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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

古の道を往く旅を振り返る 1

2016-04-06 23:02:13 | ロングトレイルフットパス
古道トレッキング 

 「熊野古道」中辺路ルート4日間のトレッキングは、私にとってけっして易しいものではなかった。しかし、簡単なものでなかったからこそ、その印象は私の中に深く刻み込まれるはずだ。前後に人っ気のない中、幽玄にも思える熊野の山中を一人歩いた4日間を振り返ってみたい。 

    
      ※ 第一日目のコースの途中、「高原霧の里休憩所」から見た、幾重にも重なり合った熊野の山並みです。

 熊野神社の総本山「熊野本宮大社」は遠かったぁ…。
 また、「熊野那智大社」も遠かったぁ…。
 偽らざる私の実感である。
 特に、二日目の近露王子から熊野本宮大社までの27.5キロは私にとって大きな試練だった。この27.5キロは私に言わせれば四つの山を上り下りしたような感じだった。

            
            ※ 熊野古道トレッキングの出発点となった「滝尻王子」社です。

 私はこの旅に出る前、今回の熊野古道トレッキングを多少甘く考えていた節があった。というのも、私は昨年「北根室ランチウェイ」71.4キロを3日間で歩いた経験があった。今回は4日間で62.5キロである。私の中では距離的にいっても不安はなかった。

 ところが…。
 熊野古道はそのコースの様相が違った。ともかく激しくコースが上下するのである。
 コースのスタート地点「滝尻王子」から度肝を抜かれた。いきなりの急登なのである。
 ようやく急登を乗り越えると、比較的平たんに道が現れるが、それも束の間、また急登が現れるといったコースだった…。

            
            ※ 出発地点の直後からの急登に度肝を抜かれました。一気に汗が噴き出ました。
            
 それでも一日目は距離15キロということ、さらにはトレッキングの初日ということもあり、体力的には少し余裕もあり午後3時過ぎには、「近露王子」の近くにあるこの日の宿舎「民宿ちかつゆ」に到着することができた。
 実は当初、この日の宿泊場所を次の日のことを考えて、「近露王子」の4キロ先にある「継桜王子」の近くにある野中集落を考えていた。そこには4軒の宿があったが、二か月前ですでにいずれもが満室で、近露集落に宿を取らねばならない事態となったのだ。

            ※ 第一日、第二日に出会った上り道の様子です。その容貌はさまざまでした。 

            

            

            

            
        
 そのため、翌二日目は27.5キロという私にとっては過酷ともいえる距離をこなすことを余儀なくされた。平坦な道でも27キロは大変な距離である。それがこの日のコースは先述したように四回もの上がり下がりが連続する厳しいコースだった。朝、7時10分に宿をスタートした私が、この日の宿に到着したのは18時15分過ぎだった。行動時間実に11時間である。この間、腰を下ろして10分間以上の休みを取ったのは3回だった。ほとんど、歩きづめ、上りづめの11時間だった。

            
           ※ 急登から、険しい下り坂を下った里に写真のような桜が咲いていると一瞬ですが癒されました。

 その間、ほとんどの区間は私の前も後も誰も見えないただ一人だけのトレッキングだった。ときどき欧米系の若いカップルや、日本の高校のワンゲル部など若い人が私を追い抜いて行った。
 一人古道を往く私は、杉の木が林立する昼なお暗い中を黙々と歩みを進めた。すると、なんとなく聞き慣れない音がしてギョッとして立ち止まることが数回あった。何だろうかと思ったが、良く考えるとそれはザックの紐が触れた音だったり、布が擦れ合ったりする音だった。(神域で聞こえる音は特別な音に聴こえてくる…)

            
        ※ 激しい上り下りは、例えは写真の正面に見える山を上り下った後、再び手前の山を上り返すといった感じでした。

 あまりにも薄暗い杉林の中を往くものだから「あるいは明るいうちに到達できないのでは」と悲観的になったこともあったが、何とかまだ暗くなる前の16時30分に「熊野本宮大社」ら到達することができた。
 苦労して到達した「熊野本宮大社」であったが、あまりにも疲れていたために、大した感動すらも覚える余裕がなく、ただ記念の写真を撮るだけで精一杯だった…。

            
            ※ 古道の途中にはこのように民家がありましたが、道路を見てください。とても狭いのが印象的でした。

            
            ※ いつの時代か不明ですが、山奥深く生活していた民家の跡が朽ち果てていました。
       
 平安・鎌倉時代の高貴な人、そして江戸時代の庶民が同じ道を通って「熊野本宮大社」参詣を行っていたという。私は歩きながら、現代のように装備が整えられ、さらには古道も整備されていながら私のような体たらくである。古の人たちがいかに苦労して熊野本宮大社を目ざしていたのかに思いを馳せた。
 そんな苦労を意にも介さず熊野本宮大社をめざした古の人たちの信仰心の篤さと、体力と忍耐力の強さには驚嘆の思いさえ抱く私だった。

            
            ※ 苦労しただけに一段と尊く、輝いて見えた「熊野本宮大社」の拝殿です。

※昨日は帰宅して午後に熟睡し、本日はまた午前中をベッドの中で爆睡した。帰宅してホッとしたことでどっと疲れが出たようだ。年齢相応に疲れが蓄積していたようだ。