鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

広島・長崎原爆忌

2006-08-09 23:33:52 | 思いつくまま

 6日に廣島の原子爆弾のことを書こうかと思っていたのですが、不遜にも最上川に釣りに行ったりして、鮎釣りを優先しそのままになっていました。

 今日9日は廣島に続いて長崎に原子爆弾が落とされた日です。

 早いもので60回忌を超え、今年は61回忌となります。人間で言えば還暦が過ぎてしまったことになります。

 今朝のTVで知ったのですが、廣島の原爆ドームのすぐ近くに超高層ビル(マンション?)の建設が予定されているとか。それを知った、吉永小百合さんたちが反対を表明したということでした。

 原爆ドームの付近は世界遺産に登録されていると思うのですが、それなのにそんなビルが建っていいものでしょうか?建てる方も、建設を許可する方も何を考えているのでしょうか?

 廣島の原爆被害者の慰霊祭に、日本の将軍様小泉が出席しましたが、出席しただけで被害者の人たちとの話し合いには出ませんでした。

 そして、今日長崎の原爆慰霊祭にも首相は出席しましたが、何とその席で8月15日に靖国神社に参拝するようなことを発言していました。何と言う傲慢、無神経さ、呆れてしまいます。

 無謀なアメリカとの戦争に突入しなければ、冷静に考えてみれば誰にでも勝つことは不可能な太平洋戦争をしなければ(これは今だから言えることであって、当時の雰囲気としてはやむをえなかった、冷静な判断ができる状態ではなかったという考えもあるでしょうが)、日本は原爆を落とされることはなかったはずです。

 また、200万人以上もの日本人が死ぬことはなかったし、靖国神社なんかに祀られることもなかったなかったはずです。

 

 何からどう書いていけばいいのか分かりませんが、原爆について、詩歌・小説・ドキュメンタリーとか一杯書かれています。写真集も一杯出ています。

 私が始めて原爆の被害について知ったのは小学校の図書館の本からでした。親から教えてもらったことはないし、授業で教えられたのでもないように記憶しています。小学校3年生前後でしょうか、学校の図書館にたまたまいったのか、何で行ったのかはまるっきり覚えてはいませんが、図書館で目に留まったもの、それが原爆の恐ろしさを伝える写真集だったのです。

 正直恐かったです。本を手に取るのにも怖かったです。見るべきか、見てもいいものか悩みつつ、本棚から取り出し、恐る恐るページをめくりました。原爆の惨状が、死者たちの怨念が襲い掛かるようで、こわごわ見続けたと思いますが、全てを直視できる精神状態ではなかったと記憶しています。

 見なければならないという脅迫観念みたいなものが一方ではあり、一方では見るに耐えない、もう見なくてもいいという声もあり、そういう葛藤をしながらも何かに取り付かれるように写真に見入ったように思います。

 白黒の写真がなおのこと怖さ恐ろしさに迫力を与えているようでした。

 まだその本はあるのでしょうか?もうとっくにないでしょう。でも新しい原爆の惨状を知らせる別の本が書架に並んでいるのかもしれません。

 

  そして時は流れ、大学生になったとき再度原爆のことがよみがえってきました。それは大人向けの週刊誌に連載された漫画でした。原爆を扱った漫画が週刊誌に掲載されていたのです。「はだしのゲン」ではなかったように思います。大人が主人公の原爆を背景にした漫画でした。作者も題名も週刊誌名も思い出せませんが。

 それから、原爆のことをもっと知ろうと思い、いろんな本も集めたり、実際に長崎や廣島にも行ってきました。原爆資料館も見てきました。ショックでした。特に長崎の資料館で見た、アルコールに浸された胎児の標本が一番ショックだったと記憶しています。

 岩波書店発行の本。長田 新著「原爆の子」。

 これが凄いとしか言いようのない、体全体が打ち震えるような深い心の底からの感動を与えてくれました。涙無くしては読めませんでした。自分でも不思議と思うくらい涙が出てきて、出てきて止まりませんでした。特に低学年の子どもが書いた文章がせつせつと訴えてきます。

 私は原爆のことを知るために必読の本を1冊挙げよといわれれば、躊躇なくこの本を推薦します。

 低学年の子どもが、自分も負傷しながらも、自分の言葉で、ひらがなが多く、飾ることなく、静かに、淡々と、声高に叫ぶのではなく、とつとつと、時にたどたどしく、自分が見たこと、経験したことを書いています。それだけに、それだからこそ、真実というものが浮かび上がり、それが読む人を深く感動させ、厳粛な気持ちにさせるのでしょう。 興味のある方は、是非とも一読されることをお勧めします。

  人間の愚かさはいつになったらとまるのでしょうか?人類としては未来に向かって進むほどどうしようもなくなっていくというのはなんと言う皮肉でしょうか?

 キリストやシッダルタを超えるような人は、出てこないのでしょう。  

合掌


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