きょうはいかにも雨が降ろうかという天気でした。実際に少し雨がふりましたが、予報よりも少ない感じで、午前の大集会に出るために傘を持って行きましたが、ほとんど必要はなかったですね。まあ傘さえ持っていれば、いつ降り出しても困りませんから。
午前中はさる大集会に出て、午後からは趣味の会へ。3時半ころに帰宅して、朝ではない夕方前の河原への散歩に行き、定点の写真を撮ってきました。それからこたつに入って昼寝をしました。夕寝というべきですか。こたつに入っての昼寝は気持ちのいいものですね。今一番うれしいのはお昼寝をするときかもしれません。
気温は、曇りがちではあったのですが、きのうよりも高くなって寒さをあまり感じませんでしたので過ごしやすかったですね。最高気温は11時45分に記録した14.0度で、最低気温は5.4度ということでした。 でももう12月、冬に入っているのであまりに気温が高いのも困りものです。ほどほどに冬でなければ逆に心配になってきます。
夕方前の河原で“雪虫”の写真を撮ることができました。前にも紹介して書いてますが、本物はヨチヨチと飛ぶイメージとは異なっています。はっきりとした羽のある虫ですね。
きのうの第九演奏会で紹介したカウンターテナーの村松稔之(としゆき)さんですが、別紙のようなチラシが入っていまして、公認ファンクラブができ、会員を募集していますので、一応お知らせしておきます。
きのうですか、ようやく亀山石巻市長が謝罪しました、大川小学校の遺族に。やっとです。8年9か月近くもかかってしまいました。何と長い時間でしょうか。呆れてしまいますが、それもこれももともとは亀山市長の初期対応の悪さから、遺族との関係が拙くなり、裁判まで起こされ、本人は負けるはずはないと思っていたのでしょうが、見事に敗訴しまして、賠償金を支払うことになりました。それも県に肩代わりしてもらって、後で県に分割して返還するとの屈辱的なものです。
遺族への謝罪会見も、うつむいて原稿を読むような感じで、感じが悪いものでした。そのくらい自分の頭で考えて、遺族のみんなを見ながら、本当に申し訳なかったという思いで謝罪しなかったのかと思います。思うに亀山(市長という文言をつけたくない)は本当には申し訳なかったとは思ってはいないのではないでしょうか。
宮城県にうまいこと言われて県に同調してうごいてきたものの、負けたとたんに県は賠償金を支払うつもりはなく、あくまでも設置者の石巻市が負担すべきであると逃げてしまい、はしごを外されたという気持ちが強かったのではないかと、変に勘ぐってしまいたくなります。
大体遺族説明会だけで済まそうと思っていたこと自体がいい加減で、遺族から「謝るのなら学校へ行き、子どもたちにごめんなさいと言って欲しい」と言われて説明会終了後旧大川小学校へ向かったというのですから、これでは一体何を考えての説明会、謝罪会見だったのか分かりません。
大震災直後の会見や説明会で、想定外とか、大災害にはつきものだとか、宿命だとか言って、遺族を2度も3度も奈落の底へ突き落していました。最初から、心底から申し訳なかったと手をついて遺族の前で謝っていれば、その後のお互いの経過は大きく異なったことと思います。
とてもとても賢明な市長とは思われません。だからでしょうね、門脇小学校の震災遺構としての保存に当っても、見たくないという遺族の意見を取り入れて、最初はすべてを取り壊すという方針を打ち出したのではなかったですか。
その後大震災を伝承していく貴重な震災遺構であるということで、保存運動が盛り上がり、アンケート調査では8割以上の人が全館保存としたのに、ほぼ半分の保存ということを市の方針として決定し、とうとう方針を変えることのないままにきょうからですか、校舎の両側20メートルずつを解体する暴挙に出ました。
亀山は全く何も変わってはいないとうことです。大川小学校のことを本当に悔み申し訳なかったというのであれば、門脇小学校もきちんと保存するように方針を転回し、後世に語り継いでいく遺構とすべきだったのではないでしょうか。
この亀山にしてこの亀山ありというのか、残念ながらこんなやつを市長に選んだ石巻市民の失敗失態の結果と言わざるを得ません。ふと思い出しました、村井県知事を。サンファンバプティスト号ですか、年月や大震災のために傷みが激しいので、現在の原寸大の木造船を取り壊すというのです。ただ取り壊すというのでは県民を納得させられないと思ったのでしょう、代わりに四分の一か、六分の一の非木造船をつくって残そうとしています。これに対して伊達家の当主は大反対しています。私も県の方針には反対です。余りに安易すぎます。もっと県民間で議論を湧き起し、智恵を出しあうべきです。きっといい案が浮かんでくるはずです。何か似てませんか、二人は。