種子島周遊
たった一日の種子島滞在である。私は種子島の見所を巡ることに徹することにした。鉄砲伝来の地、日本の宇宙開発の最前線基地、etc. etc.…。
3月6日(土)、種子島に遊ぶことにした。
種子島一の都市、西之表市を基点にして島の南側をぐるっとレンタカーで一周した。島のおよそ3/4を巡ったことになる。
※「雄龍・雌龍の岩」です。二つの岩の間に注連縄が張ら
れています。
西之表市からまず鉄砲伝来の地といわれる「門倉岬」を目ざして南下した。
最初は島の西岸を海沿いに、途中から内陸部を通るコースである。途中、島の観光ポイントである「雄龍・雌龍の岩」、「中種子町立歴史民俗資料館」、日本一といわれる「坂井の大ソテツ」に立ち寄り、「門倉岬」に到達したのは午前10時半頃だった。
※ 樹齢600年以上といわれる日本一のソテツの木です。
岬そのものは崖の上にあったが、下の方には遠浅の海が広がっていた。難破船が漂着しそうな雰囲気が感じられる砂浜であった。この地にポルトガル人を乗せた中国船が漂着し、そこから日本の鉄砲の歴史が始まったと思うと感慨深いものがあった。
※ 中国の難破船が漂着した門倉岬の海岸です。
門倉岬を後にし、島の南西端にある「種子島宇宙センター」を目ざしたが、このあたりから行く手の両側に水田が広がっていた。ちょうど田植えが近づいていて、トラクターで代かきを盛んにやっていた。3月に田植えとはさすがに南国である。
※ 種子島の南部にはこうした水田が広がっていました。
門倉岬から30分ほどで「種子島宇宙センター」に着いた。
※ 種子島宇宙センターにはこのようなロケットのモニュメントが(本物?)
想像していたより広大な敷地にロケット発射のための施設が点在していた。我々観光客が立ち寄れるのは「宇宙科学技術館」だけである。観光客の姿も少なく閑散とした技術館を一応覗かせてもらった。見慣れない機器や難しい説明プレートが陳列されていた。時間があればじっくりと見て回るのも良いが、時間のない私は早々に退散した。
宇宙センターの周囲をぐるっと回ってみたが、さすがに国の施設である。敷地の芝生は刈り込まれ、きれいに整備されているのが印象的だった。
※ 右側の海に突き出たところにあるのが大型ロケット発射場です。
種子島の二つの目玉を見終えた私は、一路スタート地点の西之表市を目ざすことにした。
途中、「千座(ちくら)の岩屋」という海の波によって浸食された洞穴群に寄った。洞穴も見事だったが、南国らしい海の青さが素晴らしかった。
※ 「千座の岩屋」から海(太平洋)を望んだところです。
※ 「千座の岩屋」のところの海岸です。南国らしい海岸です。
その後、内陸部の中種子町を経由して、東岸の海沿いをひたすら北上した。リアス式の海岸は集落も少なく閑散とした感じだった。中にはサーフィンのポイントもあるとのことだったのだが、特にサーファーの姿を見ることもなく西之表市に着いた。
※ 水田とともに種子島で目立ったのがサトウキビ畑です。
西之表市では「石川本種子鋏製作所」で鋏の製造過程を見学することにしていたのだが、残念ながら休業日のようであった。ガイドブックでは日曜日が休業日ということでわざわざ日程変更して土曜日に種子島を訪れたのだが…。
※ 島のところどころにはこのような菜の花が広がっていました。
私は今回の旅がありふれた旅になってしまうかもしれない、と事前に書いた。
この種子島周遊はまさにその典型的なものになってしまったと思っている。
表面的にただなぞるだけの旅になってしまった。
だから軽々な論評は避けるべきと思うのだが…。
※ 「種子島開発総合センター」(博物館)に展示されていた火縄銃です。
一つだけ、やはり種子島にも過疎化の波が押し寄せていることを窺わせることに出会った。
それは西之表市に帰ってきたとき、「種子島実業高校」という表示と、「種子島高校」という表示を見た。
そこで市内で出合った高校生に「どちらの高校?」と聞いたところ、「二つの高校は合併したんです」と聞いた。
北海道の地方の実状と同じ現象が進んでいるらしい。
街の中が皮膚感覚として「元気がないな」と感じた私の感覚は間違っていればいいのだが…。