縄文杉との対面を目ざして 中編
あこがれの「縄文杉」はそのごつごつした樹形、その幹周りの太さともに圧倒的な存在感で私に迫ってきた。
平坦なトロッコ道から、本格的な登山となる大株歩道に入った。
いきなり階段状のところを登り始める。汗がどっと噴き出す。女子大生が「乳酸が溜まるぅ~」と悲鳴を上げている。
ガイドの直ぐ後を付いていた私だが徐々に離され始める。
3~40分の登りが続いただろうか。「翁杉」が目に入った。推定樹齢2000年。木肌には多くの植物が着生していた。
※ 多くの植物が木肌に着生していた「翁杉」
「翁杉」からほどなく行くと、有名な「ウィルソン株」が現れた。
※ 大きな木株だけが残された「ウィルソン株」
豊臣秀吉の命によって切り倒され、根元の株だけが残っているのだが、高さの推定が42mにもなる大木だったと想像されている。残った切り株の中心部が空洞となっていて、詰めれば3~40人は入れるであろうほどの空洞である。空洞からは上手く撮るとハート型に空が写るのが人気の一つだ。私はわりあい上手く撮れたと思っている。ご覧あれ!
※ 「ウィルソン株」の中から空を覗くとハート型の空間が現れた。
厳しい登山道が続く。このルートは多くの登山客が利用するためだろうか、わりあいと整備されている。
自然の登山道と人工の木の階段が用意されているところと半々のような印象だ。その人工的に造られた階段がきついのだ。否応なくそこを登らねばならない。まるで直登である。脚が一気に疲れてしまう。
対して自然の登山道の方は石や木の根などが横たわる中を自分が登りよいように選択しながら登っていく。そのリズムは不規則であるが、それが変化を呼び疲れを忘れさせてくれるのだ。登山道の整備もあまりに整備が行き届くのは考えもののように思う。
※ このようなさまざまなタイプの木製の階段が設けられていました。
そうこうするうちに「縄文杉」が発見されるまで屋久杉最大と言われた「大王杉」に到着する。推定樹齢3000年、高さ24.7mである。ちょっと離れたところから見上げるとなるほど巨大である。
※ 堂々とそそり立つ「大王杉」の姿です。
続いて間もなく「夫婦杉」が現れる。2本の杉が手を取り合うように枝が融合して合体木となっている。これは「遺伝子が同じために生長過程でそうなった」というのがガイド説明だった。
※ 二つの杉が手を繋いだように合体している「夫婦杉」です。
残りはいよいよ「縄文杉」だけである。
縄文杉に至る前に、昼食を摂るところにザックをおいて空手で縄文杉を目ざした。
それからも15~20分くらい登っただろうか。とうとう私たちの前に「縄文杉」が姿を現した。
※ ようやく巡り会えた憧れの「縄文杉」の前に立ち、
誰もがするような記念写真を写しました。
時に11時30分。登山を開始してから5時間40分をかけての到達だった。(これはかなりゆっくりしたペースで、私に合わせてくれた? まあ、ガイドの説明もかなり丁寧だったせいもある。)
「縄文杉」の幹周りの形相が凄い!全体が白っぽく、ゴツゴツとした木肌に幾多の風雪に耐えてきた風格のようなものを感じさせる。推定樹齢には数説あるのだが、最大で7200年というとてつもない樹齢説もある。樹高25.3m、幹周り16.4mという堂々たる屋久杉の王者である。私はしばしその姿に圧倒されると同時に、長い時間登り続けてようやく目的のものに巡り会えた達成感に浸ったのだった・・・。
※ ゴツゴツした木肌の「縄文杉」の根元部分です。
なんといっても「縄文杉登山」は今回の旅のハイライトである。ついつい気合が入りすぎて文章が長くなり、この回でも終わらなかった。次は下山編となる。