小牧野遺跡もまた環状列石(ストーンサークル)を特色とする遺跡である。北東北の遺跡を巡り、縄文人たちがいかに祭祀を重要視していたかを痛感させられた。小牧野遺跡はその大きさ、形状ともに特筆すべき環状列石だった。
いよいよ私の北東北の縄文遺跡巡りも最終日となった。10月17日(火)、私は初めに「三内丸山遺跡」を訪れたのだが、「三内丸山遺跡」はいわば北海道・北東北遺跡群の中で特別な存在であるので最後にレポすることにして、まずは「小牧野遺跡」をレポートする。
「三内丸山遺跡」が青森市の中心街からそれほど離れていないところに位置するのに対して、「小牧野遺跡」は青森市の中心からかなり離れたところ(10キロくらい?)の台地に位置していた。
※ 遺跡は遠くに青森市の街も望める台地に位置していました。
「小牧野遺跡」は紀元前2,000年前の遺跡とされ、いわば今から4,000年前に栄えた遺跡で、縄文後期の前半の遺跡とされている。
私はまず廃校になった校舎を利用したガイダンス施設の「縄文の学び舎・小牧野館」を訪れた。こちらには学芸員やガイドなどはおらず、私は勝手に見学させていただいた。説明する方はおられなかったものの、昔の教室をそのまま活用した形で、教室毎にテーマが設けられていて、展示の説明が私たち素人にも分かりやすい説明と展示方法が印象的なガイダンス施設だった。
※ 廃校した校舎を利用したガイダンス施設「縄文の学び舎・小牧野館」です。
※ 遺跡から発掘された土器です。
※ 遺跡から発掘された「土坑墓」を再現して展示しているものです。
遺跡はガイダンス施設からやや離れたところに位置していた。そこには見学者用の「小牧野の森・どんぐり家」という施設があり、ガイドはそこで待機していた。ガイドの方はそれまで各遺跡が案内してくれた方々とはやや雰囲気が違っているように感じた。どこか職業的匂いを感じさせ、あるいは臨時の職員さんなのかもとれないと思われた。
※ 遺跡のところに建てられた見学者用の「小牧野の森・どんぐり家」です。
※ その「どんぐりの家」の内部です。
その方に案内され遺跡に向かった。遺跡はやはり当時の環状列石を復元させたもので、三重に石が並べられていた。これまでも二重、三重の環状列石を見てきたが、最も石がたくさん並べられているように感じた。またその円の大きさが直径55mと国内最大級の大きさを誇るものだったところに大きな特色があった。また、その石の並べ方にも規則性があるように思えた。
※ 環状列石です。写真では二重円ですが、確かに三重円の大きな環状列石でした。
※ こちらは別の環状列石です。
※ 石の並べ方に規則性を感じました。
今回の北東北の遺跡を巡る旅では、前述したように環状列石やお墓の遺跡がとても多かった。このことは文明が発達していなかった縄文の時代においては、自然現象や人の生死などに対して何かに “祈る” ということが最大の関心事だったのかもしれない。そのことが この時代に遺跡において祭祀の場としての環状列石が数多く発掘されたことに繋がっているのではないか、と素人なり感じたことだった。
※ 環状列石の傍にあった「土坑墓」の跡です。
※ 祭祀に使ったものを捨てた「捨て場跡」です。
ガイダンス施設「縄文の学び舎・小牧野館」 青森市野沢沢辺108-3
◇入館料 無料