ノンフィクション作家の合田一道氏のお話を伺っていると、それまでセピア色に見えていた歴史上の人物が、俄かに色彩を帯びて生き生きと立ち上がってくるように感じられる。今回もまた、松浦武四郎の生きざまを鮮やかに物語ってくれた。
※ 松浦武四郎の唯一残っている肖像写真です。
9月5日(木)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の9月編(第6回)が開講された。
今回の講師はノンフィクション作家で、ほっかいどう学を学ぶ会の顧問を務められている合田一道氏が「松浦武四郎の短歌でたどる北海道」と題するお話を伺った。
合田氏はまず松浦武四郎について、次のように評価した。松浦武四郎は探検家であり、収集家、文筆家、浮世絵師であって歌人でもあった。天文学や植物学などにも通じ、さらには旅の資金を得るために篆刻までもやったという、まさに全てに通ずる超人であったと評した。
※ 武四郎著「石狩日誌」の写本を手に講演する合田一道氏です。
松浦武四郎は私人として3度、公務で3度蝦夷地に赴き、約150冊もの調査記録書を遺したにもかかわらず、江戸において「蝦夷日誌」と呼ばれる数々の著作を発行したのだが、そこには虚実織り交ぜての内容が含まれているとの評価からその実績が正当に評価されてこなかったきらいがあるという。しかし、合田氏は自らが新聞記者出身ということもあり、武四郎をジャーナリステックな視点から見ると非常に興味深い人物であると高く評価した点が印象的だった。
講座は講演テーマにもあるとおり、松浦武四郎が蝦夷探検中に創った短歌を味わいながら武四郎の蝦夷探検に思いを馳せるというものだった。しかし、合田氏は自らも述べたように歌人でもなければ、古文書の専門家でもないという。それは合田氏の講演を何度もうかがっている自分としては承知のことであり、短歌や古文書を正確に読み取るというよりは、その短歌や古文書から武四郎の思いや探検の大変さを思い起こすというところに合田氏の真骨頂があると私は思っている。今回の講座においても武四郎が創った50首以上の短歌を紹介していただき、それを順次読み進めながら武四郎の偉業に思いを馳せるとともに、武四郎の蝦夷や蝦夷人(アイヌ人)への想いに迫るものだった。
※ 「石狩日誌」は版木でもって印刷され発行されたが、写真のようにカラー版だったようだ。
数多くの短歌を紹介していただいたが、その中から私が特に心に残った2首を書き写し本レポートとしたい。
◇ 玉ほこの 陸奥(みちのく)こえてみまほしき 蝦夷が千しまの 雪のあけぼの
◇ 蝦夷人とて いかでへだてん心して 撫(なで)れば同じ御代の民草
それにしても合田氏はお元気である。確か当年85歳のはずだが、矍鑠(かくしゃく)として2時間の講座を苦も無く乗り切った感じだった。道民カレッジ事務局によると、来年度の「かでる講座」での講演も決まっているという。またまたまた合田節を楽しみたい。