田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

カウントダウン

2010-03-21 18:32:29 | その他
  屋久島・種子島のことにこだわっていたら、私の勤めの終了する日が目の前に迫っていた。勤務する日は残り8日となった。しかし・・・。

 札幌へ来て3年、今の勤めを得て3年が過ぎようとしています。
 勤めは当初から3年間という規定があって、この3月末で終了することになっていました。
 道民の生涯学習をお手伝いするという仕事にやりがいを感じながら、楽しく仕事をさせていただいた。

 この三月で勤めが終了することは既定の事実だったので、私は早くから三月以降の生活についていろいろと構想を巡らせてきた。
 ところが、その構想を描き切れていないことに、内心焦りといらだちを感じながら今日を迎えてしまった。
 「あれもしたい。これもしてみたい」と夢は広がるのだが、絞り切れていないのが現状なのだ。

 現在決めていることは、市のタウンガーデナーに登録し、雪が消えたら我が住居近くの市管轄の空き地を花壇化すること。(これは既に市の担当者の許可を得て個人的に取り組むことにしている)
 そしてもう一つが、5月から昼間に開講される市民カレッジの講座の受講を申し込んだこと。
 現在決めていることはこの二つくらいで、いわゆる毎日の生活の柱(中心)になるものを探しあぐねている状況なのである。

 体力維持のために、昔取った杵柄でランニングにするべきか、それともウオーキングに止めるべきか。
 何かのボランティアに取り組むべきか。
 どこかの団体に所属すべきか。
 旅は海外か、それとも国内に限るべきか。
 ああ・・・、何も決まっていない。何も決めれていない。

 新しい生活のスタートは直ぐそこまで来ているというのに・・・。

平成開進亭 5周年記念祭

2010-03-20 16:37:08 | ステージ & エンターテイメント
 平成開進亭が市民寄席として立ち上げてから5周年を迎えるということである。友人の誘いもあり、今年2度目の枝光を聴いた。

 勢いがある。
 スピード感がある。
 会場内を掴む力がある。
 現在の桂枝光は最も脂の乗り切った時期にあるのではないだろうか。

        
      ※ 自称「落語界のえなりかずき」もすっかり中年の貫禄がつきました。

 ようやく札幌に帰って来ました(?)。
 ちょっと話は古くなってしまったが、3月11日(木)夕刻、「平成開進亭 5周年記念祭 第1弾」と銘打った桂枝光主宰の落語を聴きました。
 ラインナップは次の通りです。

 ◇開口一番「今どきのおばあちゃん」   桂  枝 光
 ◇漫     才            兎
 ◇住 吉 駕 籠            桂  枝 光
          ~ 中 入 り ~
 ◇講談「ベーブルースが伝えたもの」   里見まさと
 ◇阿 弥 陀 池            桂  枝 光

 とまあ、桂枝光の独壇場だったのですが、刺身のつま的(失礼!)に漫才と講談を挟んだ構成でした。
 漫才の兎は最初それなりにテンポがあったのですが、途中から冗長になった感がありました。
 また、講談の「里見まさと」とは、あの一世を風靡した漫才の「ザ・ぼんち」のまさとさんです。少しは期待していたのですが、講談とはいっても本格的な講談ではなく講談風という感じで、「あの程度で芸能界でやっていけるのかなぁ」とちょっと心配になりました。

        
        ※ ご存知漫才の「ザ・ぼんち」の一人、まさとさんです。

 その人たちとは打って変わって、桂枝光は絶好調に見えました。
 とにかく彼が出てくると、会場の雰囲気が一変します。
 まさに「枝光ワールド」です。
 そこには、もう完全に市民寄席として札幌に根付いたという自信が漲っている舞台です。
 上方落語の真骨頂を見せてもらっている思いです。

        

 4月10日(土)今度は「5周年記念感謝祭」と銘打って、教育文化会館で開催されます。
 私はまたまた駆けつけて、「枝光ワールド」に酔ってみたいと思っています。


《追記》
 実はこの間、コンサドーレのホーム開幕戦にも足を運んだのですが、あまりの惨敗ぶりにレポートする気も起こらないほどガッカリしています。レポートすることで自分自身がコンサ離れをするのではないかと恐れているのです。

屋久島・種子島紀行を振り返る おまけ編

2010-03-19 19:25:45 | 道外の旅

鹿児島ラーメン VS 旭川ラーメン

  旅に出る前から「鹿児島ラーメン」を意識していた。そこで旅立つ前に札幌に出店した「旭川ラーメン 梅光軒」の味噌ラーメンを味わってから旅立った。

 「屋久島・種子島紀行」を長々と続けてきました。
 当ブログにアクセスしていただいている皆さんからはすでに飽きられていることを感じながらも、しつこく「おまけ編」を投稿します。これで本当に最後としたいと思っています。

 「な~んで札幌ラーメンでなくて、旭川ラーメンなんだぁ~?」とクレームが来そうである。私は札幌ラーメンも大好きです。なのに今回旭川ラーメンになったわけは、私の職場から昼食に行ける距離にあったということが最大の理由です。
 昨年11月にオープンした日生ビルの地下に「旭川ラーメン 梅光軒」が出店しているのです。私は旭川ラーメンの中では、この「梅光軒」を一押ししていることもあり「鹿児島ラーメン」の対抗馬に押し立てました。

 で、「鹿児島ラーメン」なのですが、こちらはガイドブックに掲載されていた「こむらさき」という昭和25年創業の老舗の店をチョイスしました。「こむらさき」は鹿児島市の繁華街「天文館」に本店があるのですが、訪れたのは鹿児島中央駅ビルの地下にある支店でした。
 メニューは黒豚チャーシュー入りラーメン(950円)です。(メニューはチャーシューが入るか、入らないかの2種類だけ)味噌味とか、醤油味とかはなく、豚骨塩だけです。
 驚いたのは麺です。そうめんのような細いストーレートな麺で、柔らかめに茹でてありました。一説によると鹿児島ラーメンはかんすいを使っていないということですが、「こむらさき」のものもどうも使われていないような麺でした。
 トッピングは、キャベツの細切りとシイタケ、黒豚チャーシューを細切りしたもの、それに長ネギが載っていました。

        
        ※ 「こむらさき」の黒豚チャーシュー入りラーメンです。漬物 
         が付いているのが鹿児島ラーメンの特徴の一つです。       

 そこで勝負です!
 私の評価では、「旭川ラーメン 梅光軒」にやはり軍配が上がりました。
 鹿児島ラーメンは豚骨の塩ですが、豚骨にしてはあっさり系の味でしたが、麺にどうしても違和感がありました。そうめんのような感触で、しかも柔らかめに茹でられた麺ではラーメンを食している気がしないのです
 鹿児島ラーメンの名誉にために言い添えておきますと、「鹿児島ラーメン」といってもさまざまなようです。その中でも「こむらさき」のラーメンは特に個性が強く、鹿児島人でも人によって評価が分かれるラーメンのようです。

 一方「梅光軒」の味噌ラーメン(750円)を旅立つ前の3月3日に食しました。「梅光軒」の味噌ラーメンはそれなりに濃厚な味は出しているのですがけっしてこってり感だけではないところに深さを感じます。スープには野菜の甘さが引き出されており、私でもスープを飲み干せたほどです。

        
        ※ カメラを向けていると店員が「上手く撮れましたか?」と
         声をかけてくれました。写真からも美味しそうな雰囲気が
         漂ってきます。

 わずか一軒ずつでご当地対決とはおこがましいのですが、やはり私にはいつも食べ慣れているラーメンが好みということになりました。(鹿児島人でもきっと同じ結果となるんでしょうね)

 というおまけ編でした…。


屋久島・種子島紀行を振り返る 総集編

2010-03-18 16:41:41 | 道外の旅

 今回の旅は自分にとっていったいどのような意味をもった旅だったのか・・・。今回の旅を顧みながら、次の旅も構想してみたい・・・。 

 旅する目的は人によってさまざまであるが、今回の私の旅には主として三つの目的があった。
 一つは、未体験の地域を旅することで、自分の中の知見を広げたい。 
 二つめが、日常的な空間を離れることで身も心も癒したい。(寒い北海道を逃れて温かな南の島へ、と言うことも含めて)
 三つめが、人との出会いを楽しみたい。
という三つの目的だった。

        
        ※ 今回は総集編ということで、印象的な写真を再掲するこ
         とにしました。写真は「ウイルソン株」の中から空を仰い
         だところです。

 項目毎に振り返ってみたい。
 まず知見を広げたいということについては、十分にその目的を果たすことができたと思うほど、全行程をほぼ予定どおり見て歩き、体験することができた。
 当初予定になかった「白谷雲水峡」も体験することができたし、鹿児島市内も思いの外回ることができた。日数・時間を考えるとこれ以上は考えられないくらい充実した旅になったと振り返っている。

        
        ※ 鉄砲が伝来した種子島の「門倉岬」

 二つめの自らを癒すことについても、異空間に自らを置いた5日間に満足し、札幌での日々もまた充実したものにしようとしている自分に気づきます。昨年の石垣島を始めとした沖縄離島の旅ほど暑さを体感する旅ではなかったが、旅の中で癒された思いが強いからこそ「また機会がきたら旅に出たい」という思いを今抱いている。

        
        ※ とても神秘的な光景を見せてくれた「もののけの森」

 三つめの人との出会いについては、初めから少し悲観的だったが、やはり予想どおりの結果になったといえる。時間のない中で先を急ぐ旅だったこと、移動の手段に車を使ったこと、など条件的に厳しかったこともあり、昨年のような印象的な出会いには恵まれなかった。
 それでも「縄文杉登山」でパーティーを組んだ滋賀大学の女子学生、「白谷雲水峡」を一緒にハイクした東京の女性二人組など、それなりの出会いはあった。

        
        ※ 出会えないかなぁ、と思っていたヤクザルに路上で会いました。

 「旅する目は低いほどいい。旅する手段は遅いほどいい」という言葉があるようである。この言葉などは旅に人との出会いを期待する人の言葉ではないかと思う。旅する中で人との出会いによって、その旅は深く、色濃く記憶に刻まれると思っている。
 これまではそう思いながらも時間に縛られて思うようにできなかった面があったが、4月からの私は完全フリーの身になる。「低い目線で、ゆっくりした旅」を志向したいと思っている。

        
        ※ ヤクジカは人なつっこく何度も会うことができました。
 
 旅する目的は人によってさまざまであると冒頭に書いたが、私の旅する目的、旅に求めるものは、少なくとも1人旅の場合にはこれからも変わらないと思う。

 さあ、次なる目的地はどこになるだろうか?


屋久島・種子島紀行を振り返る 特別編

2010-03-17 16:25:55 | 道外の旅

鹿児島市内観光
 
 旅程をちょっと工夫することによって鹿児島市内を巡る時間を作ることができ、主だった史跡を巡ることができた。

 当初、ツアー会社から提案された日程では、屋久島を12時00分に発って、鹿児島発16時40分の飛行機に搭乗する予定だった。これだと鹿児島市は通過するだけになってしまう。
 しかし、屋久島をその日の始発の7時25分の高速船に乗れば、鹿児島市内で4時間半の時間ができることを分かった。そこでツアー会社にかけあって高速船の時間を変更してもらい、若干の時間ではあるが鹿児島市内を観光することにした。

 鹿児島中央駅のコインロッカーに手荷物を預け、市内観光に出向いた。
 駅前の広場に多くの銅像が群れるように立っているモニュメントが目に入った。「薩摩の若き群像」と題する彫刻で、薩摩藩が江戸末期に国禁を犯して海外留学させた青年藩士たちの銅像だった。
 そこから歩いていける距離に「ふるさと維新館」があった。平成6年に開館した比較的新しい施設は「ハイテク技術を駆使した設備で、明治維新の全てを楽しく学ぼう!!」のキャッチフレーズどおり、なかなか興味深い展示内容だった。特に維新体感ホールで体感した「維新への道」というロボットを駆使したドラマは一見の価値があると思った。
そんなことでこの「ふるさと維新館」で1時間以上も長居したため、後の計画に狂いを生じてしまった。

        
        ※ 「ふるさと維新館」内にあった記念写真撮影用の西郷像です。

 「ふるさと維新館」の近くには、西郷隆盛や大久保利通など明治維新に活躍した多くの薩摩藩士の生誕地の碑があった。

        
        ※ 維新館の直ぐ傍にあった「大久保利通」の生誕地の碑です。

        
        ※ 近くには「西郷隆盛」「西郷従道」兄弟生誕地の碑もありました。

 生誕地の碑を見た後、鹿児島市内の観光スポットを巡るバス「カゴシマシティビュー」を利用して「鶴丸城(鹿児島城)跡」に向かった。城は城郭の一部しか残っていない。

        
        ※ 鹿児島市内観光用に巡回する「カゴシマシティビュー」
         の派手なバスです。

        
        ※ 城郭だけが残っていた「鶴丸城跡」です。

 鶴丸城はいわゆる平地に建てられた平山城であるが、歴史を辿るとその背後にある城山の山頂に山城も構えて万一に備えたようである。
 城跡には鹿児島県立の「歴史資料センター黎明館」の大きな建物が建っていたが、残念ながら当日は休館日であった。

        
        ※ 鶴丸城内に建設されている「歴史資料センター黎明館」です。

 その後、徒歩で近くにあった西郷隆盛の終焉の地を探し歩き、住宅街の中にひっそりと立っていた碑をなんとか探し出すことができた。碑には「南州翁終焉之地」と刻まれていた。そこは西郷たちが最期に立てこもった城山の洞窟からわずか数百メートル離れたところだった。

        
        ※ 西郷隆盛の最期の地であることを示す石碑です。

 西郷終焉の地から城山に上っていった。けっこうきつい坂である。近くを歩いていた婦人に「西郷洞窟は近くですか?」と聞くと、親切に教えてくれた。
 通称「西郷洞窟」(正式には西南戦争の薩軍の司令部である)は、火山灰地(あるいは砂岩?)をくりぬいた粗末な洞窟だった。

        
        ※ 意外に小さな洞窟で最後の指揮をしていたようです。

 最後に島津氏が山城を築いたという「城山」に上ってみた。城跡は特になく、現在は鹿児島市内を見渡せる公園として市民や観光客に親しまれているようである。

        
        ※ 「城山」展望台から鹿児島市内が一望できます。正面が桜島です。

 限られた時間の中でわりあい効率的に巡ることができたと思うが、鹿児島市内にはまだまだ史跡や見所が多い。機会があれば再訪したいところである。
 


屋久島・種子島紀行を振り返る Ⅷ

2010-03-16 16:22:45 | 道外の旅

屋久島の食

  毎日の夕食が楽しみだった。毎夕地元の新鮮な食材を提供してくれた民宿の食事には大満足だった。

 今回の旅は、ツアー会社が飛行機(船)・宿・食事の全てをパックしたものだった。
 したがって、宿はツアー会社が指定した民宿「やくすぎ荘」、そして朝夕食付きのコースだった。
 民宿そのものはお世辞にも立派とは言いかねるものだったが、私たちのような中高年の登山客を中心にとても繁盛している民宿だった。

 部屋は民宿そのものという感じだったが、食事が思いの外良い内容で毎日の夕食が楽しみだった。
 私を満足させてくれたのは、毎夕食のメインディッシュ(民宿の料理の場合は主菜と称した方が相応しいかな?)が異なっていたことだ。良く見ていると、宿泊数によって提供する料理の内容を変えるという細かな配慮をしていたようだ。
 またその料理をちょっとお年を召したお姉さん(?)が「はい、これは○○です」と説明しながら配膳してくれるのが嬉しかった。

 日替わりのメインディッシュ(主菜)を羅列してみる。

◇3月4日(木) *トビウオの唐揚げ *カンパチのお造り
 
          
          ※ 左側の大皿がトビウオの唐揚、中ほどに薩摩揚げが見えます。          

◇3月5日(金) *黒豚のヒレカツ *カンパチのお造り 

          
          ※ 写真を撮り忘れて少し箸をつけちゃいました。大皿が黒
           豚のヒレカツ、中ほどに水イカの酢の物があります。

◇3月6日(土) *シイラ(マンビキ)の揚げ物 *イシアラのお造り  

          
          ※ 刺し身はいずれも新鮮でした。中ほどにサバ節の煮物があります。

◇3月7日(日) *チキンソテー *天然鯛のお造り  
          
          ※ 写真上の小鉢が屋久島の超軟水で作った「屋久島豆腐」です。

という具合であった。
 メインディッシュ(主菜)の他にも屋久島名物のサバ節の煮物、水イカの酢物、薩摩揚げ、屋久島の豆腐などが出たりと副菜も充実していたので、ご飯をいただかなくても十分に舌もお腹も満足するものだった。

 一般的に「北海道の食材に優るものはない」と、旅に出た道産子が嘆いて帰ってくることが多いが、今回はそのようなことはなく南の食に十分満足できた旅だった。


屋久島・種子島紀行を振り返る Ⅶ

2010-03-15 17:25:00 | 道外の旅

白谷雲水峡を往く
 
 映画「もののけ姫」の舞台のモチーフになったと云われる白谷雲水峡は大木や岩石が全て苔に覆われていて、まるで別世界を往くようだった。それは縄文杉登山とはまた趣の異なった素晴らしいトレッキングになった。 

 屋久島を一周した後、白谷雲水峡へ行くことにした。
 宿で知り合った東京からの女性二人と「一緒に登りましょう」ということで、彼女らを途中でピックアップし、白谷雲水峡に向かった。
 海抜0mから30分程度で一気に登山口のある標高600mまで上がったのだが、まるで雲海の中を行くようなドライブだった。

 登山口の駐車場に着いたが、今回も雨模様だった。雨具をしっかり着込み、登山口に向かった。
 ところが登山事務所で、昨夜来の雨で増水し一方のコースが通行禁止になっていることを知らされた。私たちは周回コースを予定していたのだが、同じところを往復するコースに変更することを余儀なくされた。そのため「白谷雲水峡」の主だった屋久杉を見ることができなくなった。通行できないのならいたしかたない。

 さっそく出発である。
 三人のパーティーで、自然私がリーダー役的な役割を務めることになった。
 最初に現れたのは、川というよりは岩(花崗岩)の間を水が滑り落ちる「飛流おとし」である。森の豊かな水がまるで飛ぶように落ちている様を「飛流おとし」とは言い得て妙である。

        
        ※ これは「飛流おとし」ではない。これは登山路の一部。飛流 
         おとしはこのような岩の上を水が飛んでいくように流れていた。       

 「飛流おとし」から間もなく、最初の屋久杉「二代杉(切株更新)」が現れた。切株更新とは、切株の上に種子が落下して発芽生育した二代目の杉のことを言うそうである。
      
             
        ※ 切り株の上に生長した「二代杉」は根元が太い!

 コースは「さつき吊り橋」を経て、どんどん高度を上げていく。「白谷雲水峡」は「縄文杉登山」と違い、いきなり高度をかせぐコースなのでけっこうきつく、直ぐに汗が噴き出てきた。

        
        ※ 雨模様のために吊り橋もガスに煙って見えます。

 次に現れた屋久杉は「くぐり杉」と言われるもので、大きく張った根の間を潜ることができる杉だった。
 さらに行くと、流れの中を石づたいに横切るところがあった。増水していたが何とか渡ることができた。

        
        ※ 「くぐり杉」をくぐる私です。

 もう一つのコースとの合流点「三叉路」を過ぎると、「七本杉」という木の上方が七本に別れている杉が現れた。
 屋久島で現在見られる屋久杉は、秀吉の時代から江戸・明治・大正・昭和と伐採された中で、伐採を免れたものである。つまり木材としては不向きな杉の木が残されたのだ。したがって、少し特異な形をした屋久杉が多く見られるということのようだ。

        
        ※ こうした特異な形状の杉の木も不思議な世界へ誘ってくれます。

 「七本杉」を過ぎると間もなく、目ざした「もののけの森」(そうした名称のところはないのだが)に到達した。
 「白谷雲水峡」はそれまでもコースの両側に苔むした森が広がっていたのだが、目ざしたこの辺りは一段と見事に、目に見える大木も岩石もみな苔に覆われていて、まるで別世界のような光景だった。映画「もののけ姫」の監督・宮崎駿はこの森に何度も足を運び、映画の構想を練ったと聞いた。

        

        

        
        ※ 見た目にはもっともっと緑色が濃くて、どこまでも続いて
         いました。カメラの性能の問題でそこまで再現できないの
         が残念です。

 「もののけの森」にしばし佇んだ後、下山を開始した。
 下山は膝に負担はかかるものの、それでも登るのに比べると格段に身体にかかる負荷は少ない。一度の休憩を取っただけで登山口に達した。
 小雨が絶え間なく降るコンディションではあったが、考えようによってはその雨があるからこそ「白水雲水峡」のような緑したたる深い森が形成されるのだと、納得の雨の中の登山だった。

        
      ※ 登山口に帰り着いてホッとした表情の同行した女性たちです。

「縄文杉登山」、「屋久島周遊」、「白水雲水峡トレッキング」と屋久島を満喫した日々だった。


屋久島・種子島紀行を振り返る Ⅵ

2010-03-14 19:06:28 | 道外の旅

屋久島一周
 
 断崖絶壁に造られた車一台がようやく通れる細い道。ヤクザルの群れが飛び出してくる山道。快適なドライブが楽しめる海岸通り・・・。変化に富み、さまざまな貌をもった屋久島一周の130kmのドライブはなかなか楽しかった。

        
        ※ スタート地点となった宮之浦地区にある「世界遺産の碑」です。           
 
 屋久島は島の東部地区に住宅や人が集中しており、一方西部地区は断崖絶壁で人を寄せ付けないような地形になっている。
 東部を走っていたときは「さすがに観光が主産業の屋久島だわい。種子島より道路が整備されているぞ」と思いながら走っていた。しかし、人家が途切れた西部地区に入っていくと、徐々に道路が狭くなっていった。初めは「センターラインがなくなったな」と思っていたら、そのうちに道路そのものが極端に狭くなり、車一台が通れるほどの狭さになった。
 曲がりくねった断崖絶壁の道路はいつ対向車が来るかも分からないため、おそらく時速20kmも出ていなかったのではないか。「西部林道」と称されるこの道路はまさに木を切り出すためだけに造られた道路のようであった。

        
        ※ ご覧のように車一台通り抜けるのがやっとの「西部林道」です。           

 さて、この日のドライブは宮之浦地区をスタート&ゴールとして反時計回りに島を一周した。
 まずは宮之浦地区にある世界遺産登録を記念して立てられた「世界遺産の碑」を眺めた後、志戸子(しとこ)地区の「志戸子ガジュマル公園」を覗いた。縦横に枝や根を伸ばすガジュマルが密生している様は奇観であった。

        

        
     ※ ガジュマルの木は枝や根が縦横に広がって奇観を呈していました。

 志戸子地区からしばらく行くと永田地区に出る。ここには5~7月にかけてウミガメが産卵のために上陸するという「永田いなか浜」がある。シーズンオフである。人っ子一人見かけない寂しい砂浜だった。

        
        ※ 夏にウミガメが産卵に上陸する「永田いなか浜」です。

 永田地区を後にすると、もう集落もなくスリリングな道が連続するワインディングロードである(「西部林道」)。昔、北海道の山中を走ったときにこうした道路があったような、なかったような…。途中、ヤクザルが道路を占拠するように群れていて、その脇を恐る恐る通らせてもらった。

        
        ※ 西部林道の路上で出会ったヤクザルの群れです。逃げません。

 西部林道を抜け、ホッとすると間もなく日本の滝100選にも選定されている「大川の滝」に寄った。落差88mの滝は雨で水かさが増していたこともあり豪快に落下する様を間近に見ることができた。

              
        ※ 写真が小さいためにその迫力が伝わらないかもしれませんね。

 その他にも屋久島は「海中温泉」、「タイドプール」、「フルーツガーデン」など見所はたくさんあるのだが、先を急いだこともありそれらをパスし、私が最も見たいと思っていた「千尋 (ぴろ)の滝」に急いだ。山中深く入ったところに滝はあった。こちらは滝の近くまで行くことはできず、遠くから眺める形であったが滝の横に立てかかるように見える400m×200mの巨大な花崗岩の一枚岩が見事だった。

        
        ※ こちらは「千尋の滝」です。左側の一枚岩が見事です。

 途中、オレンジを栽培しているところを通りかかったとき、「シカ柵」(北海道ではシカの食害から畑作物を守るために柵を設けている)ならぬ「サル柵」が設けられていたのは屋久島らしい光景と思えた。

        
     ※ 「シカ柵」ならぬ「サル柵」です。どこでも野生生物と共生は課題です。

 屋久島一周の最後は、環境省が主管する「屋久島世界遺産センター」を見学した。こちらも暇とみえて女子職員が親切に説明してくれた。

        
        ※ 環境省の「世界遺産センター」の正面です。

 こうした屋久島を一周したドライブは楽しくもあったが、何か物足りなさも残った。
 それはやはり人との出会いがなかったからだろう。
 「旅」に何を求めるかは、人それぞれだろう。
 私が一人旅に魅力を感ずるのは、そこに人との出会いを求めるからだ。
 しかし、今回の旅はそうした意味では「ありふれた旅」になっているところがある。
 それは私が旅を急ぎすぎているからだと思うのだが、今回の旅ではいたしかたない面でもある…。


屋久島・種子島紀行を振り返る Ⅴ

2010-03-13 22:26:50 | 道外の旅

種子島周遊 

 たった一日の種子島滞在である。私は種子島の見所を巡ることに徹することにした。鉄砲伝来の地、日本の宇宙開発の最前線基地、etc. etc.…。 

 3月6日(土)、種子島に遊ぶことにした。
 種子島一の都市、西之表市を基点にして島の南側をぐるっとレンタカーで一周した。島のおよそ3/4を巡ったことになる。

        
        ※「雄龍・雌龍の岩」です。二つの岩の間に注連縄が張ら
         れています。        

 西之表市からまず鉄砲伝来の地といわれる「門倉岬」を目ざして南下した。
 最初は島の西岸を海沿いに、途中から内陸部を通るコースである。途中、島の観光ポイントである「雄龍・雌龍の岩」「中種子町立歴史民俗資料館」、日本一といわれる「坂井の大ソテツ」に立ち寄り、「門倉岬」に到達したのは午前10時半頃だった。

        
        ※ 樹齢600年以上といわれる日本一のソテツの木です。

 岬そのものは崖の上にあったが、下の方には遠浅の海が広がっていた。難破船が漂着しそうな雰囲気が感じられる砂浜であった。この地にポルトガル人を乗せた中国船が漂着し、そこから日本の鉄砲の歴史が始まったと思うと感慨深いものがあった。

        
        ※ 中国の難破船が漂着した門倉岬の海岸です。

 門倉岬を後にし、島の南西端にある「種子島宇宙センター」を目ざしたが、このあたりから行く手の両側に水田が広がっていた。ちょうど田植えが近づいていて、トラクターで代かきを盛んにやっていた。3月に田植えとはさすがに南国である。

        
        ※ 種子島の南部にはこうした水田が広がっていました。

 門倉岬から30分ほどで「種子島宇宙センター」に着いた。

        
      ※ 種子島宇宙センターにはこのようなロケットのモニュメントが(本物?)

 想像していたより広大な敷地にロケット発射のための施設が点在していた。我々観光客が立ち寄れるのは「宇宙科学技術館」だけである。観光客の姿も少なく閑散とした技術館を一応覗かせてもらった。見慣れない機器や難しい説明プレートが陳列されていた。時間があればじっくりと見て回るのも良いが、時間のない私は早々に退散した。
 宇宙センターの周囲をぐるっと回ってみたが、さすがに国の施設である。敷地の芝生は刈り込まれ、きれいに整備されているのが印象的だった。

        
       ※ 右側の海に突き出たところにあるのが大型ロケット発射場です。

 種子島の二つの目玉を見終えた私は、一路スタート地点の西之表市を目ざすことにした。
 途中、「千座(ちくら)の岩屋」という海の波によって浸食された洞穴群に寄った。洞穴も見事だったが、南国らしい海の青さが素晴らしかった。

        
        ※ 「千座の岩屋」から海(太平洋)を望んだところです。

        
        ※ 「千座の岩屋」のところの海岸です。南国らしい海岸です。

 その後、内陸部の中種子町を経由して、東岸の海沿いをひたすら北上した。リアス式の海岸は集落も少なく閑散とした感じだった。中にはサーフィンのポイントもあるとのことだったのだが、特にサーファーの姿を見ることもなく西之表市に着いた。

        
        ※ 水田とともに種子島で目立ったのがサトウキビ畑です。

 西之表市では「石川本種子鋏製作所」で鋏の製造過程を見学することにしていたのだが、残念ながら休業日のようであった。ガイドブックでは日曜日が休業日ということでわざわざ日程変更して土曜日に種子島を訪れたのだが…。

        
        ※ 島のところどころにはこのような菜の花が広がっていました。
        
 私は今回の旅がありふれた旅になってしまうかもしれない、と事前に書いた。
 この種子島周遊はまさにその典型的なものになってしまったと思っている。
 表面的にただなぞるだけの旅になってしまった。
 だから軽々な論評は避けるべきと思うのだが…。

        
     ※ 「種子島開発総合センター」(博物館)に展示されていた火縄銃です。        

 一つだけ、やはり種子島にも過疎化の波が押し寄せていることを窺わせることに出会った。
 それは西之表市に帰ってきたとき、「種子島実業高校」という表示と、「種子島高校」という表示を見た。
 そこで市内で出合った高校生に「どちらの高校?」と聞いたところ、「二つの高校は合併したんです」と聞いた。
 北海道の地方の実状と同じ現象が進んでいるらしい。
 街の中が皮膚感覚として「元気がないな」と感じた私の感覚は間違っていればいいのだが…。


屋久島・種子島紀行を振り返る Ⅳ

2010-03-12 19:27:54 | 道外の旅

縄文杉との対面を目ざして 後編
 
 あこがれの「縄文杉」と対面を果たした後、下山に入った途端に雨がぽつぽつと落ちてきた。そのうち本降りとなり、私たちは雨中の下山となった。
  
 しばし「縄文杉」の前に佇んだ後、昼食を置いたところまで戻り昼食を摂った。
 ガイドがお湯を沸かしてくれて、みそ汁を振る舞ってくれたのが嬉しかった。

 ところで屋久島のガイドブックには「パワースポット屋久島を歩く」と題して、「世界自然遺産屋久島には、大自然のエネルギーが満ちあふれている。神秘なるパワースポット、屋久島の森を歩こう!」とある。そういえば同行の女子大生の一人が屋久杉に出会う度に、屋久杉に向かって「Give me Power!」と唱えていた。彼女にパワーは与えられたのだろうか?

        
        ※ 今回の登山では所々でこうしてヤクジカに出会った。カ
         メラを向けても逃げようとしないシカだった。        

 ゆっくりと昼食を終えた後、下山を開始したのだが空からポツポツと雨が落ちてきた。
 本降りにならなければいいが、と思いながら足は自然に速くなっていたようだ。「帰りに撮りましょう」と言っていた「大王杉」も気付かぬまま通過してしまった。雨脚は少しずつ増してくるように感じた。
 「ウイルソン株」のところで休憩したとき、下(パンツ)の雨具も履くことにした。
 そのうちにとうとう本降りとなり、足下が滑りやすい状況となり、足下に集中しながらの下山となった。
 登山道の大株歩道が終わって、トロッコ道の始点のところで小休止したのだが、雨を避けてトイレの中での休憩となってしまった。

        
        ※ これはトイレの中で休憩したところではなく、トロッコ道の
         途中にあった休憩舎です。

 待っても止みそうにない空模様の中、トロッコ道を下り始めた。
 今度はあまり足下を気にしなくても良いので、ガイドは沈みがちな私たちのために屋久島に関するクイズを出して気持ちをほぐしてくれる。
 休みなく降り続ける雨の中、トロッコ道の軌道の中は雨が溜まり枕木も水の中に埋もれ川の中を歩くような状態のところもあった。しかし、そのような中でも登山用の雨具はその機能を発揮してくれ、身体的には何の苦痛も感じなかった。

             
             ※ 雨の中を黙々と歩く私です。

 トロッコ道に入ってからは途中、1度の休みを入れただけでゴールの荒川登山口に到着した。時に午後4時20分。往復に要した時間10時間30分だった。
 辺りはすでに薄暗くなっていた・・・。

        
        ※ 登山口の荒川口に無事辿りついてポーズする5人です。
         同行の彼女たちとの唯一の貴重なショットです。

 そこからさらに宮之浦の宿まで1時間強、宿に着いたのは6時少し前。辺りはすっかり暗くなっていた。
 汗にまみれた身体に風呂の湯は優しく、乾いた喉にビールが心地良かった。

 夕食を終え、パソコンに向かっていたら、同行した女子学生が私の所に来て「ブログのタイトル名を教えてほしい」と言ってきた。私が縄文杉のところでブログを投稿しているのを見ていたようだ。
 私と彼女らはまったく棲んでいるところは違うけれど、教職を退職した私と、これから教職に就く若者という奇縁を感じる間柄だ。惜しむことなくタイトル名「田舎おじさん札幌を見る!観る!視る!」を教えた。
 はたして彼女たちは私のブログを見て、観て、視てくれているだろうか?

        
        ※ 荒川口にあったトロッコを牽引する気動車(ジーゼル)です。