「インド独立の父」と敬われたマハトマ・ガンジーの半生を描く1982年制作の歴史映画である。非暴力主義を貫き国民を指導し、イギリスから独立を勝ち取ったガンジーだったが、国民の宗教対立の前に屈することになった…。
※ ガンジー役を演じたベン・キングズレーであるが、あまりにもガンジーに酷似していたため、インドでは彼の姿を見た時、彼の下に参拝する人がたくさんいたという逸話が残っている。
困った時の BS映画である。コロナ禍の中、計画された講演、講座、コンサートなどは軒並み中止となりなす術のない日々を送る私には、連日放映されるBS映画が今のところ唯一の楽しみである。
私はガンジーの業績については恥ずかしながら表層的には知っていたが、詳しくは知ることはなかった。今回の映画を観て、宗主国イギリスに対して徹底した非暴力、非協力で民衆を指導し、独立に導きインド国民から深く敬愛されたガンジーの姿を知ることとなった。1900年代初頭、力で屈服させられ多くの植民地が存在していた時代に、ガンジーは暴力の愚かさを説き、「暴力によって一時の栄華を極めても、やがてそれは暴力によって瓦解される」と…。
※ 多くの民衆を指導するガンジーの一場面です。
ガンジーが非暴力に徹したことの背景は描かれてはいなかったが、おそらく肉親(祖父や父親など)からの影響、または幼少期の体験がガンジーの胸底深くに蓄積されていたのではないだろうか?
彼の不屈の戦いはやがて宗主国をも動かすこととなり、1947年に独立することとなったのだが、ここで勃発したのが国内にくすぶり続けていたヒンズー教とイスラム教の対立である。ガンジーはなんとか一つのインドとしての独立を目指し、宗教対立を止めようと訴えるが、願いはかなわずヒンズー教主体のインドと、イスラム教主体のパキスタンと別れた形で独立することとなった。このことはガンジーにとって痛恨の出来事だったに違いない。
ヒンズー教のインド、イスラム教のパキスタンと分離独立はしたが、それぞれの国には取り残された教徒がいて互いに憎悪に満ちた対立を繰り返し、殺し合いまでに発展するようになった。それを知ったガンジーは心を痛め、宗教対立の融和に努力するが、インド国内のとある集会において対立するイスラム教徒の凶弾を胸に受け、一瞬にして彼は一生を終えることとなってしまった。享年78歳だった。(ガンジーはヒンズー教徒ではあったが、イスラム教を批判するような人ではなかった)
私にはこの宗教対立ということが、本当の意味で分かっていないところがある。いまだに世界では深刻な宗教対立が続いているところが数多くあるようだ。賢人ガンジーでさえ解決することができなかった宗教の問題は私のような凡人には語る資格がないものなのかもしれない…。
なお、映画は翌年のアカデミー賞作品賞に選出されたそうだ。
※ こちらは本物のガンジーの肖像写真です。
ガンジーは名言をたくさん残したが、映画の最後に彼が残した印象的な言葉が流れる。その言葉をストップモーションで書き写したので紹介する。
絶望に陥った時 私は人類の歴史を思う
勝つのはいつも真実と愛だ
暴君や殺りく者は 一時は無敵に見えても
結局は滅びてしまう
そのことを忘れてはならん
3時間の大作は私を飽きさせることなく、映画の世界に没頭させてくれた。