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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

古の道を往く旅を振り返る 7

2016-04-12 16:59:23 | ロングトレイルフットパス
出会いが旅を豊かにする

 ライブレポ19で「旅の醍醐味は出会いである」と記したが、今回の旅でも思わぬ出会いを経験することができた。そうした出会いの中から三つのエピソードをレポすることにする。(このテーマでの写真は撮っていない。そこで直接関係はないが、今まで掲載できなかった旅の写真を挿入することにしたい) 

            
            ※ 今回の旅では「桜」ばかりを話題にしてきたが、所々に「梅」の花も愛でることができた。

 一つは「ライブレポ19」でもレポした新宮市の小口集落の食料品店での女主人と客の男性との出会いだった。
 店の前で缶ビールを片手に所在無げの男性が佇んでいた。地元の人だと見た私は、翌日の「大雲取越」の登り口のことなどに問い掛けた。そこから話が弾み、私が「北海道から来た」というと、男性は女主人に「北海道から来たんだって」と話したところ、女主人も興味を抱き、私が購入したビールを「ここで飲んでいけ」と椅子を勧めてくれた。
 まさか、店先で購入したアルコールを口にするなど、体験したことがなかったが、「これは地元の人と話ができるチャンス!」と思い、勧めに従った。

            
            ※ 田辺駅前に立っていた弁慶像である。弁慶はこの地方の出身という伝説があるようだ。

 店がある小口集落は谷間にある小さな集落だが、お話によると昔(江戸時代?)はもっと栄えていたということだった。熊野本宮大社詣での人たちにとっての中継地と栄えたのだろう。また、熊野の山中に住むイノシシやツキノワグマなどの生態についても話を聞いた。
 店の一隅を見ると、一枚の賞状が掲示されており、それを見ると店の名が「南方商店」とあった。私は「あの南方熊楠と関係があるのか」と問うと、遠戚筋とのことだった。そして女主人は、いかに南方熊楠が立派な人だったかを滔々と語ったのだった。

            
          ※ 熊野古道沿いには、古道を歩く人を慰めようとしてだろうか、このようにデコレーションしてある所があった。


 二つ目の出会いは、愛知県岡崎市から来た二人のトレッカーだった。彼らの一人と小口自然の家のお風呂で出会った。二人きりの風呂だったので、話しかけるとけっして能弁ではなかったが、リタイア後に山登りを主としてあちこちに出かけていると語った。
 夕食時には、相方も含めて話が弾み、彼らがこの日歩いた「大雲取越」がけっこう困難なルートだった話し、互いの翌日の健闘を誓ったのだった。

                    
                   ※ 熊野那智大社の境内に立っていた伝説の鳥「八咫烏」の像です。

 私は「大雲取越」を越えて「熊野那智大社」へ、彼らは反対に「小雲取越」を越えて「熊野本宮大社」へ向かった。
 私は「熊野那智大社」に到着後、バスで新宮市に向かったのだが、那智町というところで乗り換える必要があった。その時である!
 思いもしなかった彼らと再会したのである!
 経緯はこうだった。彼らは岡崎市からマイカーで那智町で来て、そこから「熊野那智大社」に向かい、「大雲取越」、「小雲取越」を歩き、「熊野本宮大社」まで到達した後、バスで那智町まで折り返したところで、私と再会することになったのである。
 オーバーにいえば奇跡の再会である。車のオーナーT氏は、私が隣町の新宮市まで行くことを知ると「これは奇遇だから、ぜひ乗っていけ」と同乗を勧めてくれた。
 私は遠慮なく同乗させてもらい、奇遇に因縁を感じ、名刺を渡した。そのことでT氏はその後拙ブログにコメントをくれたり、メルアドを交換したりと、今後のお付き合いを約束したのだった。

            
            ※ 那智の大滝を遠くに望み、この時期ならではの満開の桜を前景とした滝の様子も素晴らしかった。


 三つ目は、新宮市から伊勢市に向かう列車(特急南紀4号)の中だった。私が乗った新宮市の次の停車駅の熊野市から乗った男性が私の隣りの席に座った。
 男性は熱心に新聞を読んでいた。私は鉄路のトンネルの多さに内心驚いていた。鉄路は海岸線を走っているというのに、トンネルの連続でトンネル以外の区間がほとんどないような路線だった。
 あまりにも多いトンネルに私は思わず隣の男性に「地元の方ですか?」と問いかけると「そうだ」という答えだったので「この辺りはずいぶんトンネルが多いですねぇ」と話しかけた。すると男性は「この辺りは昔、それぞれの集落が孤立していたんです」と答えた。
 無理もないと思った。これだけ山が多く、海岸線まで迫っていると、集落同士が行き来するのは相当に困難だったはずだ。
 それをきっかけに男性は積極的に話しかけてきた。それは、この辺りの集落が「限界集落」化していることについて、その深刻さを語るものだった。
 彼があまりに熱心に限界集落のことを語るものだから、「もしかして公のお仕事をされている方ですか?」と問うた。すると彼は「いや、新聞社の者です」と答えた。彼は地元・中日新聞の熊野通信局長だと言って名刺を渡してくれた。
 彼は名古屋本社に向かう途中で、私が「多気」という駅に降り立つまで2時間近くあれこれと話し込んだ。

            
            ※ 大雲取越の最高点「舟見峠(883m)」の表示はあまりにも簡素で拍子抜けの感だった。

 この他にも出会いはあったが、特に印象的だった三つの出会いについて記した。
 二件目の岡崎市のT氏との出会いは今後の発展も望めそうな出会いとなった。
 他の二つは、地元のことをよく知る方との出会いで、旅した地域を理解し、旅を豊かにするうえでかけがえのない出会いとなった。
 今回の旅で私はあまり出会いを期待してはいなかった。そのことより、熊野古道を予定していとおり完歩することが最大の目標だったからだ。
 しかし、思わぬ出会いは今回の旅をより豊かにしてくれた素晴らしい出会いだった

            
            ※ 写真の最後は「熊野本宮大社」の近くの「大斎原(おおゆのはら)」の満開の桜で〆たい。