きのうはなんでも「父の日」だったようですね。「母の日」と比べて「父の日」は空しいというかうら寂しいような感じがします。どうでもいい、付け足しのような感じですね。売らんかなということで、まあそれはそれでいいとして、夫婦のうち婦(妻)だけでは片手落ち、夫がいなければ、夫もいなければと、夫と婦が相まって家庭を築き、子育てに勤(いそ)しんでほしいということと理解することといたします。
まあどっちにしても男(XY)は女(XX)に対して染色体の時点でもうすでに負けているわけで、男はそもそもが「つけたし」なのでしょうから。肝心なのはXで、それを二つ持つか、一つ持つかはとても大きな相違です。男尊女卑だって、それを大きな声で言わなければ、その意識を社会に浸透させておかないと、男は女に太刀打ちできないからという潜在的な恐怖があって、それで力で押さえつけていたのでしょうか。
我が家にも二人の子どもがいて、二人とも男です。息子たちと父親の私との関係は難しいです。お互いに年(歳)をとれば、円満にいく、年齢が潤滑剤の役割をしてくれるのではないかと思っていた、願っていた節があります。
でも、現実は少なくとも我が家においては、とてもとても意思の疎通が図られている親子関係とは程遠いことと言わざるを得ないところが悲しいですね。恥さらしになるかもしれませんが、どうしたものかと常に悩んでいるところです。
でも、こういう考えがあるのか、と気づかされた言葉があり、それで行くよりほかはないかなと今は思っています。『 息子を理解することは諦めたけれど、気心の知れない息子と気まずく共生することは受け入れる。 』(内田樹 「街場の親子論」)お互いに理解しよう、理解できるはずだという無駄な抵抗はやめて、お互いの関係性をそのまま受け入れて生きていく、ということなのでしょうか。
またきのうは全国的に部分日食が見られたようです。仙台でも見られるということで、急遽ガラスはなかったので、クリアファイルを使って両面を黒く塗装して、準備完了。しかしながら肝心の太陽です。完全に雲に覆われて見えません。太陽が見えなければどうしようもありません。これが人生最後の日食だったろうに、少々がっかりです。
でも恨みません。毎日河原を歩き、広瀬川の流れをみつめ、草木の緑に癒され、鳥の飛翔や鳴き声に心を動かされ、風の流れを肌に受け、お日様の明るくまぶしい暖かさ(毎回そうではないですが)を体の前後に感じながら朝の散歩をさせていただいております。感謝以外の何物でもありません。
自然の中のいち個体として生かされているなあと感じたりもします(大げさかな?)。朝5時前に起きて、目をつぶりながら、まぶしく暖かい日差しを顔面に受けるととっても気持ちがいいものですよ。お日様からきょうの命を授かるような、そんなきもちになったりもします。 太陽、お日様はとにかくすごいです。
(対岸の県立美術館です。でも宮城県はこともあろうに、自然と一体になった、展示品や建物だけではなく、風景や自然環境ともマッチして長年市民・県民に親しまれてきたこの美術館を東口の方の大きなビルの中に移転させようとしています。何と愚かなことでしょうか。行政は決めたら動こうとはしません。何が何でも移転は阻止しないといけません。)
(よく見てください)
でも残念なこともありました。うまくいけばきょうの今頃は仙台市内のどこかでロケをしているはずでした。映画のロケです。日程の関係で2か所のロケに申し込んだのですが、ともに”はずれ”のようです。嫌われたようですね。
この頃はSMFCへの登録者が多くなって、ということは申込者も当然多くなって、申し込んだ通りにロケに参加できるということはとっても難しくなってきています(そう感じます)。以前は申し込めばOKだったりしたのですがねえ。
(アオサギでしょうか)
でもいままでずいぶんと映画やテレビの製作者のみなさんにお世話になりました。楽しかったですねえ。非日常の世界に入れるというか、非日常を経験できるということが最大の魅力でした。本当に、体の芯から好きな人たちが朝早くから夜遅くまで働いているということがはっきりとわかりました。
(撮影21日)
だからこそ今回のコロナ禍で映画もテレビも撮影ができなくなってしまった(何といってもNHKの大河ドラマや朝ドラも撮影できなかったのですから)ということを聞いて人知れず心を痛めていました。いつになったら撮影OKになるのか、いつになったら”トラ”の募集が始まるのか気をもみながら待っていました。
そういう時に、今月に入ってからようやく撮影開始となり、トラの募集のオファーが来たわけです。それで喜び勇んで日程調整の上申し込んだのですがねえ~。うまくいきません。というか、もう、もはや、この辺で、諦め、観念する時期なのかなあと思い始めました。
そうです、この辺で芸能生活、芸能界ともお別れすべき時なのかなあと否が応でも思い始めたということです。惜しまれて去る!のが男の花道!なんて・・・・。 いままで何十本の映画やテレビに出たことやら、もはや数えられません。数年前までは結構覚えていて、30余本でしたから、ゆうに40本以上の映画テレビ広告に出ていることになると思います。
普通はエンドロールでは、仙台市民のみなさん、とか、せんだい宮城フィルムコミッション とかの名前が流れるのですが、2回だけ自分の名前が流れたことがあります。これはうれしかったですねえ。やったーと心で叫んでしまいました。でもそれも今は昔の話しです。