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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

屋久島・種子島紀行を振り返る 特別編

2010-03-17 16:25:55 | 道外の旅

鹿児島市内観光
 
 旅程をちょっと工夫することによって鹿児島市内を巡る時間を作ることができ、主だった史跡を巡ることができた。

 当初、ツアー会社から提案された日程では、屋久島を12時00分に発って、鹿児島発16時40分の飛行機に搭乗する予定だった。これだと鹿児島市は通過するだけになってしまう。
 しかし、屋久島をその日の始発の7時25分の高速船に乗れば、鹿児島市内で4時間半の時間ができることを分かった。そこでツアー会社にかけあって高速船の時間を変更してもらい、若干の時間ではあるが鹿児島市内を観光することにした。

 鹿児島中央駅のコインロッカーに手荷物を預け、市内観光に出向いた。
 駅前の広場に多くの銅像が群れるように立っているモニュメントが目に入った。「薩摩の若き群像」と題する彫刻で、薩摩藩が江戸末期に国禁を犯して海外留学させた青年藩士たちの銅像だった。
 そこから歩いていける距離に「ふるさと維新館」があった。平成6年に開館した比較的新しい施設は「ハイテク技術を駆使した設備で、明治維新の全てを楽しく学ぼう!!」のキャッチフレーズどおり、なかなか興味深い展示内容だった。特に維新体感ホールで体感した「維新への道」というロボットを駆使したドラマは一見の価値があると思った。
そんなことでこの「ふるさと維新館」で1時間以上も長居したため、後の計画に狂いを生じてしまった。

        
        ※ 「ふるさと維新館」内にあった記念写真撮影用の西郷像です。

 「ふるさと維新館」の近くには、西郷隆盛や大久保利通など明治維新に活躍した多くの薩摩藩士の生誕地の碑があった。

        
        ※ 維新館の直ぐ傍にあった「大久保利通」の生誕地の碑です。

        
        ※ 近くには「西郷隆盛」「西郷従道」兄弟生誕地の碑もありました。

 生誕地の碑を見た後、鹿児島市内の観光スポットを巡るバス「カゴシマシティビュー」を利用して「鶴丸城(鹿児島城)跡」に向かった。城は城郭の一部しか残っていない。

        
        ※ 鹿児島市内観光用に巡回する「カゴシマシティビュー」
         の派手なバスです。

        
        ※ 城郭だけが残っていた「鶴丸城跡」です。

 鶴丸城はいわゆる平地に建てられた平山城であるが、歴史を辿るとその背後にある城山の山頂に山城も構えて万一に備えたようである。
 城跡には鹿児島県立の「歴史資料センター黎明館」の大きな建物が建っていたが、残念ながら当日は休館日であった。

        
        ※ 鶴丸城内に建設されている「歴史資料センター黎明館」です。

 その後、徒歩で近くにあった西郷隆盛の終焉の地を探し歩き、住宅街の中にひっそりと立っていた碑をなんとか探し出すことができた。碑には「南州翁終焉之地」と刻まれていた。そこは西郷たちが最期に立てこもった城山の洞窟からわずか数百メートル離れたところだった。

        
        ※ 西郷隆盛の最期の地であることを示す石碑です。

 西郷終焉の地から城山に上っていった。けっこうきつい坂である。近くを歩いていた婦人に「西郷洞窟は近くですか?」と聞くと、親切に教えてくれた。
 通称「西郷洞窟」(正式には西南戦争の薩軍の司令部である)は、火山灰地(あるいは砂岩?)をくりぬいた粗末な洞窟だった。

        
        ※ 意外に小さな洞窟で最後の指揮をしていたようです。

 最後に島津氏が山城を築いたという「城山」に上ってみた。城跡は特になく、現在は鹿児島市内を見渡せる公園として市民や観光客に親しまれているようである。

        
        ※ 「城山」展望台から鹿児島市内が一望できます。正面が桜島です。

 限られた時間の中でわりあい効率的に巡ることができたと思うが、鹿児島市内にはまだまだ史跡や見所が多い。機会があれば再訪したいところである。