早いですねえ、2019年・令和元年もあと2週間と3日ばかりを残すだけです。
今日は12月14日、14日と言えば、そうです、忠臣蔵、赤穂浪士たちの討ち入りの日です。 もう忠臣蔵はやらないのでしょうかねえ。テレビでも映画でも。 オーソドックスな忠臣蔵はもうはやらないのかもしれませんが、今までとは別の視点からとらえ直した忠臣蔵や赤穂浪士をやってほしいものです。
今思い出そうとしているのですが、役所浩司主演の映画、なんでしたっけ、大石内蔵助の娘を養育するために、討ち入りの前日になって大石より頼まれて脱退する武士の姿を役所浩司が重苦しくなく、さらりと演じていて、爽やかさを感じた映画でしたが、内蔵助の娘を嫁がせた後の切腹の状況ですか、血まみれ、血しぶきの切腹、強烈な終わり方でした。今は経理?家計の面からの討ち入りを取り上げた映画が上映されているようです。
高倉健主演の映画として「四十七人の刺客」というのもありました。もうこれは完全に吉良上野介を何が何でも討ち取る、そのためには完全防御態勢で臨むということで、全員討ち入り用の着物の中に鎖キャタピラを着用しての襲撃です。自分たちの身の安全をキチンンと固めて、しかも集団で相手をやっつけるというものでした。大幅に改造された砦のような吉良邸での戦闘も見ものでした。 何かアッと思わせるような忠臣蔵に出会いたいものです。
先月ですか、山形県は鶴岡の方に行く機会がありましたが、そのとき当然のことながら”致道博物館”に寄ってきました。 その時「庄内 論語」を買ってきました。 何といってもみちのくの誇りは、会津藩と庄内藩ですから。
この致道博物館の「致道」という文字は、論語から採っています。 論語の「子張篇」です。
子夏曰 百工居肆以成其事 君子學以致其道
「子夏曰く 百工 肆(し)に居て以って其の事を成す。 君子 学んで以って其の道を致す。」 (職人は、仕事場で一生懸命励むことによって自分の仕事を成し遂げ、すぐれた人物は、一生懸命勉学に励むことによって自然と人間の進むべき道が身についていくものだ。)
言いたいのはそのことではなく、同じ論語の「子路篇」の中の言葉です。たまたまページをめくっていたら見つかりました。 今年の漢字は 「令」 に決まったようです。もちろん令和元年ということからでしょうが、またどうしても私は、法令、発令、命令の令を思ってしまいます。この年号に長州の独裁者の息が掛っているということが気に食わないからにほかなりません。 まあ、それはそれとして。
子曰 其身正 不令而行 其身不正 雖令不従
「子曰く 其の身正しければ、令せずして而(しこう)して行われる。 其の身正からざれば、令すと雖も従わず。」 (上に立つ人自身が正しければ、命令しなくてもうまくいくものだ。その反対に、上に立つ人自身が正しくなければ、たとえ命令したところで心から喜んで従っていくものではない。)
こういう政治家が一杯いてくれたら、モリ・カケ事件(”問題”何ていう次元のものではない。犯罪です。)も、サクラ事件も起きなかったでしょうに。 そして公務員が国民の公僕としての自覚を持っていれば、自身の出世のために”忖度しまくる”ということもなかったでしょうに、このまま行ったら、日本にもう未来はないです。
さっきから「第九」のCDを聞いています。もう少しでお仕舞です。このCDの演奏は長めですね。70分くらいかかるようです。今最後の最後の盛り上がりのところです。
Tochter aus Elysium ,Freude, schoner Gotterfunken ! Gotterfunken ! (下線引きのoはoウムラウト̈̈です) ( 天上の楽園から来た乙女よ!歓喜よ!美しい神々の輝きよ! )
この前は無料で仙台フィルの第九を聞いてきましたが、来週の今頃は県民会館で同じ仙フィルの第九を聞いている頃です。やはりもう終盤も終盤を迎えていることでしょう。こちらは有料です。5,500円のA席です。 3時開演です。 「第九」の前に、同じべートーベンの『レオノーレ』序曲第3番の演奏があります。
指揮は飯守泰次郎です。 4人のソリストは、アルトは女性です。 この前は初めてでした、男性のアルト(カウンターテナー)。びっくりしました、正直なところ。 いい経験でした。
どんな演奏になるのか、楽しみです。合唱団に入っていたころは、無事演奏が終わった後の打ち上げ会が楽しかったですね、文句なしに。 何といってもヤッターという解放感が強いし、これで長くつらかった練習からも解放されるという安堵感、それにこれでみんなと分かれてしまうという一抹の寂しさ、というものが入り混じって打ち上げは盛り上がったものです。今となっては懐かしい!