鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

蒸し暑い、風がない!

2020-06-27 14:16:53 | 思いつくまま

久しぶりの登場です。 

 

           

 

今6月27日土曜日午後2時20分近くです。午前中はそうは感じませんでしたが、午後からは一気に気温が上がりまして、きのうよりも8度くらい高い最高気温となっています。午後1時38分に記録した27.5度が目下の最高気温です。

 

おおまけに風がほとんどないです。窓を開けても風が入ってきません。木の枝もそよとも動きません。風が欲しいですが、贅沢は言えません。このくらいの気温が、天気が続いてくれれば広瀬川に入っても大丈夫かなあ~。

           

今地元球場では東北楽天VS日本ハムの第5戦が行われています。今は2回の表、日本ハムの攻撃中です。東北楽天の先発は、今年から抑えから先発に回った松井祐樹投手です。対オリックス戦のときもそうでしたが、きょうもコントロールがままなりません。

 

スピードはそこそこあり、空振りをとったり、三振もとってはいるのですが、如何せん、ストライクがなかなか入りません。ボールは高め高めに行きます。まだ球威があるから打たれてはいないのですが、このままいけばそれも時間の問題です。

      

クローザーとして活躍していた時もどちらかというとボールは高めに集まりましたね。球威で抑えていた感じですが、やはりボールは低めに投げ込んでストライクをとってほしいです。でないと安心して見ていられません。

 

でもなんとかかんとか、1回2回ともランナーを出しながらも零点に抑えています。何回まで持つことやら。きのうの則本のように7回は無理でしょうね。あとは東北楽天の打線です。いつ爆発して得点してくれるのか、それを待つのみ。

       

きょうは土曜日です。土曜日というと朝日新聞では読書特集があります。これはそれなりに楽しみではあります。いろんな本を紹介しているのですが、そのなかにきょうは「五・一五事件」(小山俊樹著・中公新書)がありました。評者は保坂正康です。

 

重要な二点を指摘しています。第一は、事件当日から始まり、事件後の後継首班決定のプロセス、事件と軍事指導者の関わりなど一連の動きに新しい見方が提示されていること。第二は、事件の全体図を俯瞰することで、決行者たちと軍上層部との一体化が歴然となる中においても、理を通そうとする人たちが存在したことを読者に伝えていることです。

        

そして、「五・一五事件の当時、決行者こそ真の日本人だとたたえる書が何冊か刊行されている。この事実は今も私たちに重くのしかかってくる。逆にクーデター未遂である二・二六事件の当時は報道統制で国民に真実は知らされず、関連書は刊行されていない。 国家は都合がよければテロを容認し、都合が悪ければ真実は知らせず、恐怖のみを押しつける。それがファシズムの本質である。」

五・一五事件というと、ちょうど一週間前の土曜の特別版にも五・一五事件のことが書かれていました。原 武史という政治学者が毎土曜日に書いている「歴史のダイヤグラム」です。

       

「『敗戦後』を予言した庶民」と題して、思想家の橘孝三郎が列車内で聞いた村の人たちの話しだそうです。意外ですよ。本当か?と疑ったくらいです。

 

五・一五事件が起きる前のこと。茨城県内を走る常磐線の中の話しのようです。1932年・昭和7年5月に事件は起きています。””純朴その物な村の年寄りの一団””の会話です。

            

(引用開始)

ーどうせなついでに早く日米戦争でもおつぱじまればいいのに。

ーほんとにさうだ。さうすりあ一景気来るかも知らんからな、所でどうだいこんな有様で勝てると思ふかよ。何しろアメリカは大きいぞ。

ーいやそりやどうかわからん。しかし日本の軍隊はなんちゆても強いからのう。

ーそりや世界一にきまつてる。しかし、兵隊は世界一強いにしても、第一軍資金がつゞくまい。(中略)

ーうむ、そりやそうだ。だが、どうせまけたつて構つたものぢやねえ、一戦争のるかそるかやつつけることだ。勝てば勿論こつちのものだ、思ふ存分金をひつたくる、まけたつてアメリカならそんなにひどいこともやるまい、かへつてアメリカの属国になりや楽になるかも知れんぞ。   (引用終わり)

 

これを受けて、筆者はこう述べています。「昭和初期の車内でこうした会話が公然と交わされたこと自体、驚愕させられる。・・・。注目すべきは、日米戦争の可能性を語り、敗戦後の日本まで予言していたのが、広田(「三四郎」に出てくる広田先生のこと)や橘のような知識人ではなかったことだ。実際の歴史は、『純朴その物な村の年寄りの一団』の見方が、必ずしも間違っていなかったことを証明している。」

 

 


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