鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あの日から、8年9ヶ月

2019-12-11 21:41:46 | 思いつくまま

 あの日から8年9ヶ月となります。

 先月下旬、大震災後2回目となる気仙沼に行ってきました。気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を初めて訪問しました。初めに伝承館の大型スクリーンで巨大津波の映像を見せられ、圧倒されました。その後遺構となった旧気仙沼向洋高校を4階へ、更に屋上まであがりました。戻りは再度伝承館で映像を見せられました。その映像の最後を飾ったのが、以下の階上中学校の卒業式でした。その時読み上げた卒業生の答辞、圧倒的にみんなの心を揺さぶりました。まさに涙なくして見ることが、聞くことができませんでした。本当に素晴らしい卒業式でした。その時の答辞の全文です。是非とも、改めてみなさまにもう一度読んでいただきたくて掲載させていただきます。勝手に写真を挿入させていただきましたが、お許しください。

 

                (駐車場から見た、旧向洋高校と伝承館)

    ≪平成23年2011年3月22日 階上中学校卒業式答辞≫

本日は 未曾有の大震災の傷も癒えない最中 私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます

ちょうど 十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を 希望に胸を膨らませ 通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。

前日の十一日

一足早く渡された 思い出のたくさん詰まったアルバムを開き 十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる天変地異が起こるとも知らずに・・・

階上中学校といえば「防災教育」といわれ 内外から高く評価され 十分な訓練もしていた私たちでした

 

                (屋上からの風景です。)

しかし 自然の猛威の前には 人間の力はあまりにも無力で 私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました

 

天が与えた試練というには むごすぎるものでした

 

つらくて 悔しくてたまりません

 

 (屋上です。中学生たちが4,5台のバスで来ていました。)

時計の針は 十四時四十六分を指したままです

 

でも 時は確実に流れています

 

生かされた者として顔を上げ 常に思いやりの心を持ち 強く 正しく たくましく生きていかなければなりません

 

       (中学生の語り部です)

命の重さを知るには 大きすぎる代償でした

 

           (車5台とか言っていたかな)

しかし 苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って生きていくことが これからの 私たちの使命です

 

私たちは今 それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します

どこにいても 何をしていようとも この地で 仲間と共有した時を忘れず 宝物として生きていきます

後輩の皆さん 階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が いかに貴重なものかを考え いとおしんで過ごしてください

先生方 親身のご指導 ありがとうございました

先生方が いかに私たちを思ってくださっていたか 今になってよく分かります

地域の皆さん これまで様々なご支援をいただき ありがとうございました

これからもよろしくお願いいたします

お父さん お母さん 家族の皆さん これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください

必ず よき社会人になります

私は この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います

最後に 本当に 本当に ありがとうございました

 

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表  梶原 裕太

 

 いやあ、今思い出しても目頭が熱くなります。

 駐車場の脇にあります。

 

 

 みなさんにも是非ともご覧になっていただきたい!!東日本大震災遺構・伝承館

 


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