小笠原諸島のことを英語ではBonin Island(ボニン・アイランド)と称するようだ。事実、小笠原の海の色をボニンブルーと称したり、島内のツアー会社には「ボニンブルー シマ」とか、「BONIN WAVE」などという会社名が目立つ。その由来を島のガイドに聞いた。
そして、私たちを島へ運んでくれた「おがさわら丸」のことを…。
※ ホエールウォッチングで目撃することができたザトウクジラの頭です。テールフラップの絵は後日に!
ボニン・アイランド
島滞在最終日の午前、「ホエールウォッチング」のツアーに参加した。その時のツアースタッフの男性が島のことについていろいろと教えてくれた。
その男性に「小笠原のことを何故ボニンアイランドと称するのですか?」と問うと、小笠原の存在は早くから知られていたが、江戸末期まで人は住まず無人島だったという。そんな島のことを欧米人に聞かれた際に、和人は「無人島(ムニンシマ、又はブニンシマ)」と伝えたところ、欧米人には「ボニン」と聞こえたことから、Bonin Islandと欧米人には伝えられた、ということだった。
そう聞いて合点がいったことがあった。
「旭山」をトレッキングした時だった。旭山のトレッキングコースは、小笠原の植物の固有種について丁寧に説明プレートが付けられていた。その数はものすごく多かった。
あまりに多く、全てはとてもチェックできなかったのだが、そのなかに「ムニンナキリスゲ」とか「ムニンシラガゴケ」というように「ムニンOOO」という固有種がすごく多かったことを思い出した。
「ムニン」、「ボニン」は「小笠原」のことを指す言葉のようである。
※ 小笠原の固有種の一つ「ムニンナキリスゲ」です。
※ 同じく固有種の「ムニンシラガゴケ」です。
※ こちらも固有種の「タコノアシ」と見た目どおりの命名です。
おがさわら丸(三代)
私たちを小笠原まで運んでくれた三代目の「おがさわら丸」は近代的な大型フェリーだった。何せ建造年が2016年1月というから、進水して1年少々という新造船だった。
一代目、二代目に比べ大型化、高速化が図られたそうで、全長150m、総トン数11,000トン、定員は894名ということだった。
船内は7層になっていて、上階になるほど部屋のグレードは上がっていた。
私は2等寝台だったので、4階(4デッキ)だった。
他の部屋は覗くことができないので、2等寝台をレポすると、広さが一畳半(幅75cm、長さ200cm)くらいの広さにマットが敷いてあって、上掛け、枕ももちろん用意されている。
私にとってありがたかったのは、カーテンでプライバシーが保障されていたことと、部屋ごとにコンセントが用意されていたことだった。
※ 私がお世話になった2等寝台の様子です。
パブリックスペースとしては、「船内案内所」、「展望ラウンジ」、「レストラン」、「売店」、「ミニサロン」、「シャワールーム」、「洗面所」、「自販機、給湯器、電子レンジ」、「喫煙所」、「談話室」、「ペットルーム」、「授乳室」など、長いクルーズに必要と思われるものはすべて備えられていた。
もちろんトイレは温水洗浄便座(ウォシュレット)である。
小笠原・父島の二見港の船客待合所の壁面には「早期小笠原空港の開港を!」と大書されたスローガンがあった。
帰りの船で出張で3週間島に留まっていた方と話をしたとき、「島民にとって、空港が開港することは悲願なんでしようね」と話しかけたら、「いや、案外反対派も多いと聞きましたよ」と話していた。
う~ん、これはどういうことなのだろう?明日はそのことについて少し触れてみたい。
※ ゲストの船内におけるあらゆる問合せに応えてくれる「船内案内所」です。
※ 第7デッキに設けられた「展望ラウンジ」です。
※ 第4デッキに設けられた「レストラン 父島」のエントランスです。
※ レストラン内部です。船のレストランらしくテーブル、椅子は固定式でした。
※ 第3デッキに設けられた「ミニサロン 南島」です。
※ 自販機です。飲み物だけではなく、おにぎり、カップ麺、つまみ類なども販売されていました。
※ 各デッキを繋ぐ階段が船中央に設けられていました。
※ 階段の他に、各デッキをエレベーターが繋いでいました。
※ 船内の廊下です。
※ 行きの船では「小笠原を120パーセント楽しむ方法」というレクチャーも開催されました。
※ 小笠原に近づいた時にはホエールウォッチングも開催されました。一度だけ見えたそうだが、私はしびれを切らして離れたために目撃できず。