気温の3時間毎の変化を見ると大したことはないのですが、私には骨身にこたえる冷え込みとなっています。いやあ、困ったもので、夜間頻尿ではなく、日中頻尿となっています。無理しないで厚着すればいいのかもしれませんが‥‥。
3時間ごとの気温を見ると、午前3時が9.6度で一番高く、時間の経過とともにじわじわと下がっていくような推移となっています。6時で9.1度、お昼は9.3度とちょっと上がりました。でも、午後3時には8.7度と下がっています。
そして朝からずーと霧雨か小雨が降り続いていますね。外は薄暗いです。正午の観天望気は、天気:雨、雲量:隙間無、気温:9.3度、湿度:87%、風速:6m/s、不快指数:53 となっています。
びっくりしたのは、午前2時29分かな、揺れました。最初は小さいですが、揺れが大きくなるのではないかと身構えてしまうような感じでしたが、さほど大きくはなく助かりました。地震で目が覚めたからか、トイレで目覚めたときに揺れてきたというべきか、何にしても夜中のトイレへ。
そんなことがあったからかな、なぜか時間を勘違いして5時には起きてしまいました。起きだして1階へ行ってから、よくよく時計を見たらまだ5時でした。20分早かった?!まあ、眠くてたまらなかったということはなかったので、そのまま早朝のルーティンをこなしました。
地震というと、午後4時22分ですか、また揺れました。今回は揺れがちょっと大きく感じ、揺れる時間も長かった感じです。M5.0とか。この前は関東地方と近畿地方で大きめの地震がありましたし、トカラ列島の地震は頻発しています。
嫌ですねえ、地震は。いつ起きるかわからないし、不意打ちされるから嫌です。これが真夜中でしたらもっと嫌ですし、心臓に悪いです。10年前の、3月4月頃の常に船酔いしている不愉快なゆらゆら感は御免こうむりたいです。
でも、日本列島に住んでいる限りは無理な願いです。地震とともに生きていくことになるし、振り返ってみると年代年代で大きい地震を経験してきましたね。宿命なのですが、だからと言って達観できるわけでもないし、常に悩み思い煩いながら、あしたはたぶん大丈夫だろうとおもって生きているわけですよね、各人。
そう考えると、私も含めて、何とみなさんは何とけなげ(健気)であることか!と思わざるを得ません。
きょうは日本軍によるハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を奇襲した日です。 NHKのBSプレミアムかで見ましたが、「 ”NHK映像の世紀”プレミアム 第21集 太平洋戦争 銃後もう一つの戦後 」何回かに分けて見ましたが、重いですね。
でも、とってもいい番組です。この番組についてはNHKを誉めます。常日頃から、こういう番組を制作して放送し、再放送、さらに再々放送してもいいと思います。その中の最後の方に取り上げた「テニアン」は考えさせられました。
サイパンが陥落し、テニアンも占領されました。集団自決まで起きた島ですが、何とも皮肉な現象を取り上げていました。初めて知りました。テニアンと言えば、陥落後はアメリカのB29戦略爆撃機の拠点となり、連日日本を爆撃しまくったわけです。最後は原爆投下です。
初めて知ったことというのは、テニアン島が陥落後、時間をおかず、米軍は子どもたちのための学校をつくったのですね。そして、日本語で小学校の課程のような授業を開始したのです。
こういうところはさすがだなあと思わざるを得ません。日本なら敵国語の使用禁止となることでしょう。米軍は教室も校庭も作り、ラジオ体操まで全員でやっていました。その学校を「テニアンスクール」と言いました。
当然、子どもたちと米軍兵士は仲良くなりますよね。でも一方ではテニアンの航空基地はB29による日本本土爆撃の拠点です。日本を爆撃するということは、日本を、日本人を、日本の建物を破壊する、破壊し尽くすということです。
でも、帰島すると日本の子どもたちと和やかに遊んだりする、日本及び日本人を爆撃した後で、日本の子どもたちと仲よく遊ぶ、やはりそこには少なからぬ葛藤があったとのこと。そのことを知って少しはホッとしました。
テニアンスクールは敗戦の翌年、昭和21年1月に閉鎖されたということです。集団自決したり、空襲や艦砲射撃で民間人も被害を受けていましたが、それでも子どもたちが多数生き残っていたこと、そして学校で勉強できたこと、そのことを知って救われた気がします。少なからずよかったと思います。
昨日妻さんが、この付近で工事の人が測量をしていたといっていました。何でも二人くらい川の中に入っていたそうです。赤と白の測量棒?をもって。だから、なんか変わっているかなと思って行ってみたのですが、何も変わってはいないような・・・・。
雨のためか、工事人はいませんでした。もしかして、いよいよ擁壁の亀裂改修工事始まるのか????