私が所属する某団体の研修事業で桑園小学校を訪問する機会があった。桑園小学校は昨年4月に校舎が改築され、中央区においては最も新しい校舎に生まれ変わった学校である。最新校舎事情を拝見させてもらった。
7月17日(火)、私が所属する団体の年に1度の研修会で桑園小学校を訪れた。
まず今どきの学校は以前のように校舎に自由に入ることはできない。インターフォンで用件と氏名を述べたうえで施錠を解除してもらう必要がある。私が体験した札幌市内の4~5校は全てそのようなシステムだったので、おそらく市内の全校がそのようなシステムを採用していると思われる。
校長先生のお話の後、校舎を見学した。
教室はいわゆるオープン教室と称して教室と廊下の仕切りがない造りになっている。学級間には壁があるが、廊下側の壁がないためクラス間の声は筒抜け状態である。
私はこうした造りの学校は経験がない。古い人間にはこうした造りがはたして教育的に効果がある造りなのかどうか疑問が残るのだが…。教室内に静寂が訪れるときがあるのだろうか?(周りのクラスの声が常に聞こえてくると思われるのだが…)
私と同じ疑問をもった人がブログに投稿していた。こちら⇒

※ ご覧のように廊下と教室の間に壁がないのをオープン教室という。
桑園小学校にはこの他さまざまな新しい試みがなされていた。
その一つがDEN(デン)と称される空間である。DENとは、ほら穴とか、子どもの秘密の遊び場と訳される空間である。いわば学校において子どもたちが息抜きのできる空間ということだろうか。各階に小さな空間が設けられていた。
屋上には大きなソーラーパネルが何枚も並べられていた。子どもたちに自然エネルギーについて学ばせるとともに、学校の使用電力を補う意味があるようだ。ちなみにその能力を聞くと、学校の使用電力のおよそ10%程度を賄えるとのことだった。

そして最大の特徴は教室など学校のあらゆる設備の上の5階にプールが設置されていることだった。桑園小学校は学校敷地が限られているという制約があることも階上設置の理由のようだが、太陽光を十分に取り入れることができるというメリットもあるようだ。

桑園小学校にはその他、各階に多目的室や集会室的空間があり、教育活動を展開していく上では十分な広さが確保されていると思えた。
ただ、校長先生からは保護者の要望も多様化し、それに応える先生たちの仕事量が以前に比べて倍加しているとの言葉が気になった。
教師の仕事量の増加が子どもたちと接する時間をますます削る結果になってはいないかと少々心配である。
7月17日(火)、私が所属する団体の年に1度の研修会で桑園小学校を訪れた。
まず今どきの学校は以前のように校舎に自由に入ることはできない。インターフォンで用件と氏名を述べたうえで施錠を解除してもらう必要がある。私が体験した札幌市内の4~5校は全てそのようなシステムだったので、おそらく市内の全校がそのようなシステムを採用していると思われる。
校長先生のお話の後、校舎を見学した。
教室はいわゆるオープン教室と称して教室と廊下の仕切りがない造りになっている。学級間には壁があるが、廊下側の壁がないためクラス間の声は筒抜け状態である。
私はこうした造りの学校は経験がない。古い人間にはこうした造りがはたして教育的に効果がある造りなのかどうか疑問が残るのだが…。教室内に静寂が訪れるときがあるのだろうか?(周りのクラスの声が常に聞こえてくると思われるのだが…)
私と同じ疑問をもった人がブログに投稿していた。こちら⇒

※ ご覧のように廊下と教室の間に壁がないのをオープン教室という。
桑園小学校にはこの他さまざまな新しい試みがなされていた。
その一つがDEN(デン)と称される空間である。DENとは、ほら穴とか、子どもの秘密の遊び場と訳される空間である。いわば学校において子どもたちが息抜きのできる空間ということだろうか。各階に小さな空間が設けられていた。
屋上には大きなソーラーパネルが何枚も並べられていた。子どもたちに自然エネルギーについて学ばせるとともに、学校の使用電力を補う意味があるようだ。ちなみにその能力を聞くと、学校の使用電力のおよそ10%程度を賄えるとのことだった。

そして最大の特徴は教室など学校のあらゆる設備の上の5階にプールが設置されていることだった。桑園小学校は学校敷地が限られているという制約があることも階上設置の理由のようだが、太陽光を十分に取り入れることができるというメリットもあるようだ。

桑園小学校にはその他、各階に多目的室や集会室的空間があり、教育活動を展開していく上では十分な広さが確保されていると思えた。
ただ、校長先生からは保護者の要望も多様化し、それに応える先生たちの仕事量が以前に比べて倍加しているとの言葉が気になった。
教師の仕事量の増加が子どもたちと接する時間をますます削る結果になってはいないかと少々心配である。