モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



前回ご紹介の来迎寺の隣です。 不可思議山明善寺をご紹介します。ここも2回目 前回は石橋のみ その石橋です。

 

真新しいです。 近年 建て替えられたようです。真宗大谷派のお寺さんです。

 

香春町採銅所・不可思議寺・細川興秋が宗順として1615年から1632年まで住職を務めた

細川 興秋(ほそかわ おきあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。 細川忠興の次男。 [生涯] 母玉が味土野(現京丹後市弥栄町)幽閉を解かれて、大坂に戻った天正12年(1584年)に生まれた。(ネットより)

(玉は後のガラシャ夫人です。)

 

鐘楼です。

不可思議寺、来迎寺、髙座石寺の3寺は、香春における中核をなすキリシタン寺だった。また1627年(寛永4)以来、中浦ジュリアン神父を興秋は不可思議寺に匿い、中浦ジュリアン神父は興秋により、脳梗塞の治療を受けて快復。
細川藩が肥後へ転封される1632年(寛永9)12月まで、6年間、この寺を本慮として豊前、豊後、筑前、筑後を宣教していた。(ネットより)

 

中浦ジュリアンは 天正少年使節 4人の内の一人です。 13歳でした。下の本の写真の 【天正少年使節】の帯には

信長の時代に長崎からローマへ船出し、秀吉の時代に帰国した少年たちの物語 

 

盟友の伊東マンショ神父が残した豊前のキリシタンの世話を中浦ジュリアン神父が引き受け、慰めと希望と信仰を維持するように励まし続けている (ネットより)

 

三つの寺のもう一つ 高座石寺 これまた 私は 石橋しか見てないのです。 知らぬ事とはいえ もったいない・・

高座石禅寺鐘楼前の橋 (福岡県香春町)2007年4月2日

 
 
今回 採銅所行きで 思いがけず 天正少年使節 に出会う 私は 長崎で浦上天主堂 26聖人の資料館 西坂の教会などで ずいぶん色々見学し、本も買って読んだのを思い出しました。
それにしても少年使節 わずか4人、その中の2人が関係してるなんて すごいことですよね。
 
天正少年使節・・・・私は大河ドラマにして欲しいです。
 
 
 
この前お正月だったのに 今日で1月も終わりですね。
 
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