島第一原子力発電所の1号機の原子炉内の水の量が通常の10分の1に減っていた、と報じました。下に付けたNHKホームページ記事にはありませんが、科学文化部の山崎記者によると、まだ分析中としながら、1号機は津波ではなく地震の揺れで損傷していた可能性がある、と指摘しました。また、経緯は分かりませんが、東電は、3月12日以降の値しか公表していないとのことです。

 たしかに、電源が失われ、冷却系の水を循環できなくなったからといって、7時間の間に、水の量は、蒸発などを除けば残っているはずで、10分の1に減ってしまうというのは、おかしいように私にも思えます。

 このブログは国会ブログですから、気になるのは、内閣のことです。菅直人首相は12日に、国民向けのメッセージで「加えて、福島第一原子力発電所、更には第二原子力発電所について、多くの皆様に御心配をおかけいたしております。今回の地震が、従来想定された津波の上限をはるかに超えるような大きな津波が襲ったために、従来、原発が止まってもバックアップ態勢が稼動することになっていたわけでありますけれども、そうしたところに問題が生じているところであります」と述べており、津波が原因であり、「そうしたところに問題が生じているところであります」と断定調で述べてしまっています。

 ですから、NHKの報道からして、仮に「従来予想された津波の上限をはるかに超えるような大きな津波が襲」う前の地震の揺れにより、1号機に亀裂が生じていたとすると、総理は結果として虚偽の内容をメッセージとして発信してしまったことになります。

 おそらく情報の混乱が原因であって、首相官邸が情報を隠したとは思えません。が、政治は結果責任です。私にとって「危機管理」とは「最悪の事態を想定してそこから逆算して想像する」ことです。その答えは、「結果責任として、時期的なメドがついた段階で、内閣総辞職につながりかねない案件だ」ということです。

 とにかく、なぜ3月11日の資料を東電が情報公開(ディスクロージャー)していないのか、の実態が分からないと、どうにもなりません。

 まさに「見て見ぬフリをする」「異物を排除する」「右にならえ」の54年間、政権交代しなかった国の現実であり、私たち国民がその現実から目を背けることは許されない、もちろん、被災者の方、辛い方に全員に求めるわけではありませんが、まさに戦後日本のドブさらいが求められている気がします。この事実関係についての分析、続報は、NHKの報道に譲ります。

1号機 震災の夜に燃料露出直前 NHKニュース

東京電力、福島第一原子力発電所の事故で、1号機では、先月11日の地震当日の夜までに原子炉の水が核燃料が露出する直前まで減り、安全のために最も大切な「冷やす機能」を十分に保てなかったことが、NHKが入手した資料で分かりました。専門家は「その後さらに水が減り、核燃料が露出したことで、地震の翌日という早い段階で水素爆発が起きたのではないか」と指摘しています。

NHKが入手した資料には、地震当日の先月11日に福島第一原発の1号機から3号機で測定された原子炉の「水の高さ」や「圧力」などの値が示されていますが、東京電力などは、これまで地震の翌日以降の値しか公表してきませんでした。資料によりますと、1号機では、地震発生から7時間近くたった午後9時半に、原子炉の中で核燃料が露出するまでの水の高さが残り45センチとなり、通常の10分の1程度に減っていたことが分かりました。1号機から3号機では、地震と津波によってすべての電源が失われ、2号機と3号機では非常用の装置で原子炉を冷やし、水の高さが4メートル前後に維持されていました。これに対し1号機では、地震当日の夜までに、すでに安全のために最も大切な「冷やす機能」を十分に保てなかったことになります。また核燃料が水から露出するまで、2号機と3号機では、地震から1日半から3日程度かかっているのに対し、1号機では18時間ほどしかありませんでした。東京大学の関村直人教授は「1号機では、『冷やす機能』が維持できなくなったあと、さらに水が減り核燃料が露出したことで、地震の翌日という早い段階で水素爆発が起きたのではないか」と指摘しています。一方、東京電力は「調査はこれからで詳しいことは分からない」と話しています。


日テレ「バンキシャ」が玄素彰人・和歌山県印南町長(37)の幼保一体化で「認定こども園」を報じる

2011年04月06日 20時07分11秒 | ルポ)最年少町長さんの誕生(2008年2月)



[画像]玄素彰人・和歌山県日高郡印南町長、2011年2月20日(日)放送の日本テレビ・読売テレビの「真相報道バンキシャ」より。


 月日は百代(はくたい)の過客(かゎかゎく)にして、行き交う(ゆきこお)年もまた、旅人なり。

 東北、おくのほそ道(奥の細道)に旅立つ、芭蕉は、東京・下町の深川でこう詠みました。

 カテゴリー「ルポ)最年少町長さんの誕生」も2年半ぶりの更新となりました。

 さる2011年2月20日(日曜日)の全国ネットはちょっとした「印南町(いなみちょう)デー」でした。

 お昼のNHKのど自慢は、和歌山県西牟婁郡白浜町会場から全国ネット。鐘3つの合格者5人のうち、第1号は印南町民の方でした。

 

[画像]2011年2月20日放送のNHKのど自慢は和歌山県白浜町の体育館から。NHK松本アナウンサーの名司会で、鐘3つ第1号は印南町の「井上さん」でした。

 元々白浜町というのは、ちっぽけな小生にとっては極めて縁が深い国鉄白浜駅(現在のJR西日本白浜駅)からひらけた行楽地であり、かつ、合格第1号が、印南町民の方ということで、このコンビネーションは大変うれしくて、番組終了後に、玄ちゃん、じゃなかった、玄素町長に電話してみました。「おめでとうございます」と半ばふざけ気味に言ったら、「え?」。「のど自慢!」というと、「あっ今日たしか白浜町じゃないか?」とさすがに町長はすばやく気付きました。町長は、県都・和歌山市に出張して、駅伝大会の来賓だということですが、電話しているさいちゅうに、表彰式で使われるおめでたい音楽(♪チャーチャーラ チャーラー チャラチャラチャッチャッチャッー)が外から流れてきて、運の巡り合わせを感じました。そしたら、玄素さんからは「こないだ、日テレの“バンキシャ”の取材を受けていて、きょうの放送で出るかもしれないし、出ないかもしれない」ということで、午後6時からの日本テレビ・よみうりテレビの「真相報道バンキシャ」を見てみました。

 
[画像]真相報道バンキシャ、2011年2月20日放送分、日本テレビ放送網さんの映像からキャプチャさせていただきました。

 この日の「バンキシャ」は放送回数400回記念とのこと。生き馬の目を抜く放送業界で、日曜夜という競争の激しい時間帯で、8年間続いていると言うことで、おめでとうございます。

 さて、この日はアタマの痛い、待機児童の問題ということで、「幼保一元化」や「認定こども園」が話題になりました。以下、当日の放送の画像です。
 
















 番組はまず大阪府知事の橋下徹さん(41)の取り組みを紹介した後、取材班は和歌山県・印南町に渡ります。このエピソードの詳細は、このエントリーの後ろに付けた、日高新報さんや、朝日新聞などの記事を先に目を通して頂ければ分かりますが、バンキシャが印南町に2つある幼稚園、4つある保育所を次々に訪ねると、園長さんは口々に「(2011年3月31日で)閉園になります」と。これは一体どうしたことか、という風情で、バンキシャが町役場の町長室に押しかけると、玄素町長が、すべての町立幼稚園・保育園を廃止して、4月からは、「認定こども園」をスタートすると説明します。

 ここで、詳しい方は、「認定こども園というのは、民設民営ではないの?」と思うでしょう、その通りです。和歌山市に本部がある法人が民設民営で「認定こども園」をスタートするのですが、これは、元々遊休地だった町有地に誘致した格好になります。その町有地が貸与なのか、売却なのか、スタートアップ段階での上屋の固定資産、法人損益への課税はどうなるのか、僕は知りませんし、ジャーナリストとしても、友人である町長にそういう内容を取材したくありません。やはり自治体の中では圧倒的な権限を持つ町長ですから、友人とはいえ、疑われるような付き合いはしてはいけないと自覚しています。ただ、実は、この「認定こども園」に関しては、一つ笑い話があります。認定こども園制度の活用について、玄素町長は就任直後から目を付けていて、所管の文部科学省に話を聞きに行っています。しかし、このときは、文科省は「町長、認定こども園というのは、民設民営だから、自治体は関係ありませ~ん!!」と門前払いされてしまいました。町長の東京出張自体が空振りになりかねず、たまたま私が国会周辺に取材に出かけている時に電話がかかってきて、一緒にコーヒーを飲みながら、国政について情報交換したり、知り合いの国会議員室に遊びに行ったりしました。だから、この門前払いを知っているわけです。印南町では、町長の支持者が「おい、ゲンソ、東京では宮崎君にちゃんと会ってるのか?」と好意的におっしゃってくださる方が多くいらっしゃるそうですから、このエピソードを初めて披露しました。

 3年前は、【最年少首長】34歳・玄素さん、和歌山県印南町長に当選と喜んでいたわけですが、その後、次々と玄素さんより若い首長が誕生しました。小生が旧知で大学2級下の吉田雄人さんも中核市である横須賀市長になり、「密約調査結果」に関して岡田克也外相の訪問を受けたこともありました。正直、若ければいいというわけではないと思いますが、月日は百代の過客のごとく、気付いたときにはあっと言ういうまに去っていきます。

 僕にとっては、5回目のフルタイムでの選挙戦にして、最も壮絶なきつさだった2008年2月の「最年少首長さんの誕生」選挙でしたが、このときは、選挙を闘いながら、選挙事務所から、「仮に当選した最年少首長になりますから、ぜひご取材下さい」とすべての報道機関に電話でお願いしていました。そうすると、かならず「情勢はどうなんですか?」と聞かれるので、「有力だと思いますが、選挙ですから最後まで分かりません」と答え続けたわけですが、最終的には116票差の勝利で、我ながらよくこのような二刀流、連立方程式を成功させた物だと思います。ただ、116票差と言っても、私はこの選挙は「玄素の圧勝」だったと思います。さて、そちらの2つめの目標は、やはり自治体ということで、時事通信の「官庁速報」「カンソク」に玄素印南町長のインタビューが載りましたというのが、全国的にイチバン話題を呼び、「1月にあの巨大自治体の大阪府で、大組織の支援があったとはいえ、弱冠38歳の橋下徹さんが知事になったら、2月には人口1万人未満の印南町で34歳の無所属の元町議が前任町長から後継指名を受けた前教育長(64)との一騎打ちに勝った」ということで、かなり波紋を呼んだようです。

 この「官庁速報(カンソク)」で、新・町長にインタビューをして、記事にしてくださった、時事通信和歌山支局の江藤綾香記者は、元々の所属だった東京本社政治部に帰り、現在は、総理番を含めた政府中枢の取材をしています。

 
 
[画像]菅直人首相との話し合いのために首相公邸に出入りする総理の客人にぶら下がり代表取材をする、江藤綾香・時事通信記者(黄色い服の女性)。2010年秋、NHKニュースから。

 この映像では、首相公邸前に2人の記者しかいませんから、公邸などの警備などの都合から、共同通信社と時事通信社の「ナショナル・フラッグ・ワイヤー」2社の記者が全報道機関を代表して取材する「共同・時事方式」という取材形式だと思います。時事通信記者はえらいのです。

 そして、野党時代に「【夢の対談】新旧最年少首長、改革のバトンをつなごう(前編)



というかっこうで、対談してもらった“現役最年少首長の先輩”の野党1年生議員だった逢坂誠二さんも、政権交代後、首相補佐官を経て、現在は総務大臣政務官として走り回る日々。こうしてみると、3年経って、のんべんだらりんしているのは、僕だけですね、がんばらなくちゃ、まあそのうち僕の出番もでしょう。行き交う年もまた旅人なり。

 「逢坂・玄素対談」の後編にある逢坂さんの「でも、選挙の年になってから、あれこれやるというのは、実力のない首長さんの常です。「選挙イヤーだからやっている」と言われます。「首長は2期、3期やらなければいけない」という人がいますが、だれもそのこと(再選)を保証してはくれないわけで」という言葉はまさに至言だと思います。この言葉は、首長経験者でなければゼッタイに出てこない言葉だと思いますね、「だれもそのこと(再選)を保証してはくれない」。そう言う中では、やはり首長とは孤独だし、裸の王様になるリスクを常にはらんでいる。そう言う中で、前に進んでいく精神力というのは、どこから出てくるのだろうか。その答えは現時点では、僕はまだ言葉で表現できないけど、とにもかくにも、前に進み続けなければいけないんだ。それだけは断言できます。この辺の基礎自治体の首長の心持ちというのも、もう少し、岡田克也さんなんかも分かってくれればいいのになあ、と思っています。せっかく河村たかしさんが基礎自治体の首長になっているんですし。

あす、2011年4月7日(木)、認定こども園の「いなみこども園」は、第1回目の入園式を迎えます。行き交う人もまた旅人なり。


[写真]宮崎信行(筆者)と玄素彰人さん、1995年ごろ、新進党東京第11総支部内で。

 僕もがんばらないとね。

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 和歌山県日高郡印南町の玄素彰人町長(37)は2011年3月14日、印南町議会(藤本良昭議長、堀口晴生副議長)の平成23年(2011年)第1回定例会の一般質問で、西山徹議員の質問に答え、2012年1月ないし2月に施行される次期町長選に「町民はじめ関係各位の協力で200以上の事業と事業改善ができたが、さらにそれらの政策を発展、また経過を見守る意味でも次期町政を担当させていただきたい」と述べ、再選出馬する意向を表明しました。

 同町長選への出馬表明は、玄素さんが初めて。

 自らが組んだ平成23年度予算(2011年4月1日~翌年3月31日)をしっかり、きっちり最後まで執行する、との考えに基づきます。町長は「この3カ月で、区長連絡協議会はじめ各区や団体から多くの出馬要請をいただいた。このことは3年間の行政運営に評価いただいたものと考えており、そのほか諸条件も整いつつあります」「自治体行政を取り巻く環境は非常に厳しいが、不撓不屈の精神で立ち向かいたい」と述べました。紀州新報さん、日高新報さん、紀伊民報さんの地元3紙が伝えました。紀伊民報さんは「現在のところ、対立候補を立てる動きは表面化していない」、日高新報さんは「いまのところ対抗馬のうわさは出ていない」と報じていますが、まだまだ、どうなるか分かりません。油断大敵です。

玄素町長が立候補表明 印南町長選 - AGARA紀伊民報

 和歌山県印南町の玄素彰人町長(37)は14日、町議会3月定例会の一般質問で、来年早々に行われる町長選挙について、立候補する考えを表明した。西山徹議員(無)の質問に答えた。

 玄素町長は出馬表明の理由について「町区長連絡協議会をはじめ、各区や団体からの出馬要請をいただくことが多くなってきた。次期町政を担当しようと決意する上で非常に心強く感じるとともに、3年間の行政運営に対して評価をいただいているものと考えている。諸条件も整いつつあり、町長選に立候補したい」と述べた。選挙で掲げる公約については「後援会や町民の皆さんの意向などを聞かせてもらいながら、しかるべき時期に公表させていただきたい」と話した。
 同町選挙管理委員会によると、町長の任期は来年2月23日までで、選挙は1月か2月を予定しているという。現在のところ、対立候補を立てる動きは表面化していない。

印南の玄素町長 次期町長選出馬を表明 日高新報

 印南町の玄素彰人町長(37)は14日に開かれた3月議会一般質問の中で、来年2月23日任期満了に伴う次期首長選について、「立候補したいと考えている」と正式に出馬を表明した。いまのところ対抗馬のうわさは出ていない。

 西山徹議員の「次期町長選への出馬の意向」に対する答弁。玄素町長は「町民はじめ関係各位の協力で200以上の事業と事業改善ができたが、さらにそれらの政策を発展、また経過を見守る意味でも次期町政を担当させていただきたい」と意欲。「この3カ月で、区長連絡協議会はじめ各区や団体から多くの出馬要請をいただいた。このことは3年間の行政運営に評価いただいたものと考えており、そのほか諸条件も整いつつある」として、出馬を表明した。最後に「自治体行政を取り巻く環境は非常に厳しいが、不撓(ふとう)不屈の精神で立ち向かいたい」と決意を示し、公約については「後援会や町民の皆さんの意向を聞かせてもらい、公表したい」と話した。

 3年前の町長選では、玄素町長が新人同士の対決を3394票対3278票と、116票差で制した。

いなみこども園の園舎お披露目 - 日高新報

 4月に新しく開園する印南町の認定子ども園 「いなみこども園」 の完成した園舎が13日、 入園する園児や保護者にお披露目され、 木の香りとぬくもりあふれる真新しい施設が好評をだった。

 同園で開かれた入園説明会に出席した保護者と園児が、 園舎内を自由に見学した。 教室や遊戯室、 廊下の床には紀州材がふんだんに使われ、 玄関に入った保護者は「いい香りがする」とにっこり。園庭側はすべてガラス張りで、日の光がいっぱい差し込み、室内の明るさや暖かさを体感していた。 子どもたちも大はしゃぎで、うれしそうに走り回る姿がみられた。 印南から参加した浜本安庸さん(43)は、「木のぬくもりがあっていい印象。 緑の芝生が生えそろえばまた雰囲気が変わるでしょうし、 子どもたちが喜んでいるのが何より」 と笑顔で話していた。

 説明会は昼と夜の2回開かれ、 合わせて240人が参加。 運営する和歌山市の社会福祉法人しょうぶ保育園の木村正直理事長や町教育委員会らが園生活について説明したほか、 新しい職員の紹介もあった。 保護者からは制服や持ち物についての質問が相次いでいた。 教育委員会では 「施設を見てもらって好評だったし、 新しいスタッフに安心してもらえたと思っています」 とし、 4月7日の入園・開園式に向けて準備を整えていくとしている。

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[朝日新聞・2010年6月18日付 大阪地方版/和歌山 31ページから引用はじめ]

県内初、民設民営こども園 印南町立の5幼保統合、来春開園目指す /和歌山県
2010.06.17 大阪地方版/和歌山 31頁 和歌山3 写図有 (全600字)  

   印南町内にある五つの町立幼稚園・保育所を同町山口の町有地に統合、一元化する認定こども園の起工式が15日、現地であった。建設、運営するのは和歌山市の社会福祉法人「しょうぶ保育園」(木村正直理事長)。町教委によると、民設民営方式の認定こども園は県内初という。来年4月の開園を目指している。

 町内には公立の幼稚園が2カ所、保育所は3カ所あるが、老朽化で耐震性に不安を抱える施設が出ていることなどから、町は幼保一元化を進めることを決定。民間の方が施設の建設費や運営費を抑えられるとして設置・運営する法人を募集していた。

 町内の教育関係者や保護者らでつくる選定委員会の審査の結果、しょうぶ保育園が選ばれた。同保育園は1974年の設立。和歌山市吉礼で保育所を運営し、6月1日現在、0~6歳の子ども154人が利用している。

 施設は鉄骨平屋建て、延べ床面積約1600平方メートル。0~5歳児の各保育室や屋内遊戯場などがある。園庭は芝生を植え、大型遊具や砂場などを備える予定。施設の名称は今後、公募する考え。

 約8600平方メートルの敷地は町が無償提供。建設費は基本的に半分が県の基金、4分の1を町が補助する。また運営費の半分程度を町が補助する予定。

 起工式には、印南町やしょうぶ保育園などの関係者約40人が出席し、安全を祈願した。着工は7月の見通し。(紀伊民報) [引用おわり]


俊美さん、東北太平洋沖の「ロナルド・レーガン」を訪問 

2011年04月04日 21時32分05秒 | その他

 防衛大臣の北澤俊美さんは、2011年4月4日、東北太平洋沖で「オペレーション・トモダチ」を展開する、米浮沈原子力空母「ロナルド・レーガン」を、ジョン・V・ルース駐日米国大使閣下と訪れました。折木良一・統合幕僚長も同行しました。

 このもようは、ルース大使閣下のツイッターや、在日米海軍司令部のツイッターが写真付きで紹介しました。大使は、「Japan has often led the world in answering calls for humanitarian assistance & disaster relief. This time the world has come to support you.日本はこれまで人道支援と災害救援で度々世界をけん引してきました。今回は世界があなたたちを支援する番です。)」とつぶやきました。

 
[写真]米海軍厚木航空施設(神奈川県大和市・綾瀬市)から米空母「ロナルド・レーガン」に向かう防衛大臣の北澤俊美さん、在日米海軍総司令部、2011年4月4日

 厚木航空施設から、東北太平洋沖の米海軍の原子力空母「ロナルド・レーガン」についたときは、かなりの強風だったようで珍しく髪が乱れています。

 
[写真]太平洋上の米空母「ロナルド・レーガン」で米軍のおそらく4軍(海軍、陸軍、空軍、海兵隊)を代表する兵士から敬礼をうける防衛大臣・北澤俊美さん、2011年4月4日、在日米海軍総司令部のツイッター


[写真]「オペレーション・トモダチ」の横断幕に目をこらす防衛大臣の北澤俊美さん、東北太平洋沖「ロナルド・レーガン」艦内で、2011年4月4日、ルース大使のツイッターから。


[画像]北澤大臣、折木統幕長らとともに、ルース大使が「ロナルド・レーガン」をおとずれたようすを伝える、大使や海軍総司令部のツイッター。

 言うまでもなく、51年目を迎えた日米同盟はわが国の安全保障において最大の公共財です。

 米原子力空母「ロナルド・レーガン」は言うまでもなく、第40代米合衆国大統領、ロナルド・レーガンの名にちなみます。

 このブログを書くにあたって、ロナルド・レーガンの資料をパラパラをめくっていたら、次のような写真を見つけました。USニューズ・アンド・ワールド・リポートが彼を偲んだ追悼特集号にこのようなポスターがありました。

 
[写真]1957年の米コロンビア映画「ヘルキャッツ・オブ・ザ・ネーヴィー」のポスター。

 これは1957年のコロンビア映画。コロンビア映画というと、親・米民主党(Democrats)でアンチ共和党(Republican)、ソニー買収下ではアンチ日本(これは当然)のイメージが強いのですが、こうやってレーガンが海軍兵士を演じた映画があるんですね。そして、この「ナンシー・デービス」という共演の女優は、実は、後の「ナンシー・レーガン大統領夫人」のことなんですね。きょう初めて知りました。ちなみに、「ヘルキャッツ」という言葉も知らなかったので、辞書で引いたら、この映画「海軍のあばずれ女たち」というタイトルで、いったいどういう映画で、だれがどういう配役なのか気になりますが、ひょっとして後の合衆国ファーストレディーが「あばずれ」役だったら、かなり笑えますが、まあ、1957年というと、映画がテレビに食われていた時期ですから、映画産業もいろいろな過渡期だったのでしょう。

 イリノイ州生まれのロナルド・レーガン。合衆国大統領は歴代44人のうち、健在なのは5人です。39代ジミー・カーター大統領(民主党)、41代ジョージ・ブッシュ父大統領(共和党)、42代ビル・クリントン大統領(民主党)、43代ジョージ・ブッシュ子大統領(共和党)、そして現職のバラク・オバマ大統領(民主党)の5人ということになります。そして、帰天した39人の大統領のうち、西海岸にそびえる丘から太平洋を見渡して眠っておられるのは、ロナルド・レーガン大統領、ただ一人なんじゃないでしょうか。仮にそれが違っても、「合衆国の歴代大統領のうちロナルド・レーガンほど、太平洋が似合う男はいない」ということには異論はないでしょう。

 ロナルド・レーガン大統領候補の選挙参謀をつとめた、アラン・グリーンスパン(後にFRB議長)は、日経新聞『私の履歴書』の中で、選対入りしてすぐに、彼があまりに凡庸な人物だと気づき、驚いたという趣旨のことを書いています。そういった類は、他にも多くの人が指摘しています。しかし、絶対悪である「コミュニズム」を世界に撒き散らそうとした悪の帝国「ソ連」を倒し、国策であるスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発にも泰然自若と振る舞ったレーガンが偉大な大統領であったことは間違いありません。

 ロナルド・レーガンは、69歳と合衆国史上最高齢で大統領に初当選した遅咲きの政治家でした。

 一方、防衛大臣の北澤俊美さんも、54歳で初当選しました。そして、初当選から3年目~18年目の長きにわたる野党暮らしにじっと耐えました。大器晩成、まさに生まれ育ち、今も暮らす、長野市川中島にかつてあった「川中島の合戦」さながらの持久戦ですが、3月で73歳を迎えたとは思えない元気さ。体も丈夫、心も丈夫、悪いのは口だけ。筆者も血の半分は川中島の血統なのですが、「3・11」ですっかり意気消沈してしまい、家で、伊勢湾台風や、災害対策基本法や、吉田茂のことを調べたりするだけで、楽天的ではありますが、足と体が動かない日々です。



 在日米軍の沖縄への偏在は問題であり、改革すべきです。しかし、米海兵隊の国外移転を根回し無しに打ち出したバカ殿、鳩山由紀夫元首相の一連の言動は、日米同盟の信頼にキズをつけました。それなのに、鳩山グループ(政権公約を実現する会)の連中はまったく製造物責任(PL)をとろうとしません。推薦人に名を連ねた1年生参院議員のうち、副幹事長の行田邦子さんは、土地取引の外資規制でがんばっていますが、後は第22回参院選で落選した人も多いですが、国会に残っている人もダメダメですね。無責任きわまりない。

 菅直人さんは、勤続30年なのに、経済オンチ、外交オンチ、財政オンチであまりアタマが良いようには思えず、また宵っ張り、女好き、交通ルールを守らない、旧い友人を大事にしない、愛想が悪いなどその振る舞いにも大いに問題があります。しかし、前任者と違って、精神力が強い。そして、アタマの中味も、英語は話せませんが、政治センスに優れ、人を見る目もある。前任者よりはだいぶましです。そして政権を動かしていく中で、グリーンスパンがその凡庸さに驚いたと述懐するロナルド・レーガンが2期8年間つとめ上げ、副大統領が後継者になったことからすれば、実質3期12年におよび長期政権を実現できたのは、よいスタッフに恵まれたからです。総理を裸の王様にしてはいけません。ちなみに、レーガンは日記で、日本の鈴木善幸首相について「フツーの人で驚いた」と書いています。菅さんは多少はリーダーのオーラがあります。内閣官房の参与や副長官、補佐官がどんどん入れ替わっていますが、くれぐれも、総理を裸の王様にしてはいけません。

 ロナルド・レーガンと北澤俊美。2人の遅咲きの政治家に思いを馳せながら、筆者は「オレはとてもこう楽天的にはいられないな」と思い、復興に備えて、本を読んで、調べ物を続けようと思うのでした。