これまで訪れたうるま市、金武町、宜野座村、東村が太平洋に面していたのに対して、国頭村(くにがみそん)は東シナ海に面しています。
島を横断し、東シナ海沿岸に出ました。
太平洋岸にも素晴らしい海が広がっていましたが、東シナ海岸は一段と素晴らしい海の色に見えてきました。
過日のブログで、私はその色をライトブルーと称しましたが、沖縄ではもっとおしゃれにエメラルドグリーンと称しているようです。
国頭村は東シナ海沿いでは最も北に位置する自治体です。
※ 写真は国頭村の役場庁舎です。
北辺の岬には金剛石林山という名所がありましたが、少し離れたところにあったために先を急ぐ私たちは訪れることを断念しました。
また、国頭村は天然記念物のヤンバルクイナの生息地としても知られています。
道の駅「ゆいゆい国頭」で【ヤンバルクイナの木製のキーホルダー】を購入し、国頭村の記念の品としました。
市町村境界が街続き
沖縄を走り回っていて特徴的だったことは、市町村の境界が街続きのところが多かったことです。
特に沖縄本島南部の市町村にその特徴が顕著だったように思います。
街並みがずーっと続き、信号機を越えたら次の市町村だったということが何度もありました。
ちょうど札幌市でいうと、中央区から西区に向かったときに区を跨ぐといった感じです。
その要因を少し調べてみたところ、それは人口密度と関係があるように思われます。
つまり沖縄本島では、土地の広さに対して人口が多いということが原因のように思われます。
札幌市の人口密度は1,677人ですが、道内の他の都市はいずれも3ケタです。札幌市周辺を除くと都市部でもようやく3ケタに届くという市がほとんどです。
対する沖縄では那覇市の8,001人を筆頭として南部の各市町はいずれも4ケタを超えているのです。狭い土地にたくさんの人が住んでいるということが言えます。
沖縄本島の南部の市町では、その境界が街続きになるほど民家や建物が混み入っていました。
※ 沖縄から帰ってきてから一週間、札幌でもまた歩き回り始めました。そこで沖縄レポートともに、札幌レポートも再開しようと思います。混乱してしまいますがご容赦ください。
沖縄に関わっているうちに札幌の街の様相も急激に春めいてきました。
そこで、沖縄シリーズをお休みにして、札幌の近況をちょっと趣きを変えて、手紙文形式で綴ってみることにしました。
※写真は私の通勤路である知事公館前の歩道です。(3月19日撮影)
冠省
Aさんお元気ですか。
すっかりご無沙汰しているうちに、季節はいつの間にか春の装いを始めたようです。
つい先日までは歩道に雪が残り歩きづらいことこの上なかったのですが、このところの暖気で歩道の雪も同封した写真のように消えつつあります。
通勤も快適になり、勤務先までの行き来に感ずる季節の移ろいが楽しみな季節となってきました。
市内各所に咲き誇る桜の花びらを堪能できる日ももう間もなくです。
そして、桜の季節に続く札幌の5月、6月ともう他に例えようのないくらいの極上の季節がやってきます。
あの萌え上がるような若葉に包まれる光景を思い描くだけで胸の高まりを感ずるほどです。
一方、私にとっては待望のサッカーや野球のシーズンも開幕を告げる季節となりました。
サッカーはすでに開幕し、野球も今日ダルビッシュの好投で戦いの火ぶたが切って落とされました。
私にとっては、忙しくも楽しい日々の始まりです。
また、冬の間細々と続けていた札幌ウォーキングも本格的に取り組める季節がやってきました。
札幌市内に数多く設けられたウォーキングコースをくまなく回り、札幌をもっともっと広く深く知りたいと思っています。
これからの季節のことを思うと、思わずワクワクしてしまい、札幌のこと、私のことを一方的に述べてしまいましたが、御地の様子はいかがでしょうか?
おそらく私と同様の思いをお持ちなのではとお察しします。
Aさん、久しくお会いしていませんね。
爽やかな札幌の春を、初夏を一緒に感じませんか。
ドームで、コンサを、ハムを応援しませんか。
Aさん、来札の折にはぜひ連絡ください。
お待ちしています。
草々
宜野座村から東村(ひがしそん)に至る道は国道(331号線)とはいえ山坂の多い道路で、車の通行もぐっと少なくなりました。
周囲は人家も少なく、樹木ばかりが目立ちます。途中、慶佐次川河口で見ることのできたマングローブの林は、北海道に住む私にとっては見応えある光景でした。
この日は出発以来、somethingは木の葉ばかりを収集していますが、東村においても他に適当なものを見つけられず【マングローブの葉】を東村の記念の品としました。
市町村間で最も距離があったのが、この宜野座村⇔東村間でした。およそ50km近くあったのではないでしょうか。
小高い丘の上に東村役場の瀟洒な庁舎が建っていました。
※ 東村役場の庁舎です。
そのさらに上の丘にはつつじ公園があって、つつじの花が満開の中で「つつじ祭り」が開催されていました。
目立った横断幕
沖縄の街角で頻繁に目に入ったのが写真のような横断幕でした。
※ 写真は中学校の校舎の塀です。
街角では地元政治家の後援会の案内、コンサートの告知など・・・、学校の近くでは各種大会などで活躍した部や生徒名を・・・、地域の人たちに横断幕でもってお知らせしているようです。
北海道でも甲子園出場などの大きな出来事の場合は、役所の庁舎壁や校舎の壁に大きな激励幕が掲げられることがありますが、沖縄のようなちょっとしたことの告知(失礼)にこうした手法を使うのはとても珍しく思いました。
ちょっとしたことでの告知ですから、あちらでもこちらでも掲げてしまうため、街中では頻繁に目にすることになったのです。
さまざまな情報伝達手段が発達した現代においても、地域の人たちに最もアピールできる手段はこうしたアナログ的手法ということなのでしょうか?
宜野座村(ぎのざそん)は、南北に細長い沖縄本島のちょうど中部付近に位置します。
今回、沖縄本島全体を走ってみて、ごく粗く分類すると、北部より南部、太平洋沿岸より東シナ海沿岸がより発展しているように思われます。
その観点からいうと、宜野座村は北部寄りであり、太平洋沿岸ですからあまり発展していない地域ということになります。
※ 宜野座村の役場庁舎です。
実際に島の反対側の恩納村、読谷村、嘉手納町などがリゾート地として発展しているのとは対照的に金武町、宜野座村、東村などの太平洋沿岸の地域は北部へ行くほど人家が少なくなり自然がいっぱいという感じでした。
そんな宜野座村は特産品もあまりなく、しかたなく道路沿いの街路樹として植わっている【椰子の木の葉】をsomethingにすることにしました。
また、宜野座村役場の前庭に植わっていた【ケラマツツジの葉】(満開でした)も記念の品とすることにしました。
沖縄の家並み
沖縄の家並みは、北海道と明らかに違っていると言えると思います。
街中の家並みを眺めていますと、それは韓国風でもあり、ベトナム風、中国風にも見えるのです。
どこという決定版はないのですが、明らかにそうした国々の影響を受けていることをうかがわせてくれます。
それは特に外壁に表れています。
外壁に北海道の建物にはあまり見られない飾り模様が見られることです。その飾りが北海道人には異国風に感じられるのです。
また、外壁の色が薄い色なのも特徴の一つと言えます。街全体がなんとなく白っぽく見えました。
家の色彩が緯度が低くなるにしたがい薄くなっていくということを私は学生時代にも経験したことがあります。
学生時代にヨーロッパを旅したとき、北欧の家並みが濃い色でペインティングされていたのが、中欧、南欧と緯度が低くなるにつれて街全体の色合いが薄くなるのを感じました。
ギリシアの島では、島全体の家が真っ白でした。
気候と住まいの色合いはかなり連動しているようです。
沖縄の家並みには明らかに東南アジア各国の影響が感じられ、異国情緒を醸し出しています。
沖縄の地名は当用漢字的な読みが通用しない場合が多いことはご存知だと思います。
北海道の地名にアイヌ語の影響が強いように、沖縄においても琉球文化が独自に発展してきた一つの証のように思われます。
今日の町名は金武町(きんちょう)と呼びます。この金武町という名も小中学生や沖縄未体験の方には正確に読むには難しいのではないでしょうか。
※ 金武町役場庁舎です。
金武町はうるま市と隣り合っていますが、沖縄市とうるま市の境界と違い、この二つの街の境界付近は街はずれのような光景が見られました。また街道筋(国道329号線)には米軍基地(キャンプハンセン)を表す鉄条網も見られるようになって来ました。
金武町のsomethingには困りました。まだ役場の担当者に伺うというノウハウを身に付けていなかったこともあり、街中をウロウロするも何も見つかりません。
困った私は金武小学校で学校名が入った何かをお願いしようと校舎敷地にお邪魔しました。しかし、大きな校舎はどこが入り口なのかはっきりしません。
ウロウロしているうちに校庭にホウライカガミを栽培しているのが目に入りました。(樹木名が書いてありました)金武町のsomethingはこの【ホウライカガミの葉】に決定しました。
親切な自治体職員
この旅で私は26の市町村の役所を訪問し、その街を紹介するパンフレットなどを所望したのですが、どこの市町村でもとても親切に対応してくれたのが印象的でした。
中にはパンフレットを渡してくれただけでなく、自らの街について丁寧に説明してくれる職員もいました。
唯一、那覇市役所の案内ボーイ(総合案内所の職員が二人とも若い男の人だったのです)が、「那覇市のガイドブックが氾濫しているのに、なぜわざわざ市役所まで足を運んできたのだろう」というような雰囲気でガイドブックを手渡してくれました。
沖縄は県全体が観光立国を目ざした取り組みを強化しているようですが、そうした取り組みが自治体職員のひとり一人にまで行き渡っているということでしょうか。
それとも、沖縄の人たちが本来持ち合わせているホスピタリティー精神なのでしょうか。
沖縄では「めんそ~れ~」のおもてなしの心を随所で感じさせてもらいました。
沖縄から帰ってきた今、自分なりに沖縄の旅を振り返っておきたいと思います。
その方法は次のように考えています。
毎回、前半を訪れた市町村庁舎の写真と街の印象を、後半には旅全体でのエピソードを、という項立てで26市町村をレポートしてみたいと考えています。エピソードも26の話題を考えてみました。
しばらくお付き合いください。
※ うるま市役所庁舎です。
うるま市は沖縄市の隣に位置していますが、沖縄市とは街続きという感じで、境界線もはっきりしないほど街は連続しています。
そのような街の中心部に庁舎はありました。庁舎は建設から少し時間は経っていたようですが堂々たる姿をしていました。
庁舎内では確定申告時期ということで、多くの市民が詰めかけていしまた。
庁舎前庭にはリュウキュウコクタンの木がたくさん植わっていました。うるま市のsomethingはその【リュウキュウコクタンの葉】としました。
ホテルとパソコン
今回の旅では、旅の様子をリアルタイムでレポートするために自分のPCを持参することにしました。
ホテルの選定は当然のようにインターネットが接続できるホテルというのが条件でした。
ところが、旅行社が提示するリゾートホテルにはそうした条件を備えているところがなかなかありません。
旅行社が提示した20いくつかのホテルの中から沖縄市にある今回宿泊したホテル(東京第一ホテル グラン メール リゾート)が見つかり、そこを選定することになったわけです。
※3泊したグラン メール リゾートの窓から見た風景です
那覇市のホテル(琉球サンロイヤルホテル)も同じような条件によって選んだホテルでした。
ビジネスホテルではかなり普及しているインターネットの接続環境ですが、リゾートホテルではこれからという状況でしょうか。
私のようなPC初心者でもインターネットの接続環境でホテルを選定する時代になったということは、もはやホテルにとってはこのことは必須の課題の一つになったと言えるのかもしれませんね。
小国ゆえに歴史の中で翻弄され続けた琉球王国の本陣「首里城」は、そんな過去を忘れ去るかのように青空の下に鮮やかな朱色の姿を見せ、多くの観光客を招いていました。
私の「田舎おじさん in 沖縄」もいよいよ最終日、今日は首里城見物と南風原町を訪れるだけというゆったりとしたスケジュールでした。
走行距離も5日間で最小の31.4kmでした。
この5日間の走行距離の合計は約502kmということになりました。
南風原町を訪れて、思わぬ幸運に出合いました。
というのも、南風原町役場を訪ねて、庁舎のドアが開かないことで始めて休日であることに気付いたのです。(呑気なもんですよねぇ。スミマセン)
「町のパンフが入手できず困ったなぁ」と思っていたところ、庁舎の守衛さんに出会い、彼に事情を話したところ、運よく一冊のタウンマップをいただくことができました。
その守衛の方が、「近くの文化センターに行くと南風原のことがよく分かりますよ」と教えてくれたので、寄って見ることにしました。
これが私にとっては思わぬ幸運でした。(詳しくは後日レポートしたいと思います)
午後4時45分に那覇空港を飛び立ち、羽田を経由して、午後9時20分無事千歳空港に降り立ちました。
予想していたこととはいえ、寒さにブルッと身が引き締まりました。
明日から、沖縄を駆け抜けた5日間の旅の整理をしたいと思います。
エイサーの舞いは、激しく熱く私たちを魅了しました。
観光客用のステージとはいえ、その舞いには沖縄の人たち怨念と怒りが込められているように感じたのは私だけだったろうか。
今日はこれまでの二日と比べると、比較的に余裕のあるスケジュールとなりました。
市町村訪問とともに、観光的な見物や体験を織り込み、夜は那覇で沖縄民謡のライブも楽しむことができました。
今日の行程は、
ホテル(沖縄市) ⇒ 与那原町 ⇒ 南城市 ⇒ 沖縄ワールド(玉泉洞) ⇒ 八重瀬町 ⇒ ひろゆりの塔 ⇒ 糸満市 ⇒ 琉球紅型染物体験 ⇒ 豊見城市 ⇒ 貝細工体験 ⇒ 那覇市 ⇒ ホテル(那覇市)
走行距離はたったの72.9km 訪問市町村は25となり、残りは南風原(はえばる)町一つです。
相変わらず自身に課した市町村のsomethingを収集することに苦労しています。
今日のsimethingを紹介すると・・・
①与那原町(与那原産のひじき)②南城市(沖縄ワールドで入手した沖縄ガラスの破片)③八重瀬町(八重瀬産のシーサー)④糸満市(琉球紅型染物体験で作成したコースター)⑤豊見城市(ハイビスカスの苗木)⑥那覇市(貝細工体験で作成したストラップ)
という具合です。苦労していますが、これも楽しみです。
明日は最終日、首里城見物と南風原町訪問で全行程が終了です。
毎夜、泡盛に酔いながら明日の英気を養っています。
沖縄を走り回っていると、否が応でも目に付く光景が本日のような写真のような写真の光景です。
沖縄を語るとき、沖縄駐留米軍の存在は欠かすことのできない要素であることを突きつけられる思いです。
いつか私なりにまとめてみたいと思います。
さて、今日も沖縄本島を走り回りました。
昨日よりも多くの自治体を訪れ、昨日よりも効率良く走り、たくさんの実情を知り、大いに楽しみました。
本日の行程は・・・
ホテル ⇒ 沖縄市役所 ⇒ 東南植物楽園 ⇒ 恩納村 ⇒ 読谷村 ⇒ 体験王国むら咲むら ⇒ 嘉手納町 ⇒ 北谷町 ⇒ 宜野湾市 ⇒ 浦添市 ⇒ 西原町 ⇒ 中城村 ⇒ 北中城村 ⇒ ホテル
走行距離 123km 訪問市町村 10
2日間で26市町村のうちすでに19市町村を訪れることができました。
私の行動パターンは次のとおりです。
最初に市町村の庁舎を訪れ、写真を撮る。
その後、庁舎に入りガイドブックやガイドマップをいただき、その街の特産品、名産品などを取材する。
特産品・名産品を入手するため街を散策する。
実は、昨日も、今日も机上の計画より多くの市町村を訪れることができました。
このことで、残り2日間の日程がずいぶん余裕を持てるようになりました。
明日は5つの市町村を訪れ、4つの観光地や観光施設を訪れる予定です。
沖縄では、私たちのようにレンタカーを駆って、多くの観光客が観光地を回っています。
では、明日もたくさんの沖縄を見ることにします。
沖縄の海は陽光の中で、ライトブルーの色に澄み渡っていました。
しかし、机上の私の計画は、私自身にかなりの強行軍を迫る計画だったことを思い知らされました。
本日の行程を列挙すると・・・、
ホテル(沖縄市) ⇒ うるま市 ⇒ 金武町 ⇒ 宜野座村 ⇒ 東村 ⇒ 国頭村 ⇒ 大宜味村 ⇒ 今帰仁村 ⇒ 美ら海水族館 ⇒ 本部町 ⇒ フルーツランド(名護市) ⇒ 森のガラス館(名護市) ⇒ 名護市 ⇒ ホテル
という行程でした。 走行距離は233km
実際に実施してみて、タフな旅程であることを感じつつも計画どおりに今日はこなすことができました。
考えていたとおり、somethingを収集することが大変でしたが、市の木の葉とか、海岸の砂とか、特産品にちなんだストラップとか・・・、ともかくなんとか相応しいものを収集しました。
走っていて、感ずることも多々ありました。
交通マナーとか、家並みとか、お墓の違いとか・・・、いずれ落ち着いたらそのあたりのことに言及してみたいと思っています。
太陽の陽射しは強く、札幌の7月初旬?といった感じで、車のエアコンは全開にして走り回っています。
明日も同じくらいの市町村を訪れる予定です。
昨日は写真をアップすることができませんでしたが、何度か試しているうちになんとか回復したようです。
昨日載せる予定だった写真です。
※私たちと5日間行動を共にするNISSAN MARCHをホテルを背景に