鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

正楽寺の黄紅葉

2022-11-21 15:54:59 | お知らせ

(引用)『 北原山正楽寺は宮城県仙台市若林区新寺に境内を構える寺院です。正楽寺の創建は室町時代に遡ると云われ、伊達政宗が仙台城を築城し慶長12年(1607)に仙台開府後に、現在の名取市笠島付近から日辺北原へ移ったきました。

  

正楽寺の本堂と山門は古建築として大変貴重なもので、案内板によると「本堂は、宝暦5年(1708)春の大火による焼失後享保5年(1720)に落成。その構造は桟瓦(一部本瓦)萱入母屋造の屋根を有する間口、奥行とも十二間四方で内部は板敷の内陣と畳敷の下陣とにわかれている。

 

特に畳敷の外陣は広大で、浄土真宗仏堂の特徴が示されている。山門は寛保2年(1742)の建築。桟瓦葺切妻造の屋根を有する三間一戸の楼門形式の八脚門で、元来二階部分は鐘楼となっていた。仙台では藩政時代から今日に至るまで、数回にわたり寺町が大火にみまわれていることもあって、この本堂と山門はそれらをくぐり抜けなお現存している点で貴重である。 仙台市教育委員会 」とあります。

 

以上の理由から正楽寺の本堂と山門は平成7年(1995)に仙台市登録有形文化財に登録されています。又、山門は伊達政宗が隠居城として築城された若林城の大手門の遺構との伝承も残りますが、前述の年号とは異なる為、真偽は分かりません。山号:北原山。宗派:単立。本尊:阿弥陀如来。』(引用終わり)

  

正楽寺は我が家の菩提寺です。過去帳を見ると一応我が家は”北原山正楽寺門徒”となっています。一番古い記述は享保19年ですね。その後は元文、宝暦、明和、天明、文化、文政、天保、安政、慶応、明治、大正、昭和、平成、と続きます。

  

と書かれても年代はピンときませんよね。元号と西暦を照合してみると、享保は1716年ですので、300年以上前となりますか。元文は1736年、宝暦は1751年、・・・、文化は1804年、安政は1854年、慶応は1865年ですね。

             

ここ正楽寺にある我が家のお墓は嘉永(1848年)時代につくられています。小さいですが貫禄があります。以前は同じ形のお墓が4基あったのですが、一つは新しくなり、もう一つは石碑がなくなり平たくなっています。だから江戸時代の風情を漂わせているお墓は周辺では2基のみとなっています。

お墓の周りは戒名でほぼいっぱいで、新しく彫るのは厳しい状況となっています。お寺の説明文にある通り、何と言っても本堂と山門は素晴らしいものです。銀杏の大木もすごいですね。

でも、このお墓も今後どうなるか分かりません。代々の墓ですが、いつまで引き継いでくれるものやら、先が思いやられますが、維持できなくなっても(墓終い)仕方がないなと半ばあきらめています。

 

 きのう紹介した渋柿   

きょうはきれいさっぱりなくなっていました。きれいに食べてくれたようです。

食べた、なくなったということに関連して、河原のトマトです。きのうまではこうでした。

 

 きょうはこうでした。

 

きょうは月曜日です。自主的な朝の見守り活動の日です。雨降りです。正直少しは行きたくないなと思います。でも、こういう時こそ行かなければならないと自分に言い聞かせ、奮い立たせて?傘をさしていきました。

             

 

途中の狭い路地で大き目のミミズを3匹見ました。ついつい雨に誘われて出てきたのでしょうかね。狭い路地のほぼ中央に長くなっています。生きています。帰りまでには踏みつぶされているかもなと思っていましたが、どっこい、3匹とも無事草むらに避難できたようです。踏みつぶされたミミズの死骸はなかったです。よかった。

             

 

子どもたちは元気に登校してくれましたし。半そで半ズボンの男の子は3人、小学生が二人、中学生が一人ですね。たぶん真冬でもこのままかと思います。体の構造というか、皮膚の構造が違うのでしょうね。

         

 

 

       

 

 


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