長崎で長崎街道の文字をあちこちで見て 思いだしました。1か月ほど前の“小倉ぶらぶら”の日のことです。
長崎街道....九州の起点“常盤橋”を通って駅に向かいました。
北九州小倉ライオンズクラブの案内板(文中緑色の文字)を書き写しながら、撮った写真を入れていきます。。
この道は参勤交代などの往来だけでなく、オランダ商館のケンペルやシーボルトなど外国人や、西洋の文化や物質が長崎から江戸へと流れていく幹線道路となりました。
常盤橋です。木造ですよ。。 橋の袂には街道茶屋もあります。
道も整備され、慶長16年(1611)には黒崎、原田間のいわゆる筑前六宿が完成し、小倉から長崎の間の全長57里(約228キロ)二十五宿が定着して、江戸を発する5街道に次ぐ主要な道路となりました。 この道は当初は長崎路と呼ばれていました。
文政年間に使われた石くいの一部です
しかし、江戸時代前期に貝原益軒が記した「筑前国続風土記」の中に長崎街道の名が出てくるので江戸時代の割合早い時期から長崎街道といわれていたようです。
小倉への諸街道が集中する常盤橋周辺の京町・船頭町・宝町・室町には、九州の諸大名が参勤交代で泊まる宿(本陣)や、商人や旅人が泊まる旅籠が多数あり賑わいました。 北九州小倉ライオンズクラブの案内板
長崎街道の起点―常盤橋の親柱が左側に見えます。背景新幹線が走っているのがご覧いただけるでしょうか。。もうすぐ小倉駅という場所なんです。
このあといわゆる筑前六宿に続きます。まず黒崎宿ですがお友達のmaruさん がちょうどUPしていますのでご覧くださいね。