今回の見学旅行のハイライトは何といっても「むかわ竜」の里、むかわ町立穂別博物館を訪れたことだろう。穂別地区が「むかわ竜」だけではなく、クビナガリュウやモササウルスの化石が産出された化石の宝庫であることを初めて知った。
※ 「むかわ竜」の発掘化石のレプリカが博物館の壁に展示されていました。早速、新属新種名も掲示されています。
このところ「いしかり市民カレッジ」づいている。本日、いしかり市民カレッジがバスを使用しての見学旅行「日高路の旅」を開講したので参加した。見学先は、「二風谷アイヌ文化博物館」、「旧国鉄富内駅跡」、「むかわ町立穂別博物館」の三か所だった。
最初の「二風谷アイヌ文化博物館」は私にとっては二度目の見学だった。博物館は1992(平成4)年に開館しているが、かなり整理されて展示がされている。専門的に見ると二風谷アイヌ独自の事物の展示もあったのかもしれないが、私の目には他のアイヌ関係の博物館、資料館などとの大きな違いは感じられなかった。
※ 二風谷アイヌ文化博物館のエントランスです。
※ 敷地内には大きさの違うチセが九つ展示されていました。
※ アイヌ民族がイオマンテ(儀式)の際に使用する祈りの道具です。
私にとってむしろ興味深かったのは、隣に建っていた「沙流川歴史館」だった。二風谷ダムが建設されたのを機に開館したと思われるのだが、沙流川流域全体の歴史や自然に関する展示が興味深かった。
※ 沙流川歴史館の半地下形式のエントランスです。
※ 沙流川歴史館の裏側からは二風谷ダムを望むことができました。
続いて「旧国鉄富内駅跡」であるが、旧穂別町では1947(昭和22)年に初の民選町長として30代後半の横山正明氏が当選した。横山氏は宮沢賢治の精神で村づくりを進めると決意し、着々と村づくりを進めたが財政がひっ迫して途中で夢は挫折する。しかし、横山の思いは村人に受け継がれ、村人たちは旧宮内駅を「銀河ステーション」と呼称し駅舎やレールの活用を図ったそうだ。そして駅舎の近くには賢治が設計した「涙ぐむ眼」の花壇が今も住民によって作られ続けているという。残念だったのは、時間の関係からバスを下車することができず車窓からの見学のみだったことだ。それでもなんとか写真だけは撮ることができた。
※ 通称「銀河ステーション」の旧富内駅です。
※ 宮沢賢治設計の「涙ぐむ眼」の花壇です。(後の建物は集落の会館だと思われます)
※ 宮沢賢治作「銀河鉄道」が鉄路を空へ伸ばしていることを模したものと思われます。
最後は「むかわ町立穂別博物館」である。2003(平成15)年に発見された草食恐竜「むかわ竜」は関係者・ファンの間で大きな話題となっていたが、おりしも本日の道新で「むかわ竜は『カムイサウルス』」という新属新種であることが認定されたというビッグニュースが飛び込んできた日に地元の博物館を訪れることができたという僥倖に恵まれた。もっとも、現在むかわ竜の発掘された化石は国立科学博物館に展示中で、穂別博物館にはレプリカが壁に展示されていた。
※ 無造作に置かれた(?)巨大なアンモナイトの化石です。
そのことより私にとっては、そもそも穂別博物館が海生のクビナガリュウの化石の発見を機に建設されたことを知ったことだ。さらに海生のモササウルスの化石も発見されていることも知った。そして大量の大きなアンモナイトの化石もずらりと並んでいたのも壮観だった。まさに穂別地区は化石の宝庫であることを改めて知ることができた。特に、日本において真の意味での恐竜の化石の発掘は少ない中、今回の陸生の恐竜「むかわ竜(カムイサウルス)」を発掘したことは大きな意味があると思われる。
※ クビナガリュウやアンモナイトが棲息していたころの想像図ですね。
※ 巨大なクビナガリュウの化石の完成予想レプリカです。
※ モササウルスの復元模型です。
今回の見学旅行は長い移動を伴う旅だった。運転手さんに伺うと「250キロは走ったのでは」ということだった。長いバスの旅だったが、幸いだったのは大学の同窓のK氏が参加していたことだった。予想もしていないところでの再会に近況や互いの学びなどあれこれと話が弾み退屈しないで済んだ長い旅だった。