きのうはほぼ一日雨降りとなりましたが、広瀬川の水位はさっぱり増えません。 ダムの方に蓄えられたのでしょうか。
きょうは11月7日で、あした8日が立冬ですか。 そしてきのう6日は桂米朝師匠の86回目の誕生日だったそうです。 落語家にして人間国宝です。 上方落語の大御所も大御所ですね。 桂米朝(敬称は略)については、箱入りの3冊の本をもっていますので、これも老後の読書の楽しみです。
そうそう楽しみにしている読書と言えば、この前書いた以外に丸山真男があります。 日本の政治学の知の巨匠といっていいかと思っています。 現代の混沌とした時代にどう反映させていくことができるか、光明を見出すことが出来るかどうか、楽しみでもあります。 あとは竹内好も読み直すのが楽しみです。 現代中国を知るきっかけをつくってくれたのが他ならぬ竹内好だったからです。 彼の見通しと現在の中国のあり方、これからの中国の将来性、それを汲み取ることができるかどうか、その前に私自身にそういう能力があるかどうか、きわめて不安ではありますが。 それとできるかどうか分かりませんが、橋和巳の著作も改めて読み直せたらいいかなと思っています。 何といっても私の学生時代の拠り所、大袈裟に言えば生きる支えとなった学者にして小説家です。 学生時代に読んだ興奮というか、感激が還暦を過ぎてからも味わうことができるかどうか、自分の人生を振り返ってみるのに丁度ぴったりの作家が橋和巳ということが言えます。
話しが脱線してしまいました。 分流のサケの前にまだ桂米朝です。どうしても話しは古いことに向かいますが、40年前の桂米朝はまだまだ若く(46歳)上方落語界を牽引していました。その頃は上方落語は辛うじて生き残っているという感じで、落語家たちは、何とかしなければいけないという厳しい認識を持っていて、上方落語の復興に向けて地道な活動を続けていました。 一方の雄が桂米朝ですが、もう一方の雄は笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)でした。 でも当時は松鶴の方が重鎮という感じでした。 上方落語会では「桂」と「笑福亭」が力を持っていたのでしょうか。
なぜ40年以上前の上方落語について知っているのかと言われれば、当時関西に住んでいて、出来たばかりの「島之内寄席」に通っていたからです。 島之内寄席の場所は、何と島之内教会を使っていたのです。当時は桂三枝も桂文珍も駆け出しといっていいくらいだったのではないでしょうか。 出番は当然最初の方でした。 トリを努めるのは、前述した桂米朝や笑福亭松鶴です。 貫禄がありました。 安心して楽しんで聞くことができました。 その人が86歳、人間国宝にまで出世?したのです。凄いことです。 その価値が十分ある人です。 まだまだ長生きして後輩の指導に励んでほしいものです。 もっとも息子がしっかりしているから大丈夫かもしれません。 でも、桂枝雀のようなこともありますので、余り根を詰めて自分を追い詰めてしまうことはないようにして欲しいものです。
きょうの本題です。サケです、広瀬川分流の。 元気に泳いでいます。今日の夕方現在では8匹+αです。 今年のサケの特徴は体が余り傷ついていないことです。 痛々しいくらいに皮膚が白くなったりしたサケはいないのです。 ただ大きさは中型から小型が多い感じです。
きょう行った朝市でのオスのサケは1匹で700円だったかな。1週間前は900円くらいだったのに。オスは侘しいですね、価値がありません。
撮影はきょうの夕方近くです。水面がなるべく光らないように夕方に川に行くようにしています。
川底が小砂利のところに集まります。
そしてそこの石を磨きます。 巣作りのため、産卵のためです。
だからその部分の川底の小砂利はきれいに磨かれています。明るくなっています。
ようやくメスでしょう、産卵場所をつくっている作業中のサケの様子を撮ることができました。
じっと見ていると、サケは追いかけっこをしています。 オスがメスを追い掛け回しをしています。 産卵という共同作業をしようと働きかけているのでしょう。 うまくいけばいいのですが。
かといって一方では一人いや1匹だけで離れて泳いでいるサケもいます。 哀れかもしれませんが、頼もしくもありますし、健気でもあります。「白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まず漂う」という気概を持っているのでしょうか。