田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

えっ?落語家の懐事情ってそんなに厳しいの?

2018-03-21 19:08:41 | 講演・講義・フォーラム等
 世は落語ブームの感を呈している。札幌でも本場の落語を聴く機会が増えてきた。その落語家たちの懐事情は必ずしも良くないという。めだかの学校の「古典落語を聴く会」において、S氏がそのあたりをレポートするのを聞いた。 

 3月12日(月)午後、私が参加する「めだかの学校」が続けてきた「古典落語を聴く会」の最終回が行われた。
 この日聴いた演者(落語家)と演題は、◇六代目三遊亭圓生の「火事息子」と、◇八代目橘屋圓蔵の「寝床」の二つだった。(その他に落語 THE MOVIEで「時そば」と「三年目」を視聴した)
 
               
               ※ 六代目三遊亭圓生です。本日使用の写真はすべてウェブ上から拝借しました。

 六代目圓生は「昭和の名人」とうたわれただけあって、その佇まいも含めて正統派の落語を聴かせてくれた。ただ、録画が古いこともあってか、話す言葉がクリアに伝わってこなかったのが残念だった。
 八代目圓蔵の方は、橘屋圓蔵としてもよりも、前名の「月の家圓鏡」としての名が高く、テレビでも売れっ子だった。彼の芸風はとにかくサービス精神が旺盛で、「寝床」でも絶えず聴く者を笑わせることを忘れない噺だった。

               
               ※ 八代目橘屋圓蔵です。

 さて、本題の落語家の懐事情であるが、S氏が興味深い資料を用意してくれた。
 落語ブームを反映してか、落語家は増え続けていて、現在(いつ現在かは不明)東西合わせて791人の落語家がいるそうだ。
 その内実を詳しく記すと、東京には「落語協会」、「落語芸術協会」、「園楽一門会」、「落語立川流」と4団体があり、その総数が545人だという。その内訳は前座が75人、二つ目が118人、真打が352人という内訳だそうだ。大阪の「上方落語協会」には246人が属しているが、こちらの方は階級がないということだ。

 ところがここでS氏が衝撃的な事実を披露してくれた。その衝撃的な事実とは?
 791人の落語家のうちで食える噺家は多く見積もっても100人程度だということなのだ。この事実には驚いた。真打と呼ばれている人の中でも落語で食っていけない人がいるということである。

 S氏はさらに内情について語ってくれた。それによると、落語家の主戦場は寄席であるが、寄席は落語協会、落語芸術協会に属する噺家だけしか上がることができない。その寄席も箱(キャパシティ)が小さいこともあってだろうか、売れっ子の真打でも日当1,000円くらいしかならないという驚きの低さである。
 そこで稼ぎどころはホール落語とか、独演会ということになるようだが、これとて例えば入場料3,000円で100人が入ったとして、諸経費を引くと手元には数万円しか残らないらしい。

            
            ※ NTV「笑点」の現メンバーです。

 最近増えている出張落語の場合、その出演料は二つ目で5万円、若手の真打で10万円、ベテラン真打で20万円程度だという。
 ただし、笑点メンバーのように一部有名な噺家の場合は100万円を超えるケースもあるということだった。

 いや~。落語家は座布団一枚でどこでも行けて、舞台装置などもかからず、いい商売だと思っていたが、内情は大変だということが分かった。
 落語家の数が791人という数字は、江戸時代以降最多だともいう。今もそうであろうが、生存競争がますます激しくなっていくのだろうな、と思わされた。

映画 210 ミルク

2018-03-20 17:28:24 | 映画観賞・感想

 1946年生まれの私には「ゲイとか、レスビアンを理解せよ」と言われても、素直に理解することができないのが正直な思いである。最近唱えられているLGBTについて考える機会になるかも?との思いから映画会に参加してみた。 

                  

 小笠原の旅から帰ってきた翌日からいつもの札幌の生活モードに戻り、コンサートだ、講義だ、映画だと忙しく出歩いている。これから数日、それら少し溜まってしまった記録を紐解く作業をしたいと思う。

 3月14日(水)夜、札幌市男女共同参加センターが主催する映画「ミルク」のエルプラホール映画上映会に参加した。上映された映画が「ミルク」という映画だった。
 映画『ミルク』(2008制作・公開)は、1970年代のアメリカで同性愛者として初めて公職に就いた、ハーヴィー・ミルクの最後の8年間を描いた実話である。彼は、自らがゲイであることを公表し、ゲイである仲間たちが差別を受けることなく自分らしく生きていける社会を目指して戦い続け、そのことで最後には命を落としてしまうというストーリーである。

             

 男と男が恋に陥る…、おじさん世代の私には、まずこのことが理解できない。私たち世代は、そうしたことがアブノーマルなことと刷り込まれてきたからかもしれない。
 しかし、現実には表立ちはしないけど、世の中には自分の気持ちに正直がゆえに苦しんでいる人がたくさんいるということのようだ。
 そうした状況の中、ミルクはゲイであることを公表し、同性愛者の公民権獲得や地位向上のために立ち上がった。そしてサンフランシスコの市議会議員(正確には市議会議員ではなかったと思ったが、公職であることには違いない)に何度も挑戦し、ついに議席を獲得するに至る。
 ミルクは、同性愛者支援に留まらず、黒人やアジア人、高齢者、児童、下級労働者等、様々な社会的弱者の救済のために活動し、次第に活動が実を結んでいく。支持者は着実に数を増やし、いつしか社会からも理解が生まれ始める。
 しかし、それは同時に反発も呼び、ミルクを危険人物のみなす層も生じていった…。

 ミルクは自分の身の危険を察知しながらも、運動を止めようとはしなかった。そのことがやがて…。

             

 映画会では、札幌市が発行する「LGBTってなんだろう?」と題する冊子をいただいた。
 冊子によると、はLesbian(レスビビアン:同性を好きになる女性)、はGay(ゲイ:同性を好きになる男性)、はBisexual(バイセクシュアル:同性も異性も好きになる人)、はTransgender(トランスジェンダー:身体の性に違和感を持つ人)という意味だそうだ。
 そして冊子ではこう説いている。「性のあり方は一人ひとり違うことを認識し、差別的な言動を控え、みんながありのまま自分らしくいられるようになることが大切です」と…。

 多様性ということが各方面で言われることが多くなってきた。
 人を型にはめるのではなく、ひとり一人がありのままに、自分らしく生きられる社会となるために、頭の古い田舎オヤジも頭のすげ替えを求められた映画だった。

 なおこの映画で第81回のアカデミー賞主演男優賞を獲得したミルク役のショーン・ペンのまったく違和感のない演技が光った映画でもあった。


 


小笠原の旅物語 番外編 東京点描

2018-03-19 19:01:55 | 道外の旅

 “転んでもただでは起きない”のが私の旅する際の信条である。小笠原への乗船までの僅かな時間、札幌へ帰る日も有効に活用して東京都内を歩いた。このことで私の中でまたリアルに感ずることができる東京の地が増えた。 

三庭園を歩く 
 意図したわけではなかったが、今回奇しくも三つの庭園を訪れることになった。訪れることができた三つの庭園について写真とともに紹介したい。

 ◇旧芝離宮恩賜庭園
  小笠原へ向かう「おがさわら丸」に乗船前に訪れた。
  旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作庭した大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園である。作庭当時は汐入の庭だったらしいが現在は海とは繋がってはいない。

             
             ※ 朝一番での入園だったので、庭園の入口は見事に掃き清められていました。

             
             ※ 都内の庭園では、どうしてもビル群が写真に写りこむのは避けられません。

 ◇浜離宮恩賜庭園
  小笠原から帰った日の夕方近くに訪れたが、旧芝庭園よりは大規模な庭園だった。
  甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として公開されて庭園である。東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭である。

             
             ※ ビル群が映り込まぬように工夫して撮りました。往時はこのお休み処で高貴な人が楽しんだのでしょう。

             
             ※ 油断をするとすぐにビル群が映ってしまいます。

             
             浜離宮の池は今でも東京湾の潮の干満に応じて、この水門から海水が出入りするようです。

             
             ※ 「三百年の松」と称して、1709年に六代将軍徳川家宣が植えたとされる黒松です。都内でも最大級だそうです。

 ◇小石川後楽園 
  札幌へ帰る最後の日、ホテルの近くにあった小石川後楽園を訪れた。
  江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)である。

             
             ※ 緑の森の上に、東京ドームの白い屋根が映っているのを確かめられますか?

             

             
             ※ どの庭園でもこの時期は梅の花が殺風景な景色に彩を添えていました。


  庭園に特に趣味があるわけではないが、こうした手の込んだ趣ある庭園は、もっと時間があるときに、ゆったりとした気持ちで楽しみたいと思った。


本郷~根津ルートを往く 
 実は私は「東京下町おさんぽマップ」というガイド本を持っていて、東京へ赴く度にそのマップをもとにあちこちと探訪していたのだが、今回もホテルから近かった「本郷~根津」というルートを巡ったのだった。
 その中に東大構内を巡るルートも含まれていた。

 ◇本郷の下町を往く 

             
             ※ 本郷の「菊坂」と称される狭い通りです。

             
             ※ 作家・樋口一葉が住んでいたとされる住居跡です。お茶屋になっていました。

             
             ※ 登録有形文化財に指定されている由緒ある旅館「鳳明館 本館」です。

 ◇東京大学構内を巡る

             
             ※ 東京大学正門です。学生さんの姿が少ないと思ったら土曜日でした。

             
             ※ 東京大学構内はご覧のような厳めしい柵で囲まれていました。

             
             ※ 東京大学を代表する名所(?)「赤門」です。正式名は何というのでしょう?

             
             ※ 赤門を入ってすぐの大学の建物の一部です。

             
             ※ 夏目漱石の小説で有名になった「三四郎池」です。

              
             ※ 東大紛争時に闘う学生たちにとって最後の砦となった「安田講堂」です。


 ◇根津にあった名所

                   
                   ※ 東大の弥生門を出てすぐにある「弥生美術館・竹久夢二美術館」です。

             
             ※ この辺りで弥生式土器が発見されたようです。写真は「弥生式土器発掘ゆかりの地碑」です。

野球博物館 in 東京ドーム
 特別な野球ファンではないが、ホテルの近くに東京ドームがあったので、一応寄ってみることにした。ずっと昔にここ東京ドームで北海道に移転する前の日ハム戦を見たことがある。
 この東京ドームに「野球殿堂博物館」が併設されていることをすっかり忘れていた。ドームを一周する中で、そのことに気づき、時間がない中で急いで館内を見て回った。

             
             ※ よくテレビなどでも映し出される東京ドーム正面です。手前では小さなスケート場が開業していました。

             
             ※ 東京ドームの一角にある「野球殿堂博物館」です。

             
             ※ 館内にはプロ野球12チームの現在のユニホームが展示されていました。

             
             ※ 2006年のWBC日本代表選手のユニホームが展示されていました。

             
             ※ 野球殿堂入りしたレリーフがずらーっと並んでいました。

             
     ※ 大谷選手はやはり別格?東京ドームで天井にぶつけたボールの展示と、他にもう一つ大谷選手の野球用具一式が展示されていました。そんな扱いは彼だけでした。


小笠原の旅物語 8 旅を想う

2018-03-18 19:48:00 | 道外の旅

 旅する動機は人それぞれだと思う。私の場合はどうだろう?私が旅を終えていつも感ずることは、これまでその地がイメージでしか描けなかったものが、リアル感をもってその地のことを描けるようになることかなぁ、と考えている…。
 

※ 文章と直接関係する写真はないので、今回の旅で目にした花々をカット代わりに挿入することにします。

             
             ※ 父島の街角に鮮やかな紅色の花が目に入った。小笠原の固有種「ムニンデイゴ」という種だそうだ。
 
 旅を終えて1週間、小笠原のことをさまざまな観点からレポしてきた。
 そして想うことは、わずか3日間の滞在だったが、小笠原・父島のことについてはかなり具体的に語ることができるようになったのでは、と考えている。
 それは私の旅のスタイルとも関係している。
 私の旅のレポを見ていただいた方には感じられたことと思うが、私の場合は普通の観光旅行とはちょっと異質の旅と思われている方が多いと思う。

             
             ※ ムニンデイゴの花を近撮したものです。

 退職をしてから10年、さまざまな旅を体験してきたが、その主たる旅先は南の島々であった。
 今回もその延長線上の旅なのだが、私の旅はともかく訪れたその島全体を把握したいという思いが強いのだ。
 その島の面積、滞在日数を勘案しながら、時にはレンタカー、あるいはレンタバイク、ごく小さな島ではレンタサイクルのときもあった。ともかく誰かが作った行程ではなく、自ら選択した行程を旅し、その島全体を把握することを私自身のこだわりとしてきた。
 「そんなにあちこちと動き回るのは旅じゃない。ちっともリラックスできないじゃないか!」と指摘されれば、そのとおりだと思う。
 しかし、私は私のスタイルにこだわりたいのだ。そうすることで、私の中には旅して訪れた地が色濃く記憶として刻み込まれるからだ。
 それを私は「セルフプロデュースの旅」と称しているのだが…。
 
             
             ※ 父島・大村地区の市街地の住宅に庭に咲いていたブーゲンビリアです。今季は低温のために花が遅れていると住民の方が話していた。

 リード文でも記したとおり、旅する動機は人それぞれであると思う。そしてその動機は誰も否定できないし、それぞれがそれぞれの方法で旅を楽しめたらいいのだ。
 よく、旅は非日常を体験することで、日頃のストレスを洗い流すことだと言われている。だからそれぞれの方法でストレスの解消を図ればよいのだと思う。

             
             ※ この花も道端に咲いていたハイビスカスの花ですが、花の盛りはまだこれからといった感じでした。

 一週間の非日常を体験した私は、また札幌の街で生きていく活力を得た思いである。さて、また非日常を体験するために次はどこを目ざそうか?

             
             ※ ハイビスカスの花を近撮したものです。


小笠原の旅物語 7 ザトウクジラ & 戦跡

2018-03-17 23:20:24 | 道外の旅

 小笠原の旅を終えて1週間が過ぎた。まだまだ旅を語りたいと思うが、そろそろ潮時かとも思う。今回の旅でまだ語っていなかった印象的だった二つのことに触れてみたい。         

ザトウクジラのテールスラップ
 
 今回の小笠原の旅の最後は、ホエールウォッチングのツアーに参加したが、とても興奮したホエールウォッチングだった。
 この時期(11月~5月)、ザトウクジラは寒い北極圏から温かなこの海域に移動し、交尾・出産・子育てをするために彼らに遭遇するチャンスが多いらしい。

             
             ※ 定員23名のこのような小さなクルーズ船でのウォッチングでした。

 私たちは定員23名の小さなクルーズ船で父島の周辺の海に乗り出した。
 この日は波が荒く、船も揺れたが予め酔い薬を服用していたこともあり、船酔いなどまったくせずにクルージングを楽しめた。

             
             ※ 船長は船橋から四方八方に目を光らせクジラの出没を見張ってくれました。

             
             ※ スタッフは船首に陣取り、クジラの出没に目を光らせてくれました。。
 
 クルージングでは、南島への上陸、イルカウオッチング、魚への給餌、などなどのプログラムが組まれてそれぞれ楽しめたが、クルーズ最大の目的はホエールウォッチングだった。
 船橋には船長が、船首にはスタッフが張り付き、広い海をにらみクジラを探してくれた。
 そうして私たちは2度、3度とクジラのブロウ(潮吹き)を確認することができた。その中でも親子のクジラが船の方に寄ってくるに際して、子クジラが何度も尻びれを海に叩きつけるテールスラップを見せてくれた。私は夢中になってカメラのシャッターを切ったのだが、一枚もまともな写真を撮ることができずガッカリした。

             
             ※ 写真のようにテールスラップを終えて水中に潜ってしまった写真を何枚写したことでしょう…。

 ところが、その後もう一度比較的大きなザトウクジラが現れて、今度は慎重にシャッターを切ったところ見事に写真に収めることができた。
 私は自らの目で確認できれば十分と考えていたのだが、写真にまで収めることができて大満足だった。
 ただ、残念ながらクジラが大きく水面にジャンプし背中から水面に落ちるブリーチの場面は目撃することができなかった。

 それでは感動のスリーショットを!

             

             

             


まだ残る戦いの跡

 小笠原諸島は太平洋戦争において日本軍の重要な戦略拠点だった。
激戦地となった硫黄島では多くの兵士が犠牲となったが、父島には上陸はされなかったものの激しい空爆にさらされたという。私が歩いた中でも、日本軍が使用した建物や壕、食器や瓶などがいまだに散見された。
 戦後70年が経った今も風雨にさらされながら残っているこうした遺品は、私たちに戦争の惨たらしさ、愚かさを伝えてくれているようだった…。

             
             ※ 旭山山中で見かけた兵士が隠れたであろう壕の跡です。

             
             ※ 壕の近くで見かけた食器などの遺品です。

             
             ※ 先の遺品からそう遠くないところで再び目にしました。

             
             ※ 初寝浦展望台の近くには朽ち果てた軍の司令部跡のような建物が2棟残っていました。

             
             ※ 同じく残っていたもう一棟の建物跡です。

             
             ※ その建物内部の様子です。

             
             ※ 中央山山頂近くに残っていた砲台跡とみられる残骸です。


小笠原の旅物語 6 小笠原の観光施設 & 公共施設

2018-03-16 18:44:26 | 道外の旅

 小笠原を訪れる観光客がビジターセンターなど観光施設を訪れるのは当然だと思うが、公共施設を巡る観光客がどれくらいいるだろうか?皆無に近いのではないか、と思うのだが、その皆無に近いことをやってのけた私だった。 

【小笠原村の観光施設】 
 父島には各種の観光施設が揃っていた。そしてどの施設も無料で入場することができた。そのこと自体はありがたいのだが、どれも規模が小さい感じは否めなかった。
 短評を添えながら紹介したい。

 ◇小笠原ビジターセンター 
 父島・大村地区の目立たないところにあるが、職員は大変親切だった。職員の助言を得て、自信をもって「旭山」トレッキングに出かけることができた。

               

               
               ※ ビジターセンターの裏庭にあったザトウクジラのモニュメントです。内部に骨格もしつらえていました。

               
               ※ 小笠原に多いビロウの木の葉を用いて作られた昔の民家の模型です。

 ◇小笠原世界自然センター 
 比較的新しい施設のようだった。(2017年5月供用開始)センターは展示施設というよりは、小笠原に棲息する動植物の保護増殖、外来種の処置・検査が主たる任務のようで、展示物にはそれほど魅力は感じられなかった。

               
 
 ◇小笠原海洋センタ- 
 こちらは開設されてから時間がたった施設だった。(1982年4月開設)主として小笠原の海に棲息するアオウミガメの保護を目的とした施設である。アオウミガメが産卵し、孵化した子ガメをある程度まで養育し、海へ放流する事業を行っているようだ。

               

               
               ※ センターの玄関のところに安置されていたものはアオウミガメの頭骨ということでした。

 ◇小笠原水産センター
 この施設もけっして観光施設ではなく、センターの目的は①漁業用海岸局、②種苗生産技術開発、③磯根資源調査、④漁業調査指導、という目的で設立されたものだった。センターはミニ水族館とも称され、観光客が小笠原の海で生きる魚たちを観察する施設ともなっていた。

               

               
               ※ 水産センターで養育されていたヤリイカです。
 
 ◇小笠原亜熱帯農業センター 
 センターには事務所も見当たらなく、亜熱帯の植物が展示されてはいたが、立ち入り禁止区域が数多くあるなど、観光客はむしろ歓迎されていないという雰囲気で、早々にセンターを後にした。(ナイトツアーではセンター内でオガサワラコウモリの観察をさせてもらった)

               


【小笠原村の公共施設】 
 小さな小笠原村ではあるが、どれほど小さくても必要な公共施設は揃っていなければならない。国の施設、都の施設、村の施設、さまざまな施設が揃っていた。観光目的の私だったが、それらを巡ることもなかなか興味深いものだった。
 コメントは必要最小限に止めることにする。

 ◇小笠原村役場 

               

               
               ※ 小笠原諸島は太平洋戦争後、アメリカの施政権下におかれたが、1967年に返還され今年がそれから50年の記念の年ということだ。

 ◇警視庁小笠原警察署

               

 ◇小笠原村立父島保育園

               

 ◇小笠原村立小笠原小学校

               
               
 ◇小笠原村立小笠原中学校

               
 
 ◇東京都立小笠原高等学校 

               

               
               ※ 決して大きくない高校のグランドでしたが、全面芝張りでした。

 ◇小笠原村診療所(小笠原村老人ホーム)

               

 ◇小笠原村地域福祉センター(在宅サービスセンター)

               
 
 ◇東京都小笠原支庁 

               

 ◇小笠原総合事務所 

               
               ※ 総合事務所とは、国の出先機関で関係の官庁の事務所が入っているようだった。

 ◇小笠原海上保安署

               
 
 ◇海上自衛隊父島基地分遣隊 

               

 ◇気象庁父島観測所 

               

 ◇国立天文台VERA小笠原観測局

                

 ◇宇宙航空研究開発機構小笠原追跡所 

               

 

 ◇公務員宿舎(?) 
 
 小笠原の公共施設を並べてみて、人口2,500余人にしては公共施設が多いと気付かれないだろうか?それはやはり本土から遠く離れているということがその要因だろう。そのために、島の中には公務員用と思われるアパート(マンション)がいたるところに見られた。そんな公務員宿舎(?)の一つである。

                


 ◇ねこ待合所 
 
 父島のマップを眺めていると、道路際に「ねこ待合所」という表示が気になった。「ねこ待合所」なんて、もしバス停だとしたらちょっと洒落たバス停名だなぁ、と思っていた。
 マップに従い近づいてみると、なんとそこは本当にネコが待っているところだった。
 私のレポでも気づかれた方がいると思うが、小笠原では野ネコの対策が課題となっている。野ネコが貴重な小笠原の生物を餌として食するために、小笠原固有の生物たちが危機的状況に陥っている。その対策に、罠などを使って生け捕りにしている。その生け捕り下ネコたちを保護し、引き取ってくれる人を待っている施設だそうだ。その引き受け手は島の人たちではなく、東京都内の人たちにも呼び掛けているようだ。
               

 いや~、我ながらよく巡り回ったと思う。
 このことで、私は他の観光客よりは、少しは島の実状について理解を深めることができたのでは、と思っている。


小笠原の旅物語 5 小笠原の世界遺産

2018-03-15 16:50:06 | 道外の旅

 小笠原諸島は、大陸とつながったことのない海洋島であるため、島にたどり着いた生物だけが独自に進化した生態系が見られることが評価され、2011年世界自然遺産に登録された。そのことが今回の私の旅の動機になったわけではないのだが、貴重な島を訪れる機会でもあったので、少しだけ関心をもちレポしてみたい。 

 旅だよりの中でも触れたが、貴重な動植物が生育する小笠原諸島を訪れたといっても、私にとっては「猫の小判」状態であり、あまりそのことに関心は持てなかった。しかし、それを避けて通るわけにはいかないと思い、私なりのレベルでレポすることにした。

 リード文でも触れたように、小笠原では独自に進化した動植物が多く、小笠原独特の固有種がたくさん存在しているという。
 私はガイドが付いたツアーにあまり参加しなかったこともあり、それらを目にする機会は少なかった。それでも何種類かの植物を目にすることができたので、それらを中心にレポしたい。

 まず、島の南部にある「旭山」というところをトレッキングした。その際、トレッキング路にはたくさんの植物の説明プレートが付いていた。それらを見ると、全てが小笠原の固有種だと説明されていた。その中のごく一部をカメラに収めたので紹介する。

   ◇タコノキ                     
                    


   ◇シマギョクシンカ 
               

   ◇シマホルトノキ(コブノキ) 
               

               
               ※ 樹種名の副名にコブノキとあるように傍にはコブが取りついた木があった。  
               
   ◇ムニンシラガゴケ 
               
  
   ◇ムニンナキリスゲ 
               

   ◇オガサワラハチジョウシダ 
               

   ◇オガサワラビロウ 
                    

   ◇アサヒエビネ 
               


 こうした固有種(特に動物・昆虫類)が外来生物のために種によっては危機的状況にあるという。特に陸産貝類(カタツムリ)は100種のうち94%もの固有率を誇るという。そうした貝類ばかりでなく、さまざまな生物が外来生物に脅かされている現状に対して、さまざまな対策が講じられていた。
 陸産貝類を捕食するニューギニアヤリガタリクウズムシなどのプラナリア類の拡散を防ぐための対策、野ネコの捕獲装置、ノヤギの侵入防止柵などなど…。それらをカメラに収めることができた。

   ◇種子除去装置(プラナリア対策) 
               
               ※ ここでは靴の底の泥を落とす道具、食酢スプレーが用意されていた。

   ◇野ネコ捕獲装置
               
               ※ トレッキング路のいたるところでこうした装置が見受けられた。

   ◇野ヤギ侵入防止柵
               


 トレッキング路で目にした野花たちである。ジョンビーチトレッキング時にはたくさんの野花に出合った。こちらは残念ながら、それらの植物を説明するプレートが一枚もなかった。それでも、この中に小笠原の固有種が含まれているのではないか、と思われるのだが私にはまったく分からなかった。

               
               ※ ムニンヒメツバキでは?と思うがはたして?

               
               ※ こちらはグンバイヒルガオ(固有種ではない?)と思うが…。

               

               

               


 トレッキング路で多く目にしたのが、「モモタマナ」という大きな葉をもった木だった。
 年中落葉し、年中発芽するという種だそうで、トレッキング路には枯葉がたくさん落ちていた。クルミの実程度の実を付けるが、それが地上に落ちるとオカザリガニの好物となるそうで、ナイトツアーに出かけた時に、そのモモタマナの実を抱えたオカザリガニに何度も出会った。
 なお、旅だよりではモモタマナをオガサワラの固有種と記したが、どうやら南洋の島に広く分布している種のようだ。

               

               
               ※ トレッキング路には写真のようにモモタマナの落ち葉が散乱していました。

               
               ※ モモタマナの葉と実を写したものです。

               

 固有種ではないが、小笠原の豊かな自然がアオウミガメの産卵地となっている。それを保護・繁殖させている「小笠原海洋センター」でたくさんのアオウミガメを見せていただくことができた。
 センターでは、東京の海洋大学の学生さんたちがアオウミガメの育成の実習に取り組んでいた。

               
               ※ アオウミガメの生態を調査する海洋大学の学生です。

               

 最後に、絶滅危惧種とされているオガサワラオオコウモリをナイトツアーで目撃することができた。しかし、高いヤシの木の葉の間から見え隠れするものであり、しかも夜間だったことからわずかに見えたに過ぎない。この写真だけはウェブ上のものを拝借した。

               

 以上、内容には乏しいレポだったが、少しは世界遺産のことにも触れることができホッとしている。


小笠原の旅物語 4 父島のビーチ

2018-03-14 17:04:27 | 道外の旅

 南の島・小笠原は海を楽しみたい人たちにとっては天国である。島内のいたるところに海水浴やカヌー、あるいはシュノーケリングが楽しめるビーチ(海岸)が広がっている。父島のほとんどのビーチを訪れることができたので紹介したい。 

 父島の眺望に続いて、父島のビーチを紹介する。父島は急峻な山坂が海岸まで迫っているところが多いため、入り江がたくさんある。そこが海を楽しみたい人たちに絶好のビーチを提供してくれている。
旅だよりでは、父島の海岸はすべて青い海、白い砂浜とレポしたが、よく見ると海岸によって砂の色が微妙に違った。すべてが白いわけではなかった。砂の色は海岸のあるところの岩石の色によって規定されているようだった。そのあたりもよく見ていただければ…。
 紹介順は、眺望の際と同様に私が訪れた順とした。

大村海岸 
 大村海岸は父島の人口が最も集まっている大村地区にある海岸である。市街地にあまりにも近くて、反対に海水浴などには不向きな海岸かもしれない。

              

扇浦海岸 
 扇浦海岸は、大村地区から南に約5キロ、比較的広がりのある海岸で、休憩舎なども整備され、シーズンには大いに賑わいそうな海岸だった。

              

              
 
小港海岸 
 小港海岸は、扇浦海岸よりさらに南に3キロほどのところにあるビーチで、車で行ける最も南の海岸である。バスもここまで通っている。
 ナイトツアーで訪れ、たくさんのオカザリガニに遭遇した海岸でもある。

              

              
 
ブタ海岸 
 小港海岸から山を越えてたどり着くのがこのブタ海岸で、人がなかなか来られないロケーションでもあり、きれいな海岸だった。
 海岸名がちょっと面白いが、どうやら周辺でブタを飼っていたため、住民が便宜上使用していた名称がそのまま定着したということのようだ。

              

              
 
ジョンビーチ 
 二つの山を越え140分もかけてたどり着いたジョンビーチは、私の目には噂ほど美しくは見えなかったのはどうしてだろう。
 ビーチの名称の由来については諸説あるらしいが、有力な説としてはやはりジョンという方がこの周辺に住んでいたということらしい。
 なお、ジョンビーチの近くには「ジニービーチ」というビーチがあるが、こちらは遊歩道がなく、陸伝いには行くことができないようだ。

              

              

              
              ※ ジョンビーチで出会った写真の二人は東京都環境局の方で、トレッキング路を護るレンジャーだった。
 
宮之浜 
 大村地区から山を一つ越えて裏側にある海岸である。この海岸だけはウエットスーツを着用して海に遊ぶ人を見かけた。

              

              

コペペ海岸
 海岸まで車で行くことができるが、主要道からは外れるため案外穴場かもしれない。
 この特徴ある海岸名は、ギルバート諸島出身の先住民「コペペ」さんが住んでいたことから、この名が付いたようである。

              

              

              
              ※ コペペ海岸に立っていたこの木は小笠原の固有種のモモタマナという木だが、波に洗われて根が露出していた。

              
 
釣 浜 
 宮之浜と同じ側(島の北側)にある海岸だが、見たところ砂浜というより、石ころが転がっている海岸は果たして海を楽しもうとする人に好まれるだろうか?ただ、駐車場から急峻な道を400メートルも歩かねばならず、案外地元の人たちの隠れたスポットになっているのかもしれない。

              

              

 小笠原の海開きは1月1日だそうである。とはいっても、それは水泳シーズンの適期を示すものではないという。小笠原はウェットスーツを着用すれば年間を通して楽しむことはできるが、水着で楽しむ期間は5~11月が適期とのことで、私が訪れたどのヒーチも人を見かけることはほとんどなかった。

 今回、父島のビーチを訪ねる中で、主だったビーチの中で唯一訪ねることができなかった海岸があった。それは「境浦海岸」である。
 この海岸は私が泊まったホテル(ペンション)がある地域である。つまりホテルから一番近い海岸だった。ところがホテルから行くには垂直に近いような崖を降りていかねばならない。
 その海岸に繋がる階段が工事中にために通ることができなかったのだ。残念だったが仕方がない。


小笠原の旅物語 3 父島の眺望

2018-03-13 19:08:27 | 道外の旅

 小笠原の父島は面積23.4㎢と小さな島である。しかし、起伏が激しいために島内には数多くの展望台があり、眺めが素晴らしかった。私はその多くを訪れ、眺望を楽しんだが、本日は多くを語らず、写真を多用し私が楽しんだ眺望のおすそ分けをしたい。 

 本当は、一日に2テーマと考えていたので、本日は眺望とビーチを取り上げようと思っていたのだが、紹介する写真の数が多くなりそうなので「父島の眺望」だけでレポすることにした。
 父島は前述したように起伏が激しい島のため数多くの展望台などが存在する。そのことが昨日レポしたように空港を建設する場合には隘路となっている。そのような父島の眺望を特集することにした。
 紹介順は、私が訪れた順とした。

長崎展望台
 長崎展望台は父島の中で初めて訪れた展望台だったので、その美しい眺望に思わず心の中で歓声を上げた私だった。 

               

               

旭山(山頂) 
 旭山は小さな山だったが、天候も良くて山頂からの眺望は抜群だった。

               

               

ウェザーステーション展望台 
 ウェザーステーション展望台は、気象観測装置が設置されていることから付けられている名称だが、島の南側にあり、陸からのホエールウォッチングの最適地として知られている。

               

中山峠 
 中山峠は、ジョンビーチを目指すトレッキング路の第一のピークとなっているところで、小港海岸を望む眺望の良いところだった。

               

               
               ※ 眼下にスタートした小港海岸が見えました。             

高山(山頂) 
 高山は同じくジョンビーチを目指すときの第二のピークとなっているところで、父島の隣の南島などが望める眺めだった。

               

               

               
               写真中央に見える島は、隣の南島です。

旭平展望台 

               

               

初寝浦展望台 
 初寝浦展望台は、その眺望よりもその展望台の傍に旧陸軍の軍用施設が残っていることで知られている展望台である。(後日紹介したい)

               

中央山展望台 
 中央山は人が登ることができる山としては最高峰で319.5mあり、文字通り島の中央にある山である。海岸にある山ではないため。眺望はそれほどすぐれたものではなかった。

               

               

釣浜展望台 

               

               


 どうでしょうか?小さな島にこれだけ多くの眺望を楽しめるところがありました。観ていただいた方には少々食傷気味にもなったのでは?明日は父島に広がるビーチを紹介します。


小笠原の旅物語 2 小笠原空港問題

2018-03-12 23:39:17 | 道外の旅

 新おがさわら丸(三代目)の就航で高速化が図られたとはいっても東京⇒小笠原間は24時間かかる。これは正直言ってとても長い時間である。航空機の就航は考えられないのか? 当然これまで紆余曲折があったようだ。
 

               
               ※ 父島・二見港に着いた時、一番に目に飛び込んできたのは壁面に書かれたスローガンだった。

 今回の小笠原の旅を振り返るとき、さまざまなテーマが私の中には浮かんだ。 だから、一日2テーマ位ずつ綴りたいと思っていた。ところが、本日はよんどころのない事情があり、一つのテーマだけを簡単に論じてお茶を濁すことにしたい。

 3月5日、24時間もの長い船旅を終え、小笠原・父島の二見港に着岸した時、港のターミナルの壁に「小笠原空港の早期開港!!」という文字が私の目に飛び込んできた。
 「あゝ、やっぱり小笠原の人たちは航空機の就航を念願しているんだ!」と思った。

               
               ※ 父島の地形を端的に表している一枚です。急峻な山坂に覆われています。

 確かに24時間は長い。現代では24時間あると、日本から見て地球の裏側といわれるブラジルまでも行けるという。当然、これまで何度も空港を建設することが議論されてきたらしい。そのことを少し調べてみた。

 このブログで前日「小笠原の空港建設を巡って案外反対派も多いらしい」旨のことを記した。調べてみると、島民の方々の間では島の発展のためにも、また緊急を要する場合の生活の足としても空港開設は悲願のようである。
 しかし、小笠原が多数の固有生物が生育する島であることから、自然科学系の研究者、自然保護団体、あるいは環境庁などからの空港建設による自然破壊を懸念する声におされ何度も建設計画がとん挫していることが分かった。

               
               ※ その急峻な山坂を巡る足となり三日間をともにした50ccのバイクです。

 今回、私は小笠原の住民のほとんどが暮らす父島をバイクを駆って巡ってみたが、その山坂の厳しさに驚いた。少しオーバーな表現をすると、平地は海岸の一部だけで、他は急峻な山坂ばかりだった。
 そのため、もし空港を建設するとなると、今ある自然に大きく手を加える必要があるようだ。そのことがどうやらネックとなっているらしい。

 とはいえ、この問題はいつまでも放っておいて良い問題ではない。現在もいろいろと模索が続いているようだ。自然の破壊を極力抑えつつ、住民の足を確保するという命題に応える空港建設のニュースが早晩メディアの話題になるかもしれない。

               
               ※ 現在は赤線に描かれている洲崎に建設する案が有望視されているようです。