田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

チームジャパン好発進!

2021-07-21 18:50:53 | スポーツ & スポーツ観戦

 祝祭が始まる華やかさに欠けるけど…。東京オリンピックは開会式を前にして、今朝ソフトボールがプレイボールとなって実質的に開会した。その開幕試合でチームジャパンは素晴らしいスタートを切った!

 東京オリンピックの開会式は明後日23日であるが、サッカーやソフトボールなどの球技は一足先に今日から競技が開始された。

 そのソフトボールの開幕試合 日本対オーストラリア戦が午前9時から福島県営あづま球場で開始された。私はこの試合をテレビの前に座ってじっくりと観戦することにした。

   

   ※ 試合開始前、両チーム整列しての国歌斉唱の場面です。

 たくさんの問題や多くの開催反対論、延長論が渦巻く中で、政府や大会組織委員会は苦悩の中で開催の判断をしたのだと思う。このことに賛否両論があるが、少なくとも大会に参加するアスリートたちにとってはホッと胸をなでおろす決定だっただろう。そうした背景が影響したのだろう。大会会場の福島県あづま球場の周辺は閑散としたままで、4年に一度の祝祭が始まる華やかな雰囲気は皆無だった。また、開会セレモニーも同様に映った。

 さて、試合の方であるが、対戦相手のオーストラリアは強豪の一つと目され、緊張しながら試合に見入った。案の定、オーストラリアは1回表に慎重に入りすぎたという日本のエース上野投手から1点を先制する展開となった。しかし日本は打線が活発に相手投手に襲い掛かった。1回裏、北海道出身で主軸の4番の山本選手の適時打で直ぐに同点に追いついたのが大きかった。

   

   ※ 日本代表の主軸を担う北海道出身(当別町)の山本優選手がホームランを打った瞬間。

 2回からは39歳を迎えたという上野投手の胸のすくような投球で相手打線を黙らせた。日本の打線はその後、内藤、藤田、山本と3選手がホームランを放つなど投打がかみ合って8対1とし、大会規定によって5回コールドゲームで強豪オーストラリアを退けた。胸のすくような好発進である。 

        

        ※ 上野由紀子投手のダイナミックな投球フォームです。

 私がソフトボールのゲームを観戦することなど稀である。その私が見ていて一つの発見があった。それは長い間日本チームのエースとして君臨する上野由紀子投手のことである。テレビは臨場感には欠けるものの、プレイヤーの動きを分析的に見せてくれる。今日、上野投手の投球を何度も映し出し、時にはスロー映像で再生もしてくれた。そこで見えてきたことがあった。上野投手が投球した後のフォーロースローを見ていると、ボールが上野投手から離れて後、上野投手の腕の動き、手の平の向きが投球によってさまざまなのだ。つまり上野投手はボールをリリースする直前までボールにさまざまな変化を与えていることがよく分かった。そのスロー映像を見た時、上野投手の投球には一球たりとも同じボールはないのではないか、と思えたほどだ。(もちろん他の投手もそれぞれ工夫はしているのだろうが…) 

 とチームジャパンは素晴らしいスタートを切った。この好スタートは、今夜札幌ドームで行われる女子サッカー 日本対カナダ戦にも好影響を与えてくれるはずだ。これからテレビの前で固唾を飲んで声援を送りたいと思う。 

 ※ 写真はいずれもウェブ上から拝借しました。

 

岩淵選手がなでしこジャパンを救った!

 サッカー女子の試合が終わって追加投稿をしています。

 サッカーなでしこジャパンは初戦の対カナダ戦において前半開始直後に手痛い先制点を奪われた。ゲームの流れを見ても、カナダに支配されている感じでして「これは大敗かも?」と思われるような形だった。事実、前半はいつカナダに2点目が入っても不思議ではない試合展開だった。

 後半に入り、なでしこが時には押し気味のところも出てきた。そうした中、なでしこの田中がPKを獲得するという絶好の同点チャンスを得たのだが、田中はPKを相手GKに止められてしまうという残念な結果になった。

 なでしこジャパン敗色濃厚となった後半84分、ロングパスに反応したなでしこFW岩淵が個人技を発揮して起死回生の同点ゴールを決めた。まさに岩淵さまさまである。高倉監督が「絶対勝ち点3を!」という願いは叶わなかったけれど、勝ち点0では暗雲漂うところだった。しかし、同点で勝ち点1得たことで、次戦(第イギリス戦)に下を向かずにイギリスとの対戦を迎えることができるだろう。

 

 

                     


当別名所めぐり 亜麻畑 & スウェーデンヒルズ

2021-07-20 21:15:40 | 札幌(圏)探訪

 亜麻の花が午前中に開花するとは知らなかったぁ。スウェーデンヒルズの建物はやや画一化しすぎてはいないだろうか?そうしたことを思いながら、伊達邦直たちが開拓した広々とした当別を巡り歩いた。 

 7月16日(金)、映画「大地の侍」ゆかりの地を巡り歩いた私たちは、当別の名所でもあるタイトルの二つの地を訪れることにした。

 まず「亜麻畑」の場所を教えていただくため当別町観光協会(役場観光課)を訪ねた。すると場所は教えていただいたものの、「亜麻の花は午前中に咲くんですよね」と言われてしまった。う~ん。これは勉強不足だった。それでも一応教えていただいた当別町郊外の亜麻畑に向かった。

 亜麻畑の傍には幟が立てられていて、場所は容易に見つけられた。ところが!亜麻畑のところに行ってみてもあの薄紫の爽やかな花がまったく見当たらないではないか!観光協会の方のアドバイス通りだった。それでもあきらめきれずに傍に寄ってみると、閉じ忘れたかのように2~3輪の花を見ることができた。

   

   ※ こうして幟を立てていることを見ると、当別町として亜麻畑をPRしているんですね。

   

   ※ 全く花が見えない亜麻畑の畝です。

   

   ※ 亜麻に近寄ってみたところです。手前にチラッと青いものが…。

   

   ※ わずかに閉じ忘れた(?)亜麻の花が二つ三つ咲いているのを見つけました。 

 観光協会の方の話では、亜麻の花の開花時期そのものが終りに近いということでもあった。できれば来年出直してみたい。

 続いてスウェーデンヒルズに向かった。実は私は退職前に道央への移住候補地の一つとしてスウェーデンヒルズスを一度訪ねたことがあった。だから10数年ぶりの再訪ということになる。スウェーデンヒルズは当別町市街地からおよそ6~7km離れた丘陵地にスウェーデンの北欧型建築の家が立ち並ぶ住宅地である。Wikipediaによると2017年現在782人が居住しているとのことだ。

   

   ※ スウェーデンヒルズの中核的存在(?)の交流センターの建物です。

   

   ※ 交流センター内にはスウェーデンの家庭の様子がレイアウトされていました。

   

※ 交流センターの隣のガラス工房で制作されたスウェーデングラスが展示されていました。

 スウェーデンヒルズに建つ北欧型住宅は全てが北欧風のかわらで葺かれた屋根を持ち、外壁はえんじ色に白い柱がアクセントになった外観で統一されている。いかにも北欧風といった趣であるが、過去に3カ月ほどスウェーデンで暮らした経験のある私からすると、「確かにそうした住宅もたくさんあったが、そればかりではけっしてない」ということである。以前耳にしたことであるが、スウェーデンヒルズの造成を進める建築会社(?)が意図的に統一を図っていると聞いたことがある。ヒルズは以前に私が訪れた時よりははるかに住宅が増えていたが、静かな落ち着いた佇まいの雰囲気だった。

 

   ※ スウェーデンヒルズ内の住宅を数枚撮りました。

   

   

     

 住まわれている人たちはリタイア組が多いのだろうか?だとしたら、買い物などに自家用車の運転は必須である。冬季の除雪も大変だろう。とすると、60歳でリタイアして居住を始めたとしても15年程度が限度ではないだろうか?いらぬお節介かもしれないが、その辺りの実状はどうなっているのだろうか?ちょっと気になった…。

   

   ※ スウェーデン・レクサンド市との姉妹提携記念として造成されたレクサンド公園です。

   

   ※ 公園内にはレクサンド市のシンボルマーク(?)と木馬が置かれていました。

   

   ※ レクサンド公園から当別方面を望んだところです。

 それにしても当別の地は広々とした広大な大地が広がっている。まさに農業適地だと思う。伊達邦直たちはよく良い土地を探し当てたものだ。その慧眼と幸運が今の当別の礎となっていることを改めて思い知らされた当別訪問だった。

                              


東京オリンピック開幕を直前に控えて…

2021-07-19 17:47:30 | スポーツ & スポーツ観戦

 迷走を続けた東京オリンピックの開幕がいよいよ4日後に迫ってきた。これまで私は東京オリンピックに対してのコメントを控えてきた。それは私自身がこの問題について迷いに迷っていたからだ。迷いながらも開幕を控えた今、恐る恐るコメントしてみたい。

   

   ※ 札幌市大通公園10丁目に設置されたオリンピックモニュメントです。

 迷走に迷走を続けてきた東京オリンピックだが、結局は無観客での開催(一部東京以外で有観客にところもあるが)という異常な形で23日(金)に開幕することとなった。無観客としたことは、東京が「緊急事態宣言」下にあるのだからこうした判断はやむを得ないのだろうなぁ、と考える。しかし、問われるべきは何故今になってなお4回目の「緊急事態宣言」を発令しなければならなかったのか、という問題である。

 これまでの政府のコロナ対策を振り返ってみると、あまりにもお粗末過ぎたと云えないだろうか?それは言葉は悪いが、幼児が道に迷って右往左往しているかのごとく私には映った。そして国民はその政府の対応策に翻弄され続けてきた。その結果が現在の状況である。

 「東京オリンピックを開催する」ということは終始ブレずに言い続けてきたが、コロナ対策はブレっ放しだったところに大きな矛盾を感じてしまった。                                                

 対して諸外国はどうであろうか?大きく揺れ動いたヨーロッパやアメリカは今や正常時に近い状況まで回復してきているようだ。先日、アメリカ中を沸かした大谷翔平選手が出場した大リーグのオールスター戦など、スタジアムは見たところ満員の盛況のように映った。「この違いは何なんだ!」と大声を挙げたい気分である。

 と今さら愚痴っても状況が変わるわけではない。形は歪であろうとも57年の時を経て、我が国で二度目の夏季オリンピックが開催される。世界中から選りすぐられたスポーツエリートたちが東京を舞台に(一部北海道を始め全国で)人としての能力の限りを尽くすシーンを私はテレビを通じてだが、この目に焼き付けたいと思う。我が国の選手たちの健闘に声援を送りながら…。

 

※ 本日、テレビで大通公園10丁目にオリンピックモニュメントが設置されたと報じていた。私は早速自転車を駆って駆け付け、そのモニュメントをカメラに収めてきた。同時に札幌で開催されるマラソンのスタート地点を永遠に記す銘板が大公園4丁目に設置されたというニュースも数日前に設置されたと聞いていたので、その銘板も写してきたので、それを掲載する。

   

   

   

   ※ 大通公園4丁目の歩道上に埋め込まれたマラソンのスタート地点を記す銘板です。


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈31〉もみじ台緑地南1丁目コース

2021-07-18 14:13:24 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 この日(7月12日)三か所目のコースは札幌市と北広島市の境界線状に設けられたコースだった。スタートハウスのところに「札幌パークゴルフ発祥の地」と掲げられていたが、コースはやや荒れているのが気になったコースだった。

 「もみじ台緑地南1丁目」コースは、札幌の大団地の一つ「もみじ台団地」が始まる「厚別青葉通」沿いに位置していた。駐車場は道路を跨いでいたが、「もみじ台緑地南1丁目パークゴルフ場駐車場」と明記された専用駐車場があった。

   

   ※ 「もみじ台南1丁目パークゴルフ場駐車場」と表示された駐車場です。

 そしてスタートハウスのところへ行くと「札幌パークゴルフ発祥の地」(平成2年10月)という掲示が掲げられていた。「これはちょっと格上のコースなのかな?」という期待を抱いた。そして不思議なことに、コース案内板を見ると、「もみじ台南1丁目コース」と、もう一つ「虹が丘コース」と二つのコースの案内図が同時掲載されていた。私の中では「虹ヶ丘コース」というのは初耳だった。そこで案内図をよく見ると、「もみじ台南1丁目コース」には〈札幌市〉、「虹ヶ丘コース」には〈北広島市〉との表示がされていた。どうやら「虹ヶ丘コース」というのは北広島市のパークゴルフ場のようだった。

   

   ※ スタートハウスのところにはこうした表示が誇らしげに掲げられていたのですが…。

   

    ※ 何故か北広島市のコースも掲示されていたコース案内図です。

 用意を整え、さっそく1番ホールからプレイを開始した。コースは全体が細長く全体を往復するコースだったが、木が適度に植わっている快適な林間コースだった。ところがコースそのものはお世辞にも整備されているとは言い難かった。庫のコースの前にプレイした「東部緑地コース」や「野津幌川緑地コース」のように芝が生え揃ってなく、ところどころ剥げた箇所があり、ホールの周りは人工芝が敷かれていた。(4ホールくらいそうしたホールがあった)これにはちょっと興が削がれた思いだった。

    

   ※ コース内は一見整備されているように見えるのですが…。  

   

   ※ 写真のグリーン部分は全て人工芝で覆われていました。

   

   ※ 4番ホールはご覧のようにホールの周りにだけ人工芝が敷かれていました。

   

   ※ 人工芝ではないホールの周りも少し荒れ気味です。

 面白いなと思ったのは、隣の「虹ヶ丘コース」との関係だった。私はいくら隣り合っているとは言っても多少は離れていると考えていた。そこでプレイをしていた人たちに「虹ヶ丘コースに行くにはどのように行けばよいのですか?」と尋ねた。すると、「今あなたがいるところは虹ヶ丘コースですよ」と言うではないか!私は間違って虹ヶ丘コースに足を踏み入れていたのだ。つまりまったく境目が分からないほど二つのコースは隣り合っていたのだ。

   

   ※ コースの途中にこうしたお休み処の東屋があるのはいいですね。

   

   ※ ここは確か8番ホールですが、アンジュレーションに富んだコースが魅力です。

   

   ※ 私がコースの教えを請うた地元のシニア4人組です。

 その方々が面白い話(?)を披露してくれた。その内容とは「もみじ台緑地南1丁目コースは本日からオープンだけど、虹ヶ丘コースはずーっとオープンしていたんですよ」と…。つまり、札幌市と北広島市では「まん延防止等重点措置」期間にの公共的施設の開放度に違いがあったという典型的な例だと思われた。

 私はせっかくの機会だったので「虹ヶ丘コース」の9ホールも体験してこの日のパークゴルフを終えたのだった。

   

   ※ 「虹ヶ丘コース」の1番ホールのティーグランドです。 

   

   ※ 「虹ヶ丘コース」には人工芝は見当たりませんでしたが、ホール周りはかなり荒れていました。

                                                                                                                                                                                                                                                         

《コース概要等》

〔住      所〕厚別区もみじ台南1丁目

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長 約400m

〔休      日〕火曜日

〔利用時間〕7:00~日没 〔駐車場〕有(20台)

〔プレイ料金〕無料  〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕もみじ台緑地管理事務所 ☎897-7805

〔訪問日&私の成績〕21/07/12     30/33 

 


金子耕弐のファミリートーク

2021-07-17 19:02:27 | 講演・講義・フォーラム等

 HBCラジオの「金子耕弐のファミリートーク」でお馴染みの金子氏の講演会が江別市で開催され受講した。私よりはやや若い金子氏であるが、子育てに関しては共感することが多い講演会だった。

          

 HBCラジオで毎日のように朝11時半頃から放送される表記番組をよく聞いている私である。金子耕弐氏の美声に乗せて語られる家庭教育に関するお話は共感することが多かった。その金子氏が番組の中で本日(7月17日)江別市民会館において講演会を開催する旨の告知があった。好奇心旺盛で、物好きな私である。「金子氏ってどんな人?」という興味も手伝って江別市まで走ることにした。

 金子氏について、その人となりについて良く知らなかったが、配布された資料によると私よりは10歳ほど若く、当初は海外の短波放送でアナウンサーをされていたが、その後高校の英語教師などさまざまな職業遍歴をされた方のようだ。その過程の中で家庭教育の重要性を痛感したことから、主としてラジオ放送で家庭教育のパーソナリティとして今日に至っている方で北海道在住のようである。

           

           ※ 金子耕弐氏の著書の一つです。                  

 本日の講演は「いま家庭と子育てに必要なこと」と題してのお話だった。冒頭、金子氏は「子育てとは、良き人間関係を築くことではないか」と説いた。夫婦間、親と子、あるいは祖父母と孫、等々、現代は人間関係を築くことが難しくなっているようだ。と指摘した後、「子育ての三つの柱」を挙げられた。その三つの柱とは、

 第一の柱は「愛情」

 第二の柱は「時間と感動の共有」

 第三の柱は「親は指導する立場」

を挙げられ、それぞれについて詳細に説明された。この三つの中で特徴的なのは第三の柱である「親は指導する立場」であることを強調された点である。現代の子育て専門家などは「子どもにも人権があり、子どもの意志も尊重すべき」と説き、金子氏は第一、第二の柱を大切にしながらも、親が子どもを指導することに躊躇すべきでないと強調された。この点については私も大いに賛同したいと思った。

 また、「愛情」に関わって初めて聞く興味深い話を伺った。それは今から800年前のローマ皇帝だった「フリードリッヒ二世の実験」というものだった。お話を伺い帰宅してウェブ上で調べてみると、そのことが載っていたので原文を転写してみたい。興味深い話なので少し長いが読んでいただけたら幸いである。

今からおよそ800年前のローマ皇帝だった「フリードリッヒ 2世の実験」というのをご存知ですか?ある時、フリードリッヒ 2世はこんな疑問を持ちました。「言葉を一切教わらなかった赤ちゃんは、どんな言葉を話すようになるのか?」

 フリードリヒ2世はこの実験のため、部下に50人の生まれたばかりの赤ちゃんを集めさせ、部屋に隔離しました。そして乳母たちには、下記の条件で実験を行うように指示しました。

⚫︎赤ちゃんの目を見てはいけない
⚫︎赤ちゃんに笑いかけてはいけない
⚫︎赤ちゃんに話しかけてはいけない

⚫︎赤ちゃんにミルクを与える
⚫︎赤ちゃんをお風呂に入れる
⚫︎赤ちゃんの排泄の処理をする 

結果は、3歳までに49人が死亡。
6歳に最後の1人が死亡しました。 

つまり衣食住、生きるための世話はきちんとするけれど、スキンシップは一切取ってはいけないというものでした。

今では考えられない昔の残酷な実験ですが、この実験からわかる事は、「言葉とスキンシップが命を育む」という事でした。重要性を証明するエピソードの一つだと思える。

 このことは、金子氏が強調する子育てにおける「愛情」の重要性を証明するエピソードの一つだと思える。

    

 その他、金子氏はこれまでの数多くの家庭教育に関わる放送や講演会の経験から興味あるエピソードを紹介され、一つ一つが納得できる内容であった。遠く江別市まで遠征してお聞きした講演会だったが、私にとっては有益な講演会だった。


映画「大地の侍」ゆかりの地を訪ねる

2021-07-16 16:23:00 | 札幌(圏)探訪

 「大地の侍」を観て感動を受けた私は、さっそくゆかりの地である当別の街を訪れてみた。原作者である作家・本庄睦夫の「生誕の地碑」、そして領主伊達邦直が建てた「伊達邸別館」、「当別伊達記念館」と訪ねてきた。

 本庄睦夫生誕の地碑

 「大地の侍」の原作となった「石狩川」を著した本庄睦夫は当別町の出身である。その生誕の地は当別町の中心からは遠く離れたビトエという農村地区にあるとあった。ビトエという漠然とした地区名だけではたどり着けない。ところが幸いなことに、そのビトエという農村地帯に菓子会社「ロイズ」がふと美工場を建設していて、工場直売店を経営していた。疎この直売店で訪ねると、なんと工場敷地の一角に立っていると教えられた。

 なるほど工場敷地の南東角に石碑は建っていた。直売店の方は「正確な生誕の地ではないが…」と言いながら教えてくれたが、広大な地で生まれ育ったことには違いなかった。なお、本庄は伊達家の岩出山藩の出ではなく、佐賀藩士の末裔であるということだ。

   

   ※ 当別町の広大な畑の真ん中に建つロイズふと美工場の外観です。 

    

   ※ 工場直売店の店内には本庄睦夫に関してのいわれなどの説明板がありました。  

   

   ※ 工場敷地の一角に建つ「本庄睦夫生誕の地碑」です。 

       

       ※ 石碑の裏側です。

 当別町伊達記念館

 「当別町伊達記念館」と「伊達邸別館」は隣り合っていたが、こちらは番地まで明示されていた(当別町元町105番地)のでナビに導かれ容易に見つけることができた。ところが!「伊達邸別館」の入口には頑丈なカギがかけられていた。一方「当別町伊達記念館」の方の入口には「当別町民以外は入場をお断りします」という掲示がかけられていた。ガーン!このように表示されていては仕方がない。一緒に行った妻と「帰ろうか」と話をしていたところ、記念館から学芸員のような方が姿を見せ、「どうぞ、どなたもいらっしゃらないので館内を見ていってください」と案内していただいた。思わぬ僥倖に私たちは喜んで館内を見学させていただいた。

   

   ※ 記念館の建物としてはやや寂しい外観の「当別町伊達記念館」です。

 館内の展示は主として伊達邦直公、並びに奥方の遺物の展示だった。当時の困難な交通事情の中で、人力によって運ばれたと思われる数々は国主としての矜持を保つためにも欠かせぬものだったと思われた。

   

   ※ 伊達公の奥方様の化粧道具一式です。明治初期でも高貴な方はしっかり化粧していたとみえます。

   

   ※ 展示品の一つ、陣羽織や裃などです。

   

   ※ こちらは戦に備えての軍備品でしようか?

 館内の一角には岩出山藩の開拓の様子がたくさんの版画によって描かれていたが、それは映画の内容と重なるところが多かった。

   

   ※ 東北からの移動の大変さ、開拓の困難さを伝える版画です。

 

伊達邸別館 

学芸員の方は私たちを「伊達邸別館」へも案内してくれた。この「伊達邸別邸」は名士が来村した際の宿泊、懇談や村政執行のため諸会議に使用するため1880(明治13)年に建設されたそうだが、岩出山藩が当別に開拓の鍬を入れたのが1871(明治4)年であるから、開拓も一段落して安定期に入ったころに建設されたことがうかがわれる。別館は意外に小規模で、二階建てであるが一・二階にそれぞれ二部屋しかない小規模な建物であったが、造りはしっかりしたものであった。

   

   ※ 「伊達邸別館」の前には、その由来を伝える説明書きがありました。

   

   ※ 意外に小ぶりな「伊達邸別館」の外観です。

   

   ※ 応接室兼会議室です。

   

   ※ こちらは書斎兼控室だったようです。   

   

   ※ 二階の日本間で客人の寝室ですが、写真では伊達公と奥方、それに開拓の状況を報告する家臣が人形で表現されています。

当別神社 開拓記念樹

 別邸の直ぐ近くには、領主邦直が御祭神として祀られている「当別神社」がある。そこへもまた件の学芸員氏が案内してくれた。学芸員氏は、神社横に立つ「開拓記念樹」について説明してくれた。ここに立つイチイの木は、当初入植した聚富(しっぷ)が開拓に適さない地だったことから当別の地を調査した踏査隊が露営したという樹齢350年という大木で、開拓当時に村人が心の拠り所とした木だったことから「開拓記念樹」とされたようだ。しかし、数年前に上部が朽ち果て倒れてしまったという。今も根元だけは残っていたが、根元だけでも十分にその大木ぶりを見て取れた。

    

    

    ※ 残念ながら上部が欠けてしまった「開拓記念樹」です。   

 そしてその奥に建つ「当別神社」は広大な敷地の中にあり、岩出山藩士たちの末裔が支える神々しさに満ちた神社だった。

    

    ※ 第一鳥居から見た「当別神社」の本殿です。

                                       


映画 大地の侍 №315  

2021-07-15 17:55:15 | 映画観賞・感想

  “侍”とタイトル名はついてもいわゆる時代劇物ではない。北海道には縁のなかった士族たちが北の大地を開拓するという困難な事業に悪戦苦闘するという物語である。北海道を切り開いた先祖の苦労を偲びながら画面を見入った。

          

 7月13日(火)午後、「北海道農業企業化研究所(HAL財団)なるところが主催する「大地の侍」上映セミナーが北洋銀行セミナーホールで開催されたので参加した。

 セミナーと銘打つだけに映画の上映だけではなく、前段に北海道史研究家の関秀志氏の講和が用意されていた。関氏は北海道開拓記念館の元学芸部長を務めた方で、北海道の近現代史に詳しい方である。短い時間(約30分)の講和の中で、印象的な言葉があった。それは士族が北海道開拓に成功した理由についてだった。その理由とは、第一に殿をはじめ家老クラスが一緒に開墾に取り組んだこと。第二に士族が農業に不慣れだった故に、新しい農業に恐れず挑んだこと。第三に優秀な家老クラスがリーダーシップを発揮して家来たちを励まし、督励したことが挙げられるとした。

     

 その後、「大地の侍」の上映に入った。映画は郷土出身の作家・本庄睦夫作の「石狩川」が原作とされるが、史実に基づいた物語である。1956(昭和31)年に制作された映画はモノクロ映画であるが、フィルムの保存状態が良くなかったものをHALが制作会社の東映に依頼して修復し、DVD化をして上映会にこぎつけたということだった。

 映画は、明治元年 仙台藩の一門である「岩手山藩(領主・伊達邦直)」は反官軍側に立ったために朝敵の汚名を受け、帰農しようとしたが土地の払い下げが受け入れられず、北海道移住の道しか残されていなかった。残された狭い土地だけでは藩民を養っていくことは困難で、北海道移住を巡って藩論は混迷を極めるが家老の阿賀妻兼(大友柳太郎)の北海道移住論を若き領主・邦直の英断によって移住希望の者だけでの移住となった。しかし、与えられた土地は、現在の石狩市の海岸沿いの聚富(しっぷ)という砂地の不毛地帯だった。困難を極めた一同だったが、阿賀妻たちは自らの手によって肥沃な地を求めて石狩川を遡り、現在の当別町を探し当て北海道開拓使に移住を願い出るのだった…。

   

 映画の紹介はこのくらいまでとするが、映画において領主・邦直はもちろん移住の先頭に立ち、家老・阿賀妻はどのような困難に遭遇しようとも自らの知恵と才覚で乗り切っていくリーダーシップを発揮していくところが、まさに冒頭の講和で関氏がお話されたとおりだと思えた。

 現在は豊かな大地が広がる当別町の沃野が、邦直や阿賀妻、そして多くの家臣たちの手によって開拓されたことに思いを致すとき、先人たちのご苦労に心から感謝しなければならないと深く思ったものである。

 映画に感動した私は、本日当別町まで車を走らせ、「伊達邸別館、当別伊達記念館」そして「本庄睦夫生誕の地碑」などを見て回ってきた。そのレポは後日したいと思っている。

(余話)

◇久しぶりの大画面での映画観賞となった。といっても、映画館のような大画面ではない。テレビ  のインチでいうと300インチくらいか?それでも私には満足できる画面の大きさだった。

◇全くの余話であるが、東映映画ということで画面の制作者名に「大川博」という名があった。大川博氏というと、長年にわたり東映映画会社々長として名を馳せた人である。特徴のあるメガネとちょび髭で存在感のあった人である。懐かしく思えた一瞬だった。

           

 ※ 掲載写真は本日もウェブ上から拝借したものであることをお断りします。


大谷の、大谷による、大谷のためのオールスターゲーム?

2021-07-14 17:04:52 | スポーツ & スポーツ観戦

 漫画の世界のような結果にはならなかったけれど、これが “リアル” な世界なのだと思う。しかし、今年のメジャーリーグオールスターゲームは間違いなく「大谷の、大谷による、大谷のためのオールスターゲーム」だった…。

    

 昨朝、今朝と私はテレビの前にかじりついた。それはもちろんメジャーリーグのオールスターゲームでの大谷翔平選手の活躍を見守るためである。

 まず昨日の「ホームライダービー」である。レギュラーシーズンで圧倒的にトップを走る大谷選手は優勝候補のトップとして登場したが、それが気負いにつながったのだろうか?当初はなかなかボールに角度がつかずホームランの量産とはならなかった。しかし、さすがはホームランバッターである。後半にホームランを量産し相手バッター(ファン・ソト選手)と同数となり、延長戦に持ち込んだ。延長戦でもまたまた同数。再延長戦で惜しくも相手に勝利を譲る結果となった。一回戦で敗れはしたものの、大谷は球場はもとより、テレビで見守った多くのファンに間違いなくホームランバッターの片りんを見せつけたと思う。

 そして本番の今朝である。大谷はア・リーグチームの一番打者にして先発投手という前代未聞の形での出場となった.DH部門と、投手部門と両方で選出された大谷選手のために、メジャーリーグは大谷選手のために特別ルールを作り、大谷選手が「リアル二刀流」で出場することを認めたのである。まさに「大谷の、大谷による、大谷のためのオールスターゲーム」となったのである。

       

 試合の方であるが、まず打者大谷として一番バッターで登場した。私が本日のゲームでやや残念に思えたのはこの大谷の打者としての場面だった。大谷は二度のバッティングチャンスを与えられた。しかし、二度とも内野ゴロに抑えられてしまった。この二度の打者としての場面であるが、一度目は二球目を、二度目はなんと初球を打ったのである。私から見て少し淡泊だったかなぁ、というのが率直な感想である。もう少し好球を待っていればあるいはチャンスがあったのでは?というのが素人の浅はかな見方であるが…。

    

 投手の方は先発投手という緊張する場面だったが、一人の打者も出塁させず三人で料理して責任を果たした。一番打者には大きな飛球を飛ばされたが、他は速球投手の称号である100マイル(約161キロ)の速球も交えて危なげなく片付け、勝利投手にも輝いた。

 大谷選手は全米の野球ファンが見守る中で、特に緊張もせずに堂々とふだんの力を発揮してくれたと思う。夢に描いたような結果は得られなかったとしても、それが “リアル” な世界なのだ。だから戦い終わった大谷選手の表情からは清々しい笑顔が溢れ、「楽しめた」と屈託なく話す姿が印象的だった。

 某テレビ番組で大谷選手の特集を放送していた。その中で、彼が日本人ばかりでなく全米の人たちをも虜にしてしまうのは、大谷選手の野球選手としての成績・力量が抜群なことがもちろん第一の理由だが、それ以外にも彼は人々を虜にする魅力にあふれていると評していた。その理由の第一は、彼が純粋に野球することを楽しんでいる姿が伝わっていること。第二に、彼のコメントはいつも気負わず自然体で素直なコメントが多いこと。さらにはアメリカ人に劣らない立派な体格を持ち、なおかつキュートな表情が女性ファンのみならず全ての人を魅了していること。等々、数え上げれば枚挙にいとまない。

 彼は今得意の絶頂にいるはずなのだが、そのコメントからはそんなことをみじんも感じさせない謙虚さに溢れている。彼の性格からいって、そして昨年、一昨年と故障に泣いたことからいって、これからもけっして天狗になることなどないだろう。

 かくして「大谷の、大谷による、大谷のためのオールスターゲーム」は大谷の魅力を満載にして終了したが、メジャーリーグはすぐに後半戦が始まる。疲労からの故障が本当に心配されるが、どうか無事に後半戦を戦ってほしいと願いたい。

 コロナ禍で鬱々としている私たち日本人に一服の清涼剤を送り続けてくれる大谷選手に大きなエールを日本から送りたい。

※ 掲載した写真は全てウェブ上から拝借しました。


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈30〉野津幌川緑地コース

2021-07-13 19:33:44 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 野津幌川緑地コースを見つけるのに少々苦労した。コースは熊ノ沢川が野津幌川に合流する地点に広がっていた。コースは この日最初にプレイをした東部緑地コース同様小さいながらも良く整備されていて気持ち良くプレイできた。

 この野津幌川緑地コースも昨年の札幌市内の緑地巡りで目にしていたので簡単に見つけられると思っていた。ところがナビに入れた住所ではアバウトすぎるせいなのか、いっこうに見つけることができずに周辺をぐるぐると回っても見つけられずにいた。思い余った私は近くにいた婦人たちに聞いてようやく駐車場を見つけることができた。

   

   ※ 野津幌川緑地コースの駐車場です。

 コースは駐車場からやや離れたところに造られていた。コースは川沿いを走るウォーキングルートを挟んで、1~5ホールと、6~9ホールに分かれて造られていた。そしてこのコースにもコースとは別に東部緑地コースと同様に「ティショット練習場」が設けられていた。

   

   ※ 野津幌緑地PGコースの全体図です。コースの中央に遊歩道が走っています。

   

   ※ どこのコースにも同じようなスタートハウスが建っています。

   

   ※ このコースにも手作りのような「ティショット練習場」がありました。

 コースは短いながらも良く整備されていたコースだった。私はこのパークゴルフ場巡りをする際はいつも単独で、写真を撮りながらプレイする。ところがこの日は私の直ぐ後の方も単独プレイの方だったため、絶えず追われるようにプレイしなくてはならず写真をゆっくり撮る暇もなくプレイに専念しなければならなかった。そのこともあってだろうか?東部緑地コースよりはやや良い成績を残すことができた。

   

   ※ 1番ティーです。狭い土地を利用するために両脇にはネットが張られています。

   

   ※ ホールの周りの芝がきれいに刈り取られ整備が行き届いていました。

 野津幌緑地コースは川沿いに造られたコースのために、コース内にほとんど木は植わっていなかった。そういう意味ではやや単調なコースとも云える。しかし、このコースをホームコースとしている「もみじ台西P G同好会」の皆さんがコース整備を心がけているせいだろうか?とても気持ち良くプレイをさせていただいた。感謝したい。                                                         

 

《コース概要等》

〔住      所〕厚別区もみじ台西5丁目

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長 約375m

〔休      日〕水曜日

〔利用時間〕7:00~日没 〔駐車場〕有(13台)

〔プレイ料金〕無料  〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕もみじ台緑地管理事務所 ☎897-7805

〔訪問日&私の成績〕21/07/12     31/33 


札幌市のパークゴルフ場めぐり〈29〉東部緑地コース

2021-07-12 18:38:31 | 札幌市のパークゴルフ場巡り

 実に9カ月ぶりのパークゴルフである。「まん延防止等重点措置」の解除を受けて札幌市内のパークゴルフ場がようやくオープンした。東部緑地コースは小さなコースだったが、よく整備されていて気持ちよくプレイすることができた。

 東部緑地は厚別区の外れ、北広島市との境界に位置する緑地である。私は昨年この緑地をトレッキングし、パークゴルフ場も目にしていたので難なくパークゴルフ場に着くことができた。

   

   ※ メインのとおりからパークゴルフ場の駐車場に至る入口には案内板がありました。

   

   ※ 40台(?)が駐車できるという駐車場です。   

   

   ※ コースの手前には写真のようなティショット練習場がありました。

 札幌市はコロナ禍による「緊急事態宣言」、それに続く「まん延防止等重点措置」と続く中、公共施設の一つである市が管轄するパークゴルフ場は全てが閉鎖されていた。それが本日よりオープンということで、パークゴルフ愛好者には待ちに待ったオープンだったのではないだろうか?そうした事情もあり、あるいはどのパークゴルフ場も混雑しているのでは?との恐れもあった。しかし、私が訪れたのが昼時ということもあったためか、思ったほどではなく、3~4組がプレイしているだけだった。

   

   ※ クラブの人たちが憩うスタートハウスです。

   

   ※ 9コースのレイアウトが掲示されていました。

   

   ※ スタートハウスの横には同好会の方々の手による(?)花壇がありました。

   

   ※ 花壇の中でひと際鮮やかだったアヤメにレンズを合わせました。

 早速久しぶりにプレイしたのだが、やはり感覚は鈍っていて思ったようには上手くはいかなかった。しかし、コースは良く整備されていて気持ちよくプレイを楽しむことができた。コースとは別に「ティショット練習場」のところには「上野幌パークゴルフ同好会」という掲示も見られたことから、同好会の皆さまがコース整備や周辺整備をされているのかな?と想像された。

   

   ※ 1番ホール(PAR 3、31m)です。

   

   ※ ホールの周りがきれいに整備されていて気持ち良かったです。

   

   ※ コースのところどころにはこのような休憩用のベンチが配されていました。

   

   ※ 写真は確か最終9番ホールだと思います。                                                                                                                                                                              

 私のようなよそ者も気持ちよくプレイさせていただいたことを感謝しながらパークゴルフ場を後にし、次のパークゴルフ場に向かった私だった。   

 私が数えたところ札幌市内には65のパークゴルフコースがあることになっている。この「札幌市のパークゴルフ場巡り」はそのコース全てを一巡しようとする、非生産的なプロジェクトである。現時点はまだ半分も消化していないというお先真っ暗なプロジェクトでもある。しかし、言い出したからにはなんかと完遂したいと思っている。果たしてその日は何時になるのか??まあ、高みの現物を決めこんでくださいな。                                                         

《コース概要等》

〔住      所〕厚別区厚別町上野幌947番地

〔コース概要〕・9ホール、パー33 総延長 約346m

〔休      日〕木曜日

〔利用時間〕7:30~日没 〔駐車場〕有(40台)

〔プレイ料金〕無料  〔ティーの用意〕有

〔問い合わせ〕厚別区土木部 ☎897-3800

〔訪問日&私の成績〕21/07/12     33/33