(午前9時10分頃)
きょうも20度近くまで気温は上がり、風もなく、薄曇りですが過ごしやすい一日となっています。 現役の皆さんはあしたから長期の休みに入る人もいるのでしょうか。5月6日まで休みとなる人もいるのでしょうね。
現役のときは休みはとっても待ち遠しく、楽しみでしたが、今は基本的に毎日が日曜日です。まあだから言っておきますが、だからといって毎日が閑(ひま)で閑で朝起きるのが辛いとかいうことは全くありません。
別の理由では朝起きるのが辛いということはありますが。新年度のスタートということで来月の中旬までは慌ただしい日々が続きます。でも忙中閑ありでもありますので、そこは上手く気分転換しながらやっていくよりほかはないのですが。
死ぬほど暇だということは経験するのでしょうか。したくもありしたくもなしです。
きのうの仙台高裁の、大川小学校津波被害の判決、一審同様原告の勝利となりました。賠償額は逆に少し増えましたが、判決内容というか判断の基準は一審とはやや異なりました。私としては妥当な判決だと思います。
学校の管理下の下での大惨事です。しかも山に逃げようという子どもたちの声を無視し、いたずらに寒い校庭で50分も費やし、結果として先生方のいうことを聞いて三角地帯に逃げようとしたときに大津波に襲われてしまいました。
悔やんでも悔やみきれません。数回足を運んだ身としては、あの裏山なら1年生だって十分登れたはずです。全く初めての山という訳ではないですし。何で同じ逃げるのならより安全であろう裏山に向かわなかったのか・・・・・。
何でわざわざ川沿いの方に逃げたのか・・・・・。校庭での50分間に先生方と児童の間で、また地元の人たちとの間でどういう会話がなされたのか、それを知っているであろう生き残った先生の証言が是非とも必要なのですが、学校や市教委側は頑として証言させようとはしません。
このところページをめくるのが止まっていた、前に紹介したリチャード・ロイド・パリ―著『津波の霊たち 3・11 生と死の物語』をお昼前にめくってみました。奇しくもP104です。
『彼ら(川沿いの集落の人々のこと)の疑いは、おもにふたりの男性の行動に向けられた。ひとり目は、津波を生き延びた唯一の教師である遠藤純一教諭。震災翌日の早朝、入釜谷に行った今野ひとみさんは、ほぼ言葉を発することもできない茫然自失の体の遠藤教諭を目撃した。・・・・。大川小学校で何があったにせよこのふたり(もうひとりは柏葉照幸校長のこと)の証言は明らかに重要なものものだった。そのうちのひとりは、学校での出来事を目の当たりにし、生存した唯一の大人だった。・・・。しかし震災翌日の恐怖と混乱の朝以降、遠藤教諭はどこかに消え、連絡がとれなくなった。奇妙にも、校長もほとんど表舞台に姿を現すことはなかった。』
という記述がありました。 それともうひとつ許されないことがあります。それは学校や市教委が実施した聴き取り調査の資料を無くしたのではなく、廃棄してしまったということです。この資料は絶対に重要なものとなるであろうから、いくら報告書はまとまったとしてもしばらくは保管しておこうとなぜ考えなかったのか。だれひとりとして考えなかったのでしょうか。
これは名取市の閖上の裁判でも同じようなことがありました。こちらは東京の業者に委託していたのかな。委託と直接の違いはありますが、何故いとも簡単に貴重な資料を廃棄してしまえるのでしょうか。その神経が分かりません。
財務省や防衛省等でも廃棄したと言いながらも、さすがに本当に廃棄はせず、できずに、隠していました。国の方はまだしも救われます。皮肉なものです。石巻や名取市の対応はどう考えても残しておいては拙いから廃棄してしまおう、となったのではないかと考えざるを得ません。もうその時点で行政側の負けです。
今後の石巻の対応はどうなるのか、最高裁まで上告するのか、その可能性は結構強いでしょうね。何が何でも上告し裁判で長期にわたって争う姿勢をみせるのかなあと悲しい思いに浸されます。
きょうの広瀬川本流の流れです。
南北首脳会談のことにも触れようと思っていたのですが、午後からの打ち合わせの疲れが出てきました。 写真だけにしておきます。このまま確実に緊張緩和に向かってくれればいいのですが。 休戦から終戦となって欲しいです。